宵闇眩燈草紙 私家版〜座敷童〜

 

 餓鬼がいる。

 別に餓鬼が珍しいわけではないのだが、

 薄暗い奥座敷の廊下の、そのまた奥に澱む闇の底から、

 何も言わず口をつぐみ、

 何処を見ているとも分からない目をして。

 餓鬼がいる。

 何が妙かといえば、餓鬼の表情のなさだ。

 面の方がまだ愛嬌がある。

 そう、思った。

「御疲れ様でした、木下先生。旦那様の御容態は如何なものでしたでしょうか?」

「ええ、大分お加減が良いようです。意識もハッキリしておられましたしね。それでは、薬を出しておきますので、毎食後に差し上げてください」

 いつも通りの愛想笑いを浮かべて、私――木下京太郎――は薬包を番頭らしい小男に渡す。それと引き換えに、禿頭の小男の差し出した分厚い包みを
受け取った。簡単な回診の報酬にしては破格といえる。勿論これには口止め料や、死んだ後の処理の代金も含まれているのだろう。その程度のことは察
しの悪い私にも理解できる。まあ、だからこそこんな阿漕な渡世が務まっているのであるが。

 私は包みを懐に納め、禿頭の後をついて奥座敷を出る。中庭から本邸へ続く渡り廊下を渡り、奉公人が出入する廊下を避け、人目につかぬように裏口
にまわる。そして広い庭の片隅に、申し訳程度に造られた粗末な木戸を抜けた。

「それではこれで失礼します。次の往診は一週間後ということで」

 私は卑屈にならない程度の愛想笑いを浮かべ、頭を下げた。

「はい。よろしくお願い致します」

 私などより余程年季の入った愛想笑いに背を向けて、私は気付かれないように軽く息を吐いた。

 金のためとはいえ、この安寿屋の奥座敷に住まう男のような、既に運命の天秤があちら側へと傾くことが決まっている患者を長く相手をするのはそれ
なりに気を使うものである。このことだけは長くこんな商売をしていても、私には馴れそうにない。

 裏路地から表通りへと出ると、私は雑踏に紛れる。そうして人波に流されながら、これからどうするかを考えていた。

 今日の仕事は先の安寿屋で終わりなので、後は飯を食い、風呂に浸かり、酒でも呑んで寝るだけである。さりとてまだ日は高い。この時間であれば、
まだ家には誰もいないだろう。椎名さんは美津里の店で雑用か、暇であれば語学に勤しんでいるころであろうし、虎蔵はといえば先月仕事に出たきり、
まだ戻っていない。つまり家に帰っても暇なだけである。

 暫く人芥に紛れながら、結局私はいつものように眩桃館に向かうことにした。

 その日の眩桃館には、珍しいことに先客がいた。

「おお、京の字じゃないか。そんなところにつったたれてちゃ、商売の邪魔だよ。さっさと入っておくれ」

戸口で立ち止まる私に、店主の麻倉美津里が言った。片手間に商売をしている奴の言うことではなさそうだが、現に目の前にその客がいるのだから言い
返すこともできない。私は、「ああ」だが「うん」だか良くわからない返事をすると、店の中に入りそこら辺に転がっている骨董だがガラクタだか判然
としない妖しげな品々を眺めることにした。

「ご友人がこられるのでしたら、私の用はまた今度で構いませんが?」

 美津里と話をしていた先客は、私の方を振り返りながら言った。しかし美津里はカラカラと小気味良く笑うと、大げさに手を振って客の心配を追い払う。

「そんな気をまわさなくても大丈夫さね。こいつのことは気にしなさんな。餌をねだりにくる野良猫みたいなもんなんだから」

 と、言われた客の方が対応に困ってしまいそうな紹介をした。しかし男は「はあ」と生返事を返しただけだけで、それほど困った様子も見せない。
思ったより落ち着いた対応である。もしかしたら美津里には馴れているのかもしれない。

先客は私に小さく頭を下げた。私も会釈を返しながら先客を見た。奇妙な男だった。いやこの店を訪れるもので、まともな商売をしている人間など皆無
に等しいのだろうが、それを考えても美津里と話す男は随分と異様だった。言うならば、男の周りだけ空気が違う、あるいは住んでいる世界が違う、そんな感じだった。

うっすらとおしろいを塗ったような異様に白い肌に、どういう訳か、眼の縁を朱で隈取をしている。和服を奇妙な着こなしたその姿もあいまって、まる
で荒事を演じる歌舞伎役者のようだ。男のそばには、大きな笈があった。幾つかの抽斗が半ばまで開けられて中身が見えた。そこから様々な薬の包みや
ら、おもちゃやら、春画やらが覗いている。どうやら男は流しの薬売りのようだった。

「注文の天秤の数は揃えてあるよ。あと預かってた剣も、ほれ」

 そういうと美津里は行李から、獅子と猿をかけ合せたような奇怪な動物の頭を模した柄頭の、奇妙な短剣を男に渡した。

「こいつはぁどうも。毎度毎度、麻倉屋さんの仕事の早さと確かさには驚かされますよ」

 男はその奇妙な短剣を受け取ると、鞘から抜いて刀身を検めることなく、笈の一番上の抽斗に仕舞った。

「いやいや礼には及ばんよ。そいつ程の『業物』にゃ、なかなかお目にかかれないからね。こっちもソレを『調整』するのが楽しくて楽しくて」

 嬉しそうに笑う美津里。美津里が喜ぶということは、薬売りの短剣も見た目だけではなく、真実尋常の代物ではないのだろう。美津里はそういう類のものに目がないからだ。

 しかし歯を見せて笑っていた美津里が、そこで笑みを引っ込めて、眉間に皺を寄せた。そうして、やや困ったように男に言う。

「その代わりといっちゃ申し訳ないんだが、もう一つの方な、あっちはもうしばらく待っちゃくれんかね?」

「ほう。何か、ありましたか?」

 大して動じた様子もなく薬売りが訊ねた。まるで質問するのが礼儀だとでも言うような、そんな感じである。

「いや、大したことじゃないんだが、あちこちにガタがきてるみたいでな、一度オーバーホールしといたほうがいい と思うんだ」

 美津里の見立てに薬売りは顎に手を当て、頷いた。

「成程。麻倉屋さんがそう仰るのでしたら、もうしばらくご面倒をかけさせていただきましょう」

「そのほうがいいだろうね。少なくともすぐに使う用事はないんだろう」

「今の、ところはね」

 薬売りはどこか含みのあるような、妙な調子で言った。いや、もしかしたらこの喋り方は薬売りの癖なのかもしれない。

 煙管を一口プゥと吹かすと、美津里は腕を組み、首を傾げる。

「ま、確かにアンタの場合、急に入用になるから厄介だねぇ。わかったよ。できるだけ早く仕上げるようにはするよ。そうさね、明後日の昼頃に寄っとくれ。
それまでには何とかしておくからさ」

「わかりました。それではよろしくお願いします」

 男は頭を下げると、荷物を丁寧に笈に仕舞い込み、美津里と私に一礼すると、店を後にしにた。

「美津里。今のは」

 男の姿が視界から消えるのを待って、私は美津里に訊ねた。

「見て分からなかったかい? うちの常連さんさ」

 美津里が煙草の煙と一緒に、言葉を吐いた。しかしそんなことは言われずとも分る。私がききたいのは、そのようなことではない。

「妙な男だったが、何をしてるんだ」

「見て分からなかったのかい?」

 煙草の葉を詰め代えながら、美津里は繰り返した。そして煙草盆から火を移すと、美味そうに一服して言った。

「ただの、薬売り、さ」

 たなびく紫煙の向こう側で、美津里は妙な具合に言葉を区切ってそう言うと、血のように赤い唇の端をキュッと吊上げたるのだった。

「よお」

「いたのか虎蔵」

 まだ仕事があるという美津里を残し、先に座敷へと上がりこんだ私が見たものは、我が家の居候、長谷川虎蔵が炬燵で寝ころがっている姿であった。
虎蔵の前には当たり前のように、空の徳利やら、食い散らかした蜜柑の皮やらが散らばっている。どうやら誰も構ってくれないらしく、一人で酒盛でもしていたようだ。
もう一人の居候である椎名さんの姿はなかった。またあちらこちらと掃除して回っているのだろう。

「あんだぁ、俺が居ちゃ悪いのかよぅ」

 冬眠を終えた熊のようにノソリと起き上がると、虎蔵は炬燵の上に並んだ銚子の一つを私に向かって突きだした。私も炬燵に潜りこむと、
辺りに転がる猪口の一つを手に取る。

「お前は何をクダまいとるんだ。そういえば少し前に仕事だと抜かしていたが、そっちはどうした? スッポかしたのか?」

虎蔵が私の言葉が聞こえないふりをして猪口に酒を注ごうとした。が、徳利にほとんど酒がなかったことを思い出して舌打ちすると、手辺り次第に辺り
の徳利を残らず振って回る。酒が見つからないこと以外に、何か気にくわない事でもあるらしく、イライラしながら虎蔵は言う。

「うるせいやい。仕事の話は止めてくれ。酒が不味くならぁい」

「何だ。上手くいかなかったのか」

 そして結局酒は残っていなかったらしい。虎蔵が不貞腐れたように猪口の端を噛んだ。そして別段私が何か悪い事をしたわけでもないのに、怨みがま
しい目で私を見る。どうやら仕事は散々だったらしい。それで金もなく、ここで管を巻いているといったところなのであろう。

 餓鬼のように私を睨む虎蔵の姿に、私はふと先刻の往診の時のことを思い出した。

「そう言えば虎蔵よ。安寿屋という御店を知ってるか?」

「あん? あの厨子屋の隣に暖簾だしてるとこか? 回船問屋の?」

 虎蔵は酒を飲むのを諦めたようで、まだ籠にいくつか残っていた蜜柑を剥きはじめながら答える。

「うむ。そうだ。その安寿屋だ」

 あってないような猪口の酒を飲み、私は尋ねた。虎蔵も私同様、いや私以上にお天道様に顔向けできないような商売をしている。加えて何だかんだで
顔も広い。だから安寿屋の噂やら台所事情やらに詳しいと踏んだのだのだが、どうやら私の勘は当たっていたらしい。

 虎蔵はしばらく蜜柑を食うのに忙しかったようだが、あっという間に食い終わると、二つ目に手を伸ばしながら先を続ける。

「そこなら仕事も引き受けたこともあるし知っとるが、それがどうした?」

 案の定である。虎蔵に仕事を回すという時点で、真っ当な商売だけをしている店ではない事がわかる。とはいえこのご時世、正直真っ当なだけで渡世
が成り立つものでもないので、とりわけ珍しいわけではないのだが。

「いや、あそこの旦那に跡取りなんぞいたかと思ってな」

 いきなり「薄気味悪い餓鬼がいる」なんぞと言って面喰わせても話が進まないだろうと思い、私は少しぼかして言った。

「う〜ん。確かおらんかったと思うが、またどうした?」

 歯切れの悪い私の言葉に、虎蔵が先を言えと水を向ける。回りくどい話は御免だと言いたいのであろう。

「いやなに。大したことじゃないんだが、あそこの奥座敷に行く度にな、見るんだ」

「何を?」

 勿体ぶるなと目で言う虎蔵に、私は単刀直入に言った。

「餓鬼をさ。それも何人も」

 これでどういう反応をするのだろうかと思い虎蔵を見ていたが、当の本人は別段驚いたような様子もなく蜜柑を頬張っている。

「ああ〜。そりゃ、アレじゃないか」

 蜜柑を頬張りながら、何か思い当たる節があるらしく虎蔵が言う。

「何だ、アレとは」

 酒もなく手持ちぶさたな私も、蜜柑に手を伸ばす。虎蔵は三つ目に取り掛かりながら、一言で端的に事実だけを述べた。

「商品」

「ああ。あそこはそういうのも商っとるのか。それでお前か」

「そう。それで俺。何でも仕入れから仕込みまで一手に引き受けるそうでな、業界じゃそれなりに有名だ」

 往々にして人目を忍ぶような商いなど、大凡真っ当なものではない。で、あるからこそ、買われていく餓鬼の末路が、けして幸福な道を辿るものでは
ないということも、容易に想像がつく。と、しかし、それは買われていく者がそうであるだけで、私には何の関係もない話である。買われていく餓鬼がどん
な人間に慰み者にされようと、それよりももっと酷い扱いを受けようと、私の腹が痛むわけではない。それどころか、私への報酬はそうした餓鬼が売ら
れた金で支払われているのである。そんな私に安寿屋の非をあげつらうことなどできない。それに人様の不幸話で涙する程、私は情け深くも、身勝手でもない。

「お前は仕込みの方で雇われたのか?」

 と、救いのない切り返しをした。無論、本気でそう思っているわけではない。虎蔵がそんな面倒な仕事をするとも思っていない。顔の前で手を振ると、虎蔵が鼻で笑う。

「冗談。毛も生えそろってないような餓鬼なんぞ、誰が相手にするもんか。それにそんな面倒臭いこと、誰がやるか。いつもの如く、人を打ん殴る方に
決まってるだろう。まあ、報酬を『現物支給』なんぞと言われた時は、流石に開いた口が塞がらんかったが」

 そう言って籠に手を伸ばそうとしたのだが、蜜柑がなかったのでそのままゴロリと炬燵に横になった。食っては寝を繰り返す様は、本当に熊のようだ。

「男二人で青田刈りの話たぁ、お盛んなことじゃないかい?」

 と、そこへどこから話を聞いていたのか、おそらく襖の向こう側で聞き耳を立ててタイミングを見計らっていたのだろうが、良い暇つぶしを見つけた
とばかりに美津里が勢い良く襖を開けて現れた。

「ああ、京太郎。お仕事は終わったのですか。御苦労様です」

美津里に続いて私の家のもう一人の居候である椎名さんが、蜜柑で一杯の籠を持って続く。

「ぬかせよ。青田刈りの趣味があるのはお前とこいつだけさ」

 寝返りを打つと、虎蔵が私と美津里を指差し、憎まれ口を叩いた。

「なぁに、幼いってのもたまにはいいもんさ。初々しい反応が可愛くてねぇ、ついつい苛めちまうんだなぁ。で、何の話だい?」

 と、そんなろくでもないことを言いながら、美津里も炬燵に潜り込む。そして虎蔵がやったのと同じように辺りに転がる銚子を片端から振って中身を
確かめて、そして同じように諦めて、椎名さんが置いた籠から蜜柑を一つ掴んだ。

「安寿屋って御店の奥座敷に餓鬼が湧いてるってはなしだ」

「ほう。人間が湧くたぁ、何と豪気な」

「どこが豪気だ」

 相変わらずの美津里の返答に、流石に私も呆れてしまう。こいつはいつも一向に真面目に話を聞こうとしない。まあ、そこで寝ころんでいる奴もそうではあるが。

「……あの〜、京太郎」

 おずおずと椎名さんが片手を小さく上げた。

「何だ、椎名さん?」

「『青田刈り』って何ですか?」

 椎名さんの一言に、私も思わずどう答えてよいのか迷い、口ごもってしまった。しかしその間がいけなかった。返答に窮した私を見て、虎蔵と美津里がイヤらしく笑う。

「教えてやれよ〜、京太郎よ〜」

「五月蠅い! 気色の悪い声を出すな」

 飛び起きると、ニヤニヤ笑いながら私に肘鉄砲を喰らわせる虎蔵に、

「あ〜ん。何時もはそんな声を上げさせてるくせに〜」

「お前も余計なことを言うな!」

 美津里は美津里で、妙なしなを作り、鼻にかかった甘い声をあげる。そして椎名さんですら、

「ほうほう。京太郎はそんな声を上げさせるのが得意なのですか」

「そらもう! こいつにかかれば百戦錬磨の相手でもイチコロよ!」

「こんな顔しといて、手は早いからねぇ」

 二人の戯言に激しく頷いて聞き入っているのだから、始末に負えない。

「……勝手にしてくれ」

 頭が痛くなったので、私はツッコむのを止め、三人の野次馬をのさばらせたまま、炬燵に横になった。

「先生。お願いだ。どうか儂を殺して」

 一週間後、私が安寿屋の奥座敷に赴くと、すっかり瘠せ衰えた初老の男は、既に死んだように光のない瞳に涙を浮かべ、骨と皮だけの針金のような手
で私の腕を掴むと、そう懇願した。

「先生。確かに先生は後ろ暗い輩を相手にするような、真っ当な医者ではないかもしれん。だが人を殺めるのに手を貸すのは、そりゃ心苦しいだろう。
それでも、それでもお願いしたいんだ。こんなことを頼めるのは、先生しかいない」

 目の前の衰弱した初老の男の言葉に、私は思わず苦笑してしまった。「闇医者」と言わず遠まわしな言葉を使うことや、私の腕前を過大評価している
ところで、どうしても自嘲してしまう。そんな私の内心をどう受け取ったのか分らないが、男はカクカクと首を動かす。どうやら勝手に何か納得したらしい。

「先生。これは儂が望んどることなんだ。儂はもう疲れてしまったんだよ、先生。こんなに不自由で、苦しい思いをしてまで惨めに生き永らえるくらい
なら、後生だ。どうか一思いに楽にしてくれんか」

 そう言うと、どこにそんな力が残っているのか、私がうんと言うまで放さないつもりらしく、万力のように私の手を握りしめる。その尋常ではない力
に、私は少々ウンザリした。どうも、生きるか死ぬかというような重い話は肌に合わない。

そこで私は前に美津里達と話していたことを訊ねてみようと思った。訊ねても惚けられるのがオチだろうと思って訊ねてみようかどうしようか悩んでい
たのだが、相手が死ぬ気ならば口も軽かろうと、そう思ったのである。

「わかりました。私は貴方に雇われている身です。貴方がそこまでおっしゃるのでしたら、楽になる薬をご用意致しましょう。その代わりと言っちゃなんで
すが、幾つか私の質問に答えていただけませんか?」

 私は男の願いの代価として、質問する権利を要求してみた。我ながら碌でもない手を思いつくものである。私の言葉に、男の顔から苦悶が消える。皮
肉なことだが、生気が皺の間を巡っていくようで、紙のように白かった顔にわずかに朱がさした。

「それぐらいでこの苦しみが終るのでしたら、お安い御用だ。私に答えられることでしたら、なんなりとお訊ねください」

 その生き生きした男の様子に苦笑しながらも、私は訊ねる。

「ではお言葉に甘えまして、遠慮なくお訊ねさせていただきます。ただ初めにお断り致しますと、かなり妙なことを言うと思いますが、あまりお気にな
さらないで下さい」

 そう前置きして、私は話始めた。もし当てが外れたならば、その時はそこで話を終えればいいという、何とも見切り発車なことを考えていた。

「私はこの奥座敷に通じる廊下で、度々妙なモノを見かけるのです」

「妙なモノとは?」

 私の言葉を聞くやいなや、骸骨に皮をかぶせただけのような初老の男の表情に、あるものが現れた。それは恐怖である。その表情はここに何かの秘密
めいたものが存在していることを雄弁に物語っている。手応えを感じた私はその先を続ける。

「餓鬼ですよ。奥座敷に通じる、あの薄暗い廊下の奥に、餓鬼を見るんですよ。それも何人もね」

「き、木下先生……それは」

 男はまるで瘧にでもかかったように、突然体を震わせ始め、化け物を見るような目つきで私の顔を見た。そうして私の名前を呼んだきり、喉をヒュウ
ヒュウと鳴らすだけで、一言も発することができないようになってしまった。それでも私は続ける。

「いえ、私も商売柄色々と耳に入ってきますので、どのような商いをされているか、よく存じ上げているつもりです。しかし、いや、ならなおのこと、
餓鬼が自由に動けるわけはないでしょう。だからこそ私は不思議なんですよ」

 そう言って私は目で問いかける。しばらくの間、男は一言も発さなかった。否、言葉を出せなかったのであろう。しかしややあって、腹を決めたのか
一度深呼吸するとしっかりと私の目を見、口を開いた。

「……わかりました。先生。そこまでご存知でしたら、構わないでしょう。どうせ後は墓の中に入るだけの身の上だ。何も隠す必要がない。お話します
よ、木下先生の見た子供のことについて、私の知っていること全てを」

 そう言ったものの、男はその後を続けなかった。どこから話したものか悩んでいるようにも見えたし、矢張りいざ話そうと思うと躊躇してしまうのか
もしれない。だが、私は面倒だったので強いて先を促すことをしなかった。

 ややあって、初老の男は、ポツリポツリと話しはじめた。

「安寿屋が子供を商うようになったのは、私の祖父の代からだそうです。最初は、食うに困った農家の子供やら、物乞いをしているような子らを哀れに
思った曽祖父が引き取って親代わりに養っていたそうです。しかし人一人生かすのには、やはりかなりの金や手間がかかる。そこで里親を探したりして
いたそうですが、それも結局は上手くいかなかった。そればかりか、余程のお人よしだったのでしょう。それでも曽祖父は貧しい子供を引き取ることを
止めなかった。そのおかげでいつしか商いは傾きはじめていた。そこで祖父は曽祖父を隠居させると、まず初めにしたことというのが……」

「餓鬼共を売りさばくことだったと」

 口籠る男の言葉を私が継いだ。ここまで話が進めば、皆まで聞かずとも大凡の推測は着くと言うものである。

「その通りですよ。本末転倒と思われるかもしれない。確かにその通りなのでしょう。しかしそうするしかなかった。確かに一度助けたものを、また物
のように扱うなど、褒められたことではないのは分かっております。しかし、先生……」

 やや呆れ気味の私に、男が声を荒げる。今にも蒲団から起き上がり、私の襟元に掴みかかってきそうな勢いを、私は落ち着いて手で制す。

「私は別に貴方がたがされてきたことを非難する気はありません。それにそんな資格は私にはない。私がお訊ねしていることは、この奥の廊下で見る餓
鬼のことで、この店で過去に何があったかなど、私にはどうでも良いことなのです

 そうして私は、相手に話をする気にさせるため、わざと呆れたように溜息をついてみせた。少々演技が過剰過ぎたかもしれない。

「どうやらあまり仰りたくないようですから、私からお訊ねしますが」

 そうして少し間を開けて、含みをもたせる。こういう時の要領は、長く御太鼓医者をしていれば、嫌でも身につくものである。

「餓鬼は、本当に売られていっただけなのですか? 例えば間引かれたなんてことはなかったんですか?」

 予想通りだった。その言葉は初老の男の重たい口を開かせるには、実に効果的に働いた。男は苦虫を噛みしめたように顔を顰め、しばらくそのまま無
言で何かを考えていたが、ややあって重々しく口を開いた。

「……木下先生。これからお話しすることは、代々の安寿屋の主にだけ語り継がれているものです。ですので、絶対に口外しないでいただきたい」

「承知しました」

 私は即答した。このことで店をどうこうしようというつもりはない。まあ、美津里、虎蔵、椎名さん達と酒の肴にして盛り上がるくらいだろう。それ
は私のなかでは「口外しない」の範囲に入っていると解釈していた。

「お察しの通り、子供は皆が皆、買い手がついたわけではなかった。なかには病弱だったり、容姿があまり良くなかったために買い手がつかない子供も
いた。しかし、やっと新しい商売が軌道に乗り始めた時に、その子らを養う余裕などなかった。だから、……だから」

 そしてまた口籠る。全く、面倒なことだ。

「だから、どうしたのですか?」

 私は脅迫するように水を向ける。私の言葉にジリジリと迫られ、男は額に脂汗を浮かべる。音を立てて唾を飲むと、血走った眼を見開き、言葉を噛み
しめるように酷くゆっくりと先を続けた。

「……だから、買い手のつかなかった子供は、生き肝を抜いてそれを渡来の珍奇な薬だといい、高値で売り捌きました。そして、躯はこの奥座敷の廊下
の向こうに部屋を作り、そこに誰にも見つからないように、祀ったのですよ」

 まるでどこかで聞いた話だ。そして予想した通りの話の展開に、ウンザリしてしまう。とはいえこのことは、目の前の男にとって文字通り命がけの告
白なのだろう。だから私もせめて心の裡が表にでないように、務めて冷静を装う。

「成程。この部屋は、その秘密へとたどり着く不届き者がいないようにと見張るための、見張り小屋というわけですか」

 そういうと私はこの奥座敷を改めて見まわす。そこかしこに薄闇が巣食うこの部屋は、確かに代々の主が住むような場所ではなく、むしろ座敷牢と呼
ぶのが相応しいようなみすぼらしいものだ。そう考えると目の前の骨と皮だけになった男は、この部屋に繋がれる囚人といったところだろう。

 私はふと目の前の痩せ衰えた男が些か不憫に思えて来た。仏心と言うのか、はたまた美津里辺りにうつされた一時の戯れの故か、私は言わずともいい
ことを思わず口にした。

「そのような重大な秘密を私ごときにお教え頂いたことのお礼に、少々、私もお話しましょう」

「先生が私に話とは、一体なんです?」

 今正に重大な秘密を明かしたばかりで、重労働をしたように額にビッショリと汗をかき、疲れ果てたような顔をしていた男が、私の言葉に身構えた。
私の真意が読み取れず、心中の不安が首をもたげているのが見てとれた。私はそんなことなど知らぬ振りをして話し始める。

「これは初めてあなたの容体を見た時から、ずっと黙っていたことです。私の見立てでは、どう処置しても一か月も持たないだろうと思っていました。
だからせめて苦しまないようにと、家人の方と話し合い、ずっと痛み止めだけを処方してきたのです。しかし何故かあなたはもう半年も苦しんだままだ
。しかもこれ以上ないという程に症状は悪化していくばかりなのにも関わらず、ずっと生と死の堺を彷徨っている。何故でしょう? あなたの話を聞い
て、それがようやく分かりましたよ。それに私に見えている餓鬼共の答えも」

 私の言葉の一言一句に、男の顔が引きつっていく。そうしてその顔は人の顔とは思えないほどになった。喩えるなら地獄に蠢く餓鬼のような形相だ。

 その必死な顔が何故か滑稽に思えて、不謹慎とは思いながらも、私は口の端を少し歪めてしまった。

「餓鬼共はね、仕返しをしているんですよ。この店の主であるあなたを生かさず殺さず、嬲って遊んでいるんですよ。餓鬼のころにやりませんでしたか?
蛙の尻に花火を突っ込んだり、意味もなく虫の巣を潰したり。あれと同じようなものですよ。だからでしょうね……」

 そうして言葉もなく、息もつめて固まっている男に構わず、ずっかり帰り支度を整えると、別れの挨拶代わりに私に見えている『モノ』を、男に教えてやった。

「今、あなたの周りを餓鬼どもが嬉しそうに取り囲んでますよ」

「御苦労様でした、木下先生。旦那様の容体は如何でしょう?」

 私が奥座敷から出てくると、いつもの場所で、いつものような卑屈な愛想笑いを浮かべて、小男が私を待ち構えていた。

「少々塞ぎ込んでおられるようでしたが、何、季節がらのものでしょう。格別心配はいらないと思います」

 私は当たり障りの無い答えを返した。どうせ説明したところで、面倒なことになるだけである。私の説明に小男はいつものように笑うと、探るような
目つきで私の顔を覗き込み、訊ねる。

「そうですか。それは良かった。……ところで、当分は持ちそうですか?」

 そうしてこちらも大方予想した通りの事を訪ねてくる。この男が私を出迎える時、いつも決まって訊ねることだ。私は素直に見立てたままを答える。

「そうですね。この調子ですと、今差し上げているものでも、後半年程は大丈夫でしょう。しかし以前もお話しした通り、これ以上のものをお出しする
となると、少々副作用がきつくなってしまいます」

「と、言うことは?」

 どこか期待を込めて小男が私の顔を見る。商売柄、良く見る目である。欲で曇った、どんよりとした瞳の色だ。私はそのまとわりつくような視線が嫌で、ぶっきら棒に答えた。

「今以上に意識の混濁が激しくなってしまうでしょうね」

 最早、あの座敷牢の男には、何処までがこの店の人間から聞かされた話で、何処までが自分が体験した話なのか、その境は分からなくなっているのだ
ろう。初めは演じさせられていた役割に、何時しか自分を重ね、自分が役そのものとなってしまったように。

自分の曽祖父がこの店を始めたと思いこむように、何時しか自分が買われて奥座敷に長い年月閉じ込められてきた子供だったことも忘れてしまったのだろう。

彼は人身御供なのだ。この店に喰い物にされてしまった餓鬼共の恨みつらみを晴らされるためだけの生贄なのだ。それも皮肉なことに彼らと同じように
買われて来た身でありながら。あの男もつまりは、恨みを負わされるためだけに買われた、哀れな餓鬼の一人なのだ。

 そんなことをツラツラと考えていた私に、目の前の小男の声が邪魔をする。

「いえ、それでも構いません。手前どもといたしましては、『旦那様』には出来る限りのことをして差し上げたいのですから。それに……」

 そこで小男は笑った。それはいつも見せる愛想笑いとは違い、卑屈さこそなかったが、醜悪で加虐趣味に溢れた笑みである。

「次の『旦那様』が決まるまでは、あの奥座敷で『お友達の皆さん』と『遊んで』いただかねば」

 それを私は聞こえない振りをし、聞こえても分からない振りをした。そして私がどこまで知っているのか窺うような、小男の厭らしい目を見ないようにして言った。

「それでは今日はこれで。次の往診は何時もの通り、来週に伺います」

 そう言うと私は愛想笑いの安寿屋の主から、妙に分厚い封筒を受け取ると、懐にしまう。

 勿論この封筒の中の金には、治療代だけではなく、口止め料も当然の如く含まれているのだろう。

 面倒事は、一切聞かなかった、見なかったことにする。

 これが永く危ない橋を渡る秘訣なのである。

「しかし何で餓鬼の骸なんぞ、ご丁寧に祀っとるんだ?」

 虎蔵が蜜柑を剥きながら、椎名さんに酌をしてもらっている美津里に訊ねた。美津里はほんのりと酒気の回った赤い頬をしながら、一口、猪口の酒を舐めると答える。

「なぁに、簡単な仕掛けさね」

「あん? どういうことだ?」

 蜜柑を頬張りながら虎蔵が頓狂な声をあげる。

「あそこは餓鬼を商っとったんだろう?」

「そうだが? それがどうした?」

 怪訝な表情の虎蔵に、美津里は得意げに言う。

「餓鬼は餓鬼を呼ぶのさ」

「何故だ?」

 手酌をしながら、今度は私が尋ねる。美津里は頬杖を突きながら小馬鹿にしたような流し目をくれると、私を鼻で笑った。

「何故だって? そんなの餓鬼でもわかるこった」

 刺身を摘みながら、美津里が悪戯小僧のように得気に笑う。

「遊び相手が欲しいからに決まってるだろう?」

 そう言うと、一息に猪口の酒を飲み干した。

Fin.

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