サイトウタカシハハタラカイ

「……ヒマだ」

寝転がってテレビのワイドショーを見ていた狐面の男が言った。

「……確かにヒマさね」

狐面の後ろ、頬杖をつきソファの背にもたれかかる右下るれろも、だらけた返事をした。

「……ヒマだヒマだと言っても、この雨じゃ、外に行っても何にもできませんよ。
というか、外に行くのも大変ですよ」

奥のキッチンから一里塚木の実が顔を出した。手にはティーカップが4つとティーポット、クッキー各種詰め合わせをのせた盆を持っている。
彼女の言うように窓の外は生憎の雨、それも現在進行形で三日目に突入中である。

狐面の男はゴロリと寝返りを打って、すかさず木の実がテーブルに置いたクッキーを一つ摘むと、顔と面の隙間から口に入れた。
そしてクッキーを頬張りながら言う。

「あ〜……、確かにそうだなぁ…… だからといって、こう、四六時中テレビ見たりゲームしたりネットしたりじゃ、流石に飽きてくる」

そう言いながらもう一つクッキーを摘み、テレビ画面に向き直った。

狐面の男のその姿を見て、るれろが秘かに眉間に皺を寄せる。そして木の実からティーカップを受け取るとそれを手の中で弄びながら、
実につまらなさそうにテレビを見ている狐面の男に言う。

「……狐さんさ、何か仕事でもすりゃいいんじゃないかな? 狐さんならさ、どんな仕事でもこなせるっしょ?」

「ヤダ。面倒くさい」

「……」


即答だった。一瞬の迷いもなかった。るれろの方を振り向くこともなかった。
その言葉の中にあったのは、本当に純粋に、『働きたくない』、という真直ぐな気持ちだけだった。

「……暗君さ」

だからるれろもそう呟くしかなかった。ただ狐面の男に聞こえないよう配慮する程度の節度は弁えていた。

狐面の男は三度目の寝返りを打つと、今度は両手一杯にクッキーを掴んだ。
どうやら一々クッキーを取るために寝返りを打つのが面倒くさくなったらしい。
そのついでに不審を視線に込めているるれろを見上げて言う。

「フン。いいんだよ、働かなくても。どうせ世界征服するぐらいの金ならあるんだから」

そううそぶくと、三度テレビ画面に向かうべく態勢を整える。
つまり、長時間の視聴に耐えられる楽な姿勢をとった。単に寝転がった、とも言う。

「……金を持つと駄目になる典型さ」

るれろは思わず狐面の男の背中から顔を背けると、わざとらしく目尻に手をやり鼻をすすった。

「そういやノイズの奴が見当たらないが、あいつ、この雨の中帰ったのか?」

だがそんな忠臣の姿に一向気づいた様子もなく、狐面の男は何ともどうでも良さそうに、誰にともなくそう訊いた。

「ノイズ君だったら、ついさっき狐さんの部屋に入っていきましたよ」

静かに紅茶の香とクッキーを楽しんでいた木の実が、三人を代表して答えた。
それを聞くと狐面の男は、ガバっと上体を起し、驚いた声を上げる。

「うお!? 本当か!? ノイズの奴、また勝手に俺のセーブデータ使ってんじゃないだろうな!? 
ったく、だからお前に空間製作頼んでたじゃないか、木の実!」

急に焦り始める狐面の男に、そんな挙動不審な対応に慣れているのか、木の実はおっとりと答える。

「誰かに部屋に入られるのが嫌なら、ドアに鍵をかけとけばいいじゃないですか」

木の実が尤もなことを言う。だがそんな正論など、狐面をかぶった傍若無人の前には通用しない。

「それが嫌だからお前に頼んだんじゃないかー。部屋に鍵なんかかけたら、引篭もりかニートみたいだろー」

それを捨て台詞に、狐面の男は自らのセーブデータを死守せんがため、
先程までの情けないほどだらけていたのと同一人物とは思えないほどの機敏さで自分の部屋に駆け込んでいくのだった。

そんな後姿を見送り、部屋の中から聞える大の大人と子供の騒がしい声を聞きながら、るれろが物悲しい溜息を吐いた。
そんな様子に、先程からるれろの足元でずっと体育座りで、一言も口を開かず週刊誌を読んでいた絵本園樹が、
遠くの物音を敏感に捉えた狼のようにピクリと反応した。

「どうしたの、るれろさん。溜息なんかついて? どこか具合でも悪いの? もしかして疲れてる? 
栄養剤でも注射しようか? 精神安定剤くらいなら常備してるよ?」

「……何処も悪くないさ。だからそんな獲物を見るような目で見ないでくれさ」

 

自分を見上げる園樹の瞳に凄惨な光を見たるれろが、ソファの端に逃げる。
じいっと全身を舐めまわすように粘りつくような視線を送る園樹に、一応安全と思われる距離を取ると、るれろは言葉を続ける。

「何でもないさ。ただ最近の狐さんを見て、ちょっと思うところがあるだけさ」

光の角度を考慮し、顔の角度に微調整を加え、顔に深めの陰影を刻みながらるれろが言った。割と深刻っぽい感じである。

「……それは聞き捨てならない話題ね。つまり、るれろは何が言いたのかしら?」

 

ティーカップをテーブルに置くと、木の実がるれろに訊ねた。るれろもその反応を待っていたようで、木の実に挑戦的な流し目を送ると、
いかにも悲劇的だとでも言いた気に両手を広げ天井を仰ぎ、大げさなジェスチャアを見せた。
どうやら場を盛り上げるための演出の一環のようである。

「つまり!」

るれろはその一言に力を込める。

「つまりいーちゃんとやりあってた頃の!! あの頃のギラギラを忘れちまったのさ!! 今の狐さんは!! 
そんな狐さんは、ぶっちゃけ只の中年ニートじゃないのかってことさ!!」

自分の言葉に反応して、徐々にヒートアップするるれろ。白熱するに従って、オーケストラの指揮者よろしく両手を振りまわし、熱弁をふるう。
よっぽど何か溜っていたのだろう、今日のるれろはやけに熱かった。

そんなマグマのようなるれろの弁舌に、木の実はその熱気にあてられることなく言葉を紡ぐ。
るれろを火とするなら、木の実は氷。その冷静さは、電気抵抗すらも零にすることもできるかもしれない。

「確かに今の狐さんは、始めていーちゃんと戦っていた頃のカリスマ性とかギラギラさとかはなくなってしまったかもしれない。
……けどね、……狐さんは只のニートじゃないわ……」

落ち着いた木の実の声の中に、静かに燃える青い炎が灯る。
それは木の実の内に流れる感情の迸りがもたらす、神経電流の炎なのかもしれない。
その炎はある一点を超えると、一気に膨大なエネルギーを撒き散らし爆ぜる鬼火である。

「狐さんはナイスミドルなニートよ! 
そんじょそこらのニーと予備軍や、就職難とかにかこつけた昨日今日ニートを始めたようなヒヨッコとは格が違うのよ! 
狐さんは言わばニートの中のニート! ニートのキングオブキングスなのよ! そこは間違えちゃダメ!」

「……結局、それってどっちも同じなんじゃ……」

一触即発の二人のやり取りを聞いていた園樹が、激しく散る火花の下で呟いた。

しかしその火花が散り続けることはなかった。

今にも二人が自分の能力を無駄な方面に行使しようとしている、そんな修羅場に、水を差すように間抜けな音が響いた。
それは来客を告げるインターフォンの音である。

「あら? こんな雨の中、誰かしら?」

目から迸らせていた火花を一端収めて、木の実がソファから立ち上がる。

「どうせ宅配便かなんかさ」

毒気を抜かれた面持ちのるれろがソファにだらしなく寝そべりながら言う。
それはまるで先程から話題になっている中年無職のようである。

「狐さんがピザでも頼んだんじゃないかしら?」

小型げっ歯類のように両手で小さなクッキーを抱え、チビチビと齧りながら園樹も言った。
雑誌には飽きたらしく、こちらも先程までの彼らの首魁の如く、テレビ画面に見入っている。

「そうかもね。でも、ピザぐらいなら私が作ってあげるの……」

可愛らしさをアピールするように口を尖らせて残念そうな声をあげ、木の実は片手に印鑑、片手にパンパンに膨れ上がった財布を持ち、玄関に向かう。

「いやあ、やっぱりピザといえば宅配に限るのさ」

その背に向かってるれろが言う。

「ん? どうして? るれろさん」

ようやく小さなクッキーを食べ終わり、一生懸命に紅色の水面に息を吹きかけ冷ましながら、
紅茶をチビリチビリト舐めるていた園樹がるれろに訊ねる。
るれろはヒョイヒョイとクッキーを口に放り込み、ガブガブと紅茶で流しこんでいたが、
その問いに答えるまでに、さらにクッキーを二つと紅茶を一杯一息に飲み干した。

「理由なんてないさ。適当に言っただけだから気にしなさんな」

間を置いた割に、大した答えではなかった。

「うん。そうするー」

園樹は十分に冷めた紅茶を舐めながら、気もそぞろに頷いた。
意識は、大物タレントが一見親身に視聴者の悩み相談に答えているように見えるバラエティ番組に釘づけられたままである。

割と酷い対応である。どうやら健康な人間に興味はないらしい。
それとも、現実の友人より液晶画面越しの人間の方が面白いのかもしれない。

そんな良く冷えたアイスティーのような空気の中に、玄関からキインとした木の実の驚いた声が飛んできた。

「どうしたのさー! 変態の人でもいたさ?」

気まずい空気を打ち破る好機と、るれろが慌てて声を上げて木の実の声に応じる。

「ピザの配達でも宅配便でもなかったわー。それに変態の人でもないわよ。
そんなこといっちゃ、彼でも怒るかもしれないわ」

「彼? 彼って誰のことさ?」

不審げにるれろが訊いたが、木の実はそれに答えずに、

「まあちょっと待ってて。もうそろそろ来るころだから」

とだけ言った。
彼らが溜まり場所にしているこの最高級マンションは最新最高のセキュリティを備えている。このマンションの住人を訪れた者は、
入り口で暗証番号を入力するか、マンションの住人の側から自動ドアを開けてもらわない限り、マンションに入ることもできない。
そのため、インターフォンが鳴ってから、目当ての住人の部屋までに到着するまでに若干のタイムラグが生じるのである。

そうしてしばらくすると、木の実の足音に混じり、部屋の外の微かな雨音が聞こえ、この雨の中をわざわざ誰かがやって来たことを告げた。

リビングに戻ってきた木の実は、驚きと楽しさが入り混じった不思議な表情をしていた。加えて両手を背にまわした素振りは、明らかに挙動不審である。

「……で、結局、一体全体誰が来たのさ?」

どうせ身内の誰かだろうと高を括っているのか、るれろは大して気乗りしないのがありありと分る声で木の実に訊ねた。
だが木の実は、そんなるれろのを見ても楽しそうな様子を陰らせることもなく、むしろより嬉しそうな顔をする。
余程来客の持つインパクトに自信があるようだ。

「……さ、どうぞ。入ってらして」

二人の注意が自分に向いたことを確かめて、まさしく『満を持して』というように、木の実がスッと体を退けて後ろに控えていた人物をリビングに迎え入れた。

そこに立っていた人物を見て、思わずるれろが感嘆符を声と表情に浮かべた。

「皆さんお久しぶりです。るれろさんも絵本さんも、その後はお変わりなく?」

「わっ! いーちゃんさっ! どうしてここにいるのさ!」

るれろの声に、テレビに魅入っていた園樹も億劫そうに視線を声の主の方を向き、猫のように瞬時に瞳孔を拡大させると、そのままの姿勢で停止した。

『影が立つ』の言葉の通り、三人の話題に上がっていた当の本人、
狐面の男こと西東天の宿敵、
そして木の実を始めとする十三階段とも対峙したかつての御敵、
現在『職業・正義の味方』(兼『何でも屋』)、『戯言遣い』いーちゃんその人である。

みんなの注目を浴びているということがいささか気恥ずかしいのか、後ろ頭を掻きながらいーちゃんが言う。

「いやーそれがですね、ついさっき狐さんからメールがあったんですよ」

それを聞いて、るれろがソファからずり落ちた。そのままソファの背もたれに寄りかかりながら、いーちゃんを見あげて尋ねる。

「……何で狐さんはいーちゃんのメアド知ってんのさ?」

「はあ」と気の抜けた返事をすると、いーちゃんは続けて答えた。

「狐さんがしつこく訊くもんだから教えたんですよ。そうしたら毎日メールがくるようになっちゃって」

「……あの人は……本当に……」

顔を覆った手の隙間から、るれろの吐息が漏れた。そんなるれろに同情したのか、いーちゃんは眉間に皺を刻んだ。
しかし口調は平生と変わらない飄々としたままで続ける。

「『今すぐ俺んちに来い!』っていうんですよ。僕は雨降ってるし、面倒くさかったんで、先約があるからって嘘ついて断ろうとしたんですけど、
『お前、請負人始めたんだろ? じゃあ俺が今から依頼するぞ。俺んちに来て格ゲーの対戦相手になれ。ノイズじゃ強すぎて、俺の手に負えん』っていうんですよね。
それで仕事じゃ仕方がないので、こうしてまかりこしたってわけです。……何だかんだで結構な額をお支払いただけるみたいですし……」

あまり似ていないモノマネを交えたいーちゃんの状況説明が終わると、居間の音は、
テレビから流れる肝臓をアルコールで悪くしたような浅黒い顔をした司会者のしゃがれた声だけになった。

しばらくの沈黙の後、木の実が悩まし気に息を吐いた。

「もう狐さんったら。格ゲーの相手なら幾らでもしてあげるのに……」

どうやらいーちゃんの言葉を脳内変換するのに時間がかかっていたらしい。

妄想状態に突入し始めた木の実を見ながら、顔の前で手を振りながらるれろが言う。

「逆に木の実だと弱すぎて勝負にならないさ。波動拳も打てないんじゃあ相手になんないさ」

そして背伸びの要領で反り返り、るれろがいーちゃんにきく。

「でもどうしてここがわかったのさ? 診療所は引き払ったはずなのにさ?」

だがるれろの問いに今度はいーちゃんが驚く。

「え? 引越しましたって絵葉書が来ましたよ? あと暑中見舞いに、残暑見舞い、年賀状、それとお中元にお歳暮も毎年。
あっ、木の実さん、去年頂いた新巻鮭、美味しかったです。そうそう哀川さんも食べたんですけど、『親父にしちゃ中々気が利く』って絶賛でした」

「……どーしてこう妙なところで律儀なんだろうさ、あの人」

指折り数えながら飄々と応えるいーちゃんに、額を押さえて呻くるれろ。もしかすると思い当たる節がいくつかあるのかもしれない。

目の前で独り悶絶し始めるるれろから、いーちゃんはあっさり視線を外し、妄想モード真っ最中の木の実をかなり冷静な目でみる。
こういう手合いは馴れていると言わんばかりの落ち着きようである。

「それで木の実さん。呼びつけた本人はどちらにおられます?」

ボーっとあらぬ方向に妄想を投射していた木の実が戻ってくるのに数秒かかった。
さらにいーちゃんの言葉を吟味するのに数秒かかり、そしてややあってまだ熱っぽさの抜けない口調で言う。

「狐さんなら、そこの廊下の突き当たりの部屋にいるわ」

「ありがとうございます。それじゃ、ちょっと失礼しますね」

いーちゃんはぺこりと軽く会釈すると、
妄想を再開する人、
悶絶を延長する人、
二人を無視して三角座りのまま石のようにピクリとも動かずテレビ画面を凝視している人、
を放ったまま、廊下の奥へと歩いて行った。

「おお、来た来た! 待ってたぞ、いーちゃん! しょーぶしょーぶ!」

リビングからいーちゃんの姿が消えると直ぐに、廊下の奥から矢鱈に元気でよく通る狐面の男の声が響いて来た。
子供のようにはしゃぐ声から、今か今かと部屋から顔を出し、いーちゃんがやってくるのを心待ちにしていたのかもしれない。

いーちゃんが何か返事し、狐面の男が早く部屋に入るようにと急かす声がしたかと思うと、直ぐにコントローラーがガチャガチャと唸りをあげ始めた。

「ちょ、いーちゃん! お前それ酷すぎるだろ! なんでそんなに強いんだよ!」

「僕も若者のご多分に漏れず『その手のゲームはもうやり飽きたぜ』、ってところですから。それにノイズ君は僕の代わりだったんでしょ? 
じゃあ僕の腕前もノイズ君と同等だと考えるのが、普通じゃないですか?」

「……うおっ! その通りだ!」

「……気づいてなかったのか、この人」

狐面の男の悲鳴と怒声と、いーちゃんの得意げな声が廊下を走り、リビングに届く。

それを聞いて悶絶中のるれろが呻き声をあげた。
まるで歯痛に頭痛も加わったように憎々しげな、はたまた獣が喉の奥しぼりだしたような、そんなくぐもった音だった。

「……かつての敵と楽しそうに遊んでるさ」

「……ある意味、闘ってるみたいだけどね」

眼鏡にテレビ画面を映しながら、園樹が答えた。

「……やっぱり駄目人間さ。駄目よダメダメ人間さ」

るれろが今日何度目かの溜息を吐いた。

「……素敵」

木の実の口からほうと息を吐いた。

「……まあ、十三階段で仕事してるの私だけだから、みんな狐さんと変わらないんだけどね、本当は……」

テレビ画面から視線を外しソッポを向いて、園樹は誰にも聞こえないように呟いた。

外は生憎の雨。未だやむ気配は、ない。

FIN

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