鵺 〜In The Bush

狂人を捕らえた猟師の証言

 ああ、あいつを見つけた時の話が聞きたいんですかい?

 そりゃあ、話してもかまわねぇが、お嬢が聞いて楽しい話じゃありゃしませんぜ? 

はぁ、まぁ、そこまで言うなら、あっしは構いませんが…… あいつを見つけたのは、山で猟をしてた時、追いかけてた猪を見失っちまった時のことでさ。
崖の方から心此処に在らずっていうのか、魂消えたっていうのか、まぁそんな感じでフラフラと歩いてくるのを見つけた次第で。
……見つけた時? そりゃまぁ、ギョッとしたねぇ。なんせ藪から全身血と泥塗れの奴がノソっとでてきやがったでしょう、肝っ玉に自信のあるあっしでも腰を抜かしそうでしたよ。

……そうさねぇ、あいつは声をかけても返事もしねぇし、それどころかまるで何にも聞こえてねぇって顔してブツブツ何か呟いてるばっかりだったもんで、薄気味悪いったりゃなかったですよ。しっかし、あっしも長いこと山に入ってますが、あんなのは初めてで
……否、一度だけ天狗に出くわしたことがあったが、あの時の何倍も肝が冷えましたねぇ。
……何でかって? そりゃ天狗には言葉が通じるからですよ。だけどあの野郎は見た目は人間でも、言葉が通じやがらねぇんだから、何されるか分かったもんじゃねぇ。

それじゃあ何で捕まえたかって? イヤイヤ、俺は捕まえてねぇんですよ。それは郷のもんが勝手に言ってるだけで、本当はアイツが勝手にあっしについてきたんでさ。やっとあっしのことに気がついたかと思うとこっちが聞いてることには答えないで、人郷まで連れてってくれって、こう言うんですよ。それであっしが、「何かあったのか?」って聞いたら、あいつはね、

「おっかさんを殺した」

って、急にシャッキリして真面目な顔で言いやがるんです。そんなの、すぐに信じられねぇでしょう? 多分あっしは妙な顔をしてたんでしょうね、そしたらアイツが「信じられないなら、ついて来い」、って言うんです。正直な所、あっしはおっかなくってさっさとそこから逃げ出したかったんですが、もしコイツが妖怪で、あっしが逃げたのに気がついて追っかけてこらたらと思うと、余計に怖くって、仕方なく後についていったんです。言うとおりにしてる間は、悪さもされないだろうと、そう思ったんでさ。で、ついて行った先にアイツの言うように、本当に婆さんの亡骸があったんでさ。

……酷いなんてもんじゃねぇ、間違ってもお嬢は見ちゃいけねぇ。物覚えの悪いあっしでも、時々瞼の裏にちらつくんだ。お嬢が見ちまったらそりゃ悲惨なことになっちまう。なんせ顔なんてグチャグチャで、潰れた西瓜みたいに

……おっといけねぇ。こんな話、聞いてもいい気分はしませんや。俺も話してたら、あの時の婆さんの顔が見えてきちまう。
……なぁお嬢、この話はこれくらいで勘弁してもらえませんかね?

次で終り? おうおう、代わりと言っちゃなんですが、何でも聞いてくだせぇ。何? アイツが何て呟いてたか覚えてるか? 何だそんなことですかい。ちゃあんと憶えてますぜ。アイツはな、こう言ってたんでさ。

「おっかさんは、やっぱり妖怪だったんだ」

 

二人を知る近所の老婆の世話話

 何だい阿求ちゃん、あそこの家のことを聞きたいのかい?

 ああ、あの事でねぇ。それは大変だねぇ。けれど、あたしなんかで阿求ちゃんの役に立てるかねぇ。

……ああ、二人はそりゃ仲が良かったよ。郷でも評判の孝行息子だったからねぇ。畑仕事の合間でも、家で伏せってるおっかさんが心配だって、何度も様子を見に家に帰るくらいだったからねぇ。うちの息子もあれくらいの甲斐性がありゃねぇ。

……っとと、あたしの話じゃなかったねぇ。……その話はまた今度? そりゃ聞いてくれるんなら、何度だって喋らせてもらうよぉ。あの子にゃ、言いたいことが山ほどあるんだ。

……ああ、あそこの家のことだったね。そうさ、あの子のおっかさんはさ、もう随分前から体を壊して伏せっちまってるのさ。元気な頃は二人で畑を耕してたんだがねぇ。おとっつぁんは、早くにおっちんじまったのよ。体を壊したのもね、それでみたいなのさ。それからはずっと息子が一人で頑張ってたんだよ。最近は薬代の足しにでもなればなんて、山に入って山菜取りなんかもしてたねぇ。……それがねぇ、あんなことになるなんて。ねぇ、阿求ちゃん。なんかの間違いじゃないのかい? あの子が、おっかさんをとっちめちまったなんて、今でも信じられなくてねぇ。

……え、そりゃおっかさんと話したことなんか何度だってあるさ、なにせうちは近所なんだからね。

……病気になってからかい? それがねぇ、ほとんど話すこともなくなっちまったねぇ。なにせ家から出てこられないんだから。そりゃあたしたちだって、見舞いやらなんやらで家に行くことはあったよ。けどね、あの人、元気な頃と随分と変っちまってね、気難しくなっちまった。こっちが何を言っても、ムスッとした顔をするだけで、しわぶき一つ返しゃしないんだ。最初はみんな病気のせいだから、なんて言ってたんだけど、そのうち誰もあの人に話しかけなくなっちまったのさ。そりゃ何にも返事してくれないんだから仕方がないよぉ。

……あたしかい? ……ああ、確かにあたしは歳も近いし、長いことの近所付き合いがあるから、それでもちょっとした用を頼まれたりしてたから、他の者よりはちゃんと口をきいてたけどね。

……へ? ……ああ、阿求ちゃん。アンタはやっぱり賢いねぇ。どうして知ってるんだい? あたしは誰にも言わなかったんだけれど……はぁ、けど、阿求ちゃん。本当に誰にも言わないでおくれよ。あたしが誰にも言わなかったってのはさ、あんまり気味が悪くってさ、言いたくなかったからなんだ。

随分前のことさ、男衆が秋の刈り入れの段取りをつけてる間、あの子におっかさんの様子をみといて欲しいって頼まれたのさ。何でも急に冷えてきたからってんで、また体を壊してるんだと。まぁそれくらいなら大したことでもないし、あたしも引き受けたのさ。様子をみるったって、やることなんてなかったんだけどね。何せあの人は床に伏せってるだけで、眠ってるのかだんまりを決め込んでるのか、わかりゃしないんだから。そうしてるうちにさ、あたしゃ聞いちまったんだ。何って? 寝言だよ、寝言。どんな夢を見てたんだろうねぇ。あの人はウンウンうなされてた。体中汗びっしょりにして、こう、胸を掻き毟ってね、うなされながら必死の形相で、うわ言を言ってたんだ。

「息子は妖怪だ」

 

老母殺しで捕らえられた狂人の告白

おっかさんは妖怪だったんですよ。妖怪だったんです。だから殺したんです。俺が憑り殺される前に。それだけですよ。それだけのことなんです。
もっと落ち着いて? 俺は落ち着いてますよ。

……分かりました。どこから話しましょうか。うちのおっかさんが、体が弱かったってことは? ああ、隣のヨネさんから聞いてる? そうですか。ではそのことから、話し始めましょう。

昔っから、おっかさんは体が丈夫な方じゃなかったんです。親父が達者な頃は、それでも畑仕事を手伝ったり、藁を編んだりしてました。けどちょくちょく体を壊して、今みたいに伏せっていました。だから俺も物心着く前から、俺も親父を手伝って畑仕事をしてたんですよ。そうしないと、親父まで体を壊しちまいそうだと、子供心に思ったからなんです。それくらい、親父はよく働きました。……働きすぎだったんです。

親父は七年前にポックリ逝っちまいました。おっかさんより何倍も丈夫だったのに……その年の流行り病にかかってね、呆気ないもんです。おっかさんは、親父が亡くなってからというもの、昼間っから家に籠もって泣いてばかりでした。だから親父の代わりに、俺が働きました。郷の者も手伝ってくれたので畑は何とかなりました。そうして随分たったある日のことです。俺が畑から帰ってきたら、いつも聞こえていた泣き声が聞こえないんです。嫌な予感がして慌てて戸を開けてみると、おっかさんが土間に倒れてました。弱い体で泣き続けたから、悲しい気持ちが体を壊しちまったんでしょうね。それから今まで、寝たきりになっちまいました。俺はね、そんなおっかさんを見て、自分が親父の代わりにならなきゃって思って、ずっと面倒を見てきました。畑仕事をしながらだと、そりゃ大変ですよ。でもね、阿求さん。阿求さんが考えてらっしゃるほどの事じゃなかった。これはここまででかくしてもらった、その恩返しなんですからね。寧ろ、受けた恩を返せるいい機会だと思ったくらいです。親父に返せなかった分まで、おっかさんには少しでも楽させてやろうと、仕事にも精が出たってもんですよ。

けどね、今から三年くらい前のことです。気がついちまったんですよ。おっかさんは、もう随分前に死んでるってことに。今家に居るおっかさんは、本当のおっかさんを殺して入れ替わった、妖怪なんだってことに。ほら、昔話であるでしょう? 化猫が婆さんを殺して入れ替わり、宿を借りにくる旅人を食い殺していた、あの話です。今家の中にいるおっかさんは、その話と同じように、化猫がおっかさんのふりをしてるだけなんだって。多分、親父が死んだのも、あの妖怪に憑りつかれたからなんです。あんなに必死に働いていた親父を殺したんです。二親を殺して、そして今俺を殺そうとしている妖怪なんて、許せるわけないでしょう?
だから殺したんですよ。自分の身を守るために、親の仇を討つために。

どうして妖怪と入れ替わってることに気がついたのかって? 確かにあの妖怪は、実に上手く化けてましたが、それでも油断している時ってのはあるものなんですよ。その日もおっかさんは朝から調子が悪かったんです。だから昼過ぎ頃に畑仕事に一段落をつけて、おっかさんの様子を見に帰ったんですよ。おっかさんは朝と同じに、土間に背中を向けて眠ってたんです。それがね、どうも様子がおかしかったんですよ。俺が聞いたことない獣みたいな唸り声を上げてたんです。俺は慌てておっかさんに駆け寄りました。その時、むこうを向いてたソレが寝返りうったんで、その顔が見えたんです。初め、それが自分の母親の顔だとは信じられませんでした。皺だらけの顔のあっちこっちがひきつり、眉はキッ ときつく吊りあがって、口は歪んで相変わらず獣じみた呻きをあげていました。掻き毟るように胸元に当てられた手は骨と皮だけ。薄らと浮き上がる血管がその上をミミズみたいに這いずりまわっていました。そんな人の物とは思えないような手が、今にも俺の体に爪を突き立てようとするように、鉤の形に曲って固まっているんです。まるで大きな老いた狼みたいでした。それを見た時、眩暈みたいなものを感じましたよ。自分や父はこんなもののために、こんな姿のおっかさんを見るために、あんな苦労をしてきたのではないと。毎日毎日泥にまみれ、畑から帰ってきてからはおっかさんが咳き込むたびに心配してきたんではない、そう思いましたよ。俺たちのおっかさんなら、こんな姿をしているはずがないと。人でないなら、目の前の者は妖怪に違いないと、そう気がついたんです。
それから俺は妖怪の様子に注意をしていました。何せ自分の思い違いなら、俺は身内を殺そうとしているわけですからね。でも考えれば考えるほど、アレはおっかさんだと思えないんですよ。俺ともほとんど口をきかないし、飯だってほとんど箸をつけない。時々俺のことを黙ってジッと見つめてくるんで、俺が疑っていることに気がついたんじゃないかと思う時が何度もありました。これは早く手を打たないといけない。グズグズしていると、反対に自分がやられてしまうと、そう思と、情けないことに震えてしまいました。

俺はどうにかしてこの妖怪を殺そうと算段を立て始めました。相手は妖怪。油断しては殺されちまうのは俺の方です。だから何とか騙し討とうと、親父の墓参りに行こうと言ったんです。これは良い考えだと思いました。親父の名を出すことで、親父も自分の仇討ちができるのですから。墓は郷の墓地、山の端、奥まった、あまり人の来ない所にあります。墓前に着くと、殊勝気に墓に手を合わせるおっかさんの背中に回り、予め見つけておいた手頃な石を振り上げて、「おっかさん」って呼んだんです。どうして名前なんて呼んだか? 気づかれて反撃されてしまうかもしれないのに? ……確かに、どうしてでしょうね。ただ「おっかさん」って呼ぶのもこれが最後だろうと思ったからでしょうか。それともこの最後の最後に、本当におっかさんかどうかを確かめようとしたのかもしれません。そこは俺にもよく分かりません。誰にも分からないでしょう。

でも、これが決め手になったんです。アイツは、妖怪は、ついに自分の正体を見破られたと思って観念したのか、本性を表したんです。

おっかさんが、本当の妖怪に見えたんです。見間違いじゃありません! あんな怖ろしいもの、生まれて初めて見ました。……どんな姿だったかって……それは、その、あんまり怖ろしくてよく憶えてないんです。けど見た瞬間に、体中の毛が逆立つような気分がしましたよ。ここで殺さなければ、きっと今度は自分が殺される番だ、とそう思いました。

だから振りかぶった石を、力一杯その顔に叩きつけました。熟れすぎた西瓜を砕くような音がして……後は憶えていません。俺を見つけた猟師が言うには、妖怪の死体は獣が食い荒らしたみたいにグチャグチャになっていたそうですから、きっとずっと石で打ち続けていたんでしょうね。気がつけば俺は人郷にいて、そして村の男衆に周りを囲まれていました。

俺の話はこれだけです。裁きは村の皆に任せますし、背いたりはしません。

 

霊媒に降りた老母との対話

私の息子だと思ってけれど、あの子は妖怪だったんですよ。いえ、妖怪になってしまったんです。……多分、私のせいで。

皆の言う通り、私は生まれつき体が悪うございました。季節の変わり目などには体がだるくなってしまいまして、特に春の種蒔きやら、秋の刈り入れの後などは必ず寝込んでしまいました。だから夫やあの子には随分と心配をかけたことと思います。夫は、こんな私を随分と大切にしてくれました。働き手になれないどころか、お荷物に過ぎない私には、過ぎた夫だったと思います。だから私はせめてあの人が欲しがった子供だけでもと考えたものです。夫には秘密にしていましたが、郷の神社にお百度をしたりもしました。おかげさまであの子を授かることができて、私は本当に幸せでした。

あの子は私には勿体無いような、本当に立派な息子でした。周りの子供たちと遊びたい盛りにも、嫌な顔一つせず私や夫の仕事の手伝いをしてくれました。でも……だからでしょうね。私たちは知らぬ間に、そしてあの子自身も気づかぬうちに、苦労をかけていたんでしょう。

あの子が一人前になる頃、私はその冬の寒さが身に堪えて、また体を壊してしまいました。それでも少しでも元気のある時は縄を結ったりしていたのですが、今思えばそれがいけなかったのかもしれません。結局、私はそのままずっと伏せりっぱなしになってしまいました。そのせいで夫は少しでも良い医者に見てもらい、良い薬を貰おうと、随分と無理をしたようです。死んでから知ったのですが、迷いの竹林の奥に良い先生がいらっしゃるとか。もし私が生きている頃にそれを知っていれば、私もこれ程夫に迷惑をかけなくて済んだでしょうし、夫も流行り病で死ぬこともなかったのでしょうね。

そう、夫は流行り病で亡くなりました。外に出た時に貰ったのでしょう。夫はすぐに亡くなりました。見つけたのは息子でした。葬式は、郷の者がしてくれました。私は伏せったまま何も出来ず、ただ流されるようにそれを見つめることしかできず、そして気がつけばあの人は棺桶にいたのです。あっという間でした。あの時ほど、私は自分を恨んだことはありません。いっそのこと、誰かが私を「旦那が死んだのはお前のせいだ」と言ってくれれば、気がすんだのかもしれません。けれど誰もそんな風には思わなかった。私は病に伏せり、頼りにしていた夫にまで先立たれた、可哀想な女でしかなかったんです。だから私は、夫にも、そしてあの人を立派に手伝ってくれていたあの子にも申し訳がなかった。 けれど察しの良いあの子は、父親が死んだのは私のせいだと気がついていたみたいでした。何故かというとあの人が納まった棺が出て行く時、あの子が物凄い目で私を睨んでいたからです。ただその目も一瞬で、すぐに悲しそうに涙を零してしまい、それ以上確かめることはできませんでした。

それからあの子がずっと私の面倒を見てくれました。信じられませんでした。私はてっきりあの子に捨てられるとばかり思っていたものですから。それをあの子は「おっかさん、おっかさん」と慕ってくれたのです。けれど、それでも私はあの子が怖くてなりませんでした。畑仕事から帰ってきた時なんかにあの子がふと見せる、あの目。私が父親を死なせたんだというあの目。葬式の時に見せたあの子のあの目が、時々、私を見ているような気がしてならなかったのです。きっとこの子は私を恨んで、いつか私に罪を償わせようとするんだ、とそんな風に思うと、怖くて怖くて、そのうちに私は息子の顔もまともに見れなくなり、そうして言葉を交わすこともすっかり減ってしまいました。

本当に愚かしいことなのですが、生きている頃、薄暗い家の中でずっと横になっていると、あの子のあの目ばかりを思い出して、あの子は私の息子じゃないんじゃないか、なんて思い始めてしまったんですよ。あの子は私を恨むあまり、妖怪になったんじゃないかってね。けれどそうしてみますと、不思議なものでございます。あの子の一挙手一投足がそのように見えてくるんです。戸を開ける仕草や、寝ている私を覗き込む時の表情なんかが、人間ではないように思えてくるのです。まるで息子ではない何か別のものが、息子の皮を被って、私を殺そうとしている。そんな風に思えてしまうのです。

だからあの日、墓参りに行こうとあの子が言った時、私は覚悟しました。終にあの子が妖怪の本性を表して私を食い殺すんだと、病で弱った私はそう信じて疑いませんでした。どうして誰かに助けを求めなかったのか、ですって? そんなことをして何になりましょう? 「息子が妖怪になってしまった。どうか助けてくれ」、そんなことを誰が信じるというんです? 「病気がちで少し頭がおかしくなってしまった」と思われて、誰も相手になんてしてくれなかったでしょう。それに私はこれを天罰だと思っていました。あの人を病で死なせ、そしてこの子にもずっと苦労をかけ続けた私への罰なんだと。だから私はこれを受け入れようと思いました。ただせめて息子の振りをして私を苦しめ続けた妖怪の正体を見てやろうと、それだけを考えていました。

山に入り、あの人の墓前にやってくると、妖怪は私の背中にまわりました。そして「おっかさん」と私を呼んだんです。私は振り向きました。その声が、昔から少しも変わらない私の息子の声、そのままだったからです。だから振り向いて、実はそこにいるのが、私の息子に違いない、私がお腹を痛めて産んだ子に違いないと、確かめたかったんです。

けれど違ったんです。振り向いた先にいたのは、正真正銘の妖怪でした。鉤爪を高々と振り上げ、今にも私を八つ裂きにしようとしていました。私は逃げようとしたのですが、無理でした。そして私はそのまま死んでしまったのです。

え? 妖怪の姿ですか? それが良く憶えていないのです。確かに鉤爪があったように思いますが、実はそれも定かではないんです。ただとてつもなく怖ろしい妖怪だったのは間違いがないのですが……もしかしたら死んでしまうと、生きている頃のことも少しずつ忘れていくのかもしれません。今では息子の顔すら朧にすら思い出せませんから。

今は次の生を受ける時まで、ここでゆっくりしたいと思います。体がないということは病気もしないということです。ここでの暮らしはすごく満足しているのですから。

 

別の取材で出会った封獣ぬえの話

 はははっ! いや愉快愉快! そんなことがあったんだ。私が地下にいる間も、幻想郷は相変わらずだったんだね。

 相変わらずといえば、妖怪やお前みたく変った人間だけじゃなく、普通の人間も相変わらずなのかな? いやね、この前、とても変わった人間を見つけたから、人間もすっかりかわったのかと思ってね。

何、その話を聞きたい? お前も妙な話が好きだね。よし! ここはお礼といっちゃなんだけど、その時の話をしてあげるよ。

どれくらい前かは忘れちゃったんだけど、私が人郷近くの山を飛んでいた時のことなんだ。滅多に人間なんて見ない奥の所に、婆さんと若い男がいたんだ。こんな何にもない、岩ばっかりの所で一体何してんだろうと気になって、しばらく隠れて様子を見てたんだ。そうしたらさ、その若い男が手にでかい石を持って、婆さんの頭の上に振り上げたんだ。これはヤバイなって思ったんだ。何がどうなってるのかは分からないけれど、このままほっとくのは不味いなってさ。婆さんを助けたいっていうか、若いのの邪魔したいっていうのかなぁ? 聖からもあまり人間に迷惑をかけるなって言われてるし、偶に役に立っとけばそれで悪戯した分も帳消しになるんじゃないかって思ったのよ。確かに婆さんが死んじまっても、私には何の関係もないわけだけどさ、見てみぬ振りをするってのも、なんか違うような気がするじゃない? とはいえ部外者の私がしゃしゃり出るのもおかしな話だし。それに私は妖怪。だから、妖怪は妖怪らしく自分の能力を使うことにしたの。で、後は成り行きに任せようってね。
私の能力? 私の能力は、正体を判らなくすること、ただそれだけ。それでも人間って奴は正体の判らないものを極端に怖がるからね。だから若いのが妖怪に変って、婆さんが驚いて逃げるも良し。正体の知れない妖怪を相手にしてるって思って、若いのが怖くなって石を捨ててもまた良し。どっちに転んでも婆さんは死なないし、若いのも人を殺さない。ね? いい考えでしょう? けど、そこからは予想外だったの。多分、二人とも相手が妖怪に見えてるはずなのにさ、婆さんは逃げもしないし、若いのは持ってた石で婆さんを滅多打ちにしちゃうし……私の方が驚かされちゃったわ! 小傘がめっきり人間を脅かしにくくなったって意味、よく分かったわ。今の人間は、昔より好戦的になっちゃったのねぇ。そりゃ聖が妖怪を助けようとするわけよ。

本当に人間は思わぬことをする。妖怪よりもよっぽど怖ろしいね。

 

日当たりの良い風の強い某日 稗田阿求記す

あとがき

Inthwoodsらしいが「ブッシュだろ」ということでブッシュに。「倍ブッシュだ」なんじゃそりゃ。

 どうも最近HPの更新をサボりガチな黒狗です。今回は、東方臭がしない&後味悪い&自作コピ本という、ヘレンケラー並の三重苦を抱えた、誰得本になっております。何かを期待されて手に取られたかたがいたら、すいませんでした。けどうちのサークルや私のとこのHPを知ってらっしゃる方々なら、「どうせお前はこんなとこだろ、けっ」と判ってくださるはず。……ああ、百科辞典の角で殴るのだけはやめて……

今回は芥川リスペクトということで、「藪の中」をイメージしてみました。というわけで話もやや暗い感じで。前々から一度東方でダークな話や、どろどろした話を書きたかったので、本人としては「してやったり」という、自己満足で一杯です。あとはこれを楽しんでくださるゲテモノぐいの方がいらっしゃればこれに優る幸いはありません。ドロドロ、ダークというところでいけば、人が集まる所には、やっぱりそんなあまり見たくない部分というものが出てくるのだと思います。それは幻想郷とて例外ではないでしょう。そういう思いをぶつけてみたりもしてます。嘘じゃないですよ! 後はぬえを入れたかったというのも、大きな理由の一つでしょうか。初めて能力を見た時、こいつほどミステリに合う奴はいないと直感したもので。ただ今回はちょい役だったので(それを言うと主人公のはずの阿求なんて、全然出てないわけですが)、今度はもっと派手に活躍させたいものです。そんなこんな。

HP版あとがき


*↑ここまでテンプレ いつかのコピ本「吉凶7/7」にのせたものです。因みに私が凶サイド。安定のクォリティでございます。
今回HPに(ようやく)のせるということで読みなおしたのですが、我ながらいい作品だと思います。黒いの好きなので・・・
なので勝手ながらこんな作風が好きな人は、私と同じ変態と認定します。
異常。

Fin.

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