彼女の夏休み 〜A summer Night's Dream

「四季様。彼岸もすっかり寂しくなってしまいましたねぇ」

「そうですねぇ、小町。こんなに静かなことは、随分久しぶりですねぇ」

「毎年言ってますね、その台詞」

「そうかもしれませんねぇ」

 小野塚小町と四季映姫は窓際に並んで、同じような呆けた顔で外を眺めていた。死んだ者たちを裁く是非曲直庁の官舎から覗く景色は、夏も盛りのこの時期に関わらず閑散とし、秋も終りのうら寂れた情緒が一足早く訪れているようだった。

 時期はまだ夏のはず。とはいえもう少したてば暑さもその熱意と情熱から醒めていくだろう、これはそんな頃のことではある。

「私は毎年この時期になると、急に力が抜けたような感じがするんですよ」

 夏らしくない憂鬱さを湛え、映姫は深々と溜息をついた。溜息にまでいつもの覇気がない。

「そりゃ四季様は毎日頑張ってらっしゃるからですよ。頑張り過ぎなんです」

 すっかり腑抜けている映姫を横目に、小町はカラカラと陽気に笑った。

普段なら閻魔の裁判を待つ死者が列なす官舎の前庭は、ガランとしている。それというのも、今はお盆なのだ。裁きを待つ死者も、裁かれた死者も、今は家族の元に帰省している。だから裁判官も、そこに死者を引き連れてくる船頭も、今はちょっとした休暇中で、だから小町は元気で、映姫は心のどこかにポッカリと穴が開いたような様子なのだった。

「ということはむしろ小町は体に力が漲るのかしら?」

「いえいえ、あたいなんかやることがなくて眠くて眠くて……」

 そこまで言い訳して、小町は自分に注がれる湿った目つきに気がついた。ジトッとした視線で、映姫は拗ねた子供みたいに口を尖らせ、我侭を言うみたいにブツブツと説教を始める。まるで仕事がないことの憂さを晴らすみたいだ。

「その蓄えた力を一体どこに放出するつもりなのかしら? 全く貴女はもう少し毎日自らの仕事に精勤しなさいとあれほど……」

「四季様も全然力が抜けているように思えませんよ。お説教の舌鋒も、いつもと変らぬ鋭さですぅ。折角のお休みなんだから、その舌も休ませておいてくださいぃ」

 頭上に小言を垂れられて小町は窓枠に顎を乗せ、頭を抱えた。映姫の言葉が刃の鋭さでキンキンと、小町のサボりがちな脳髄を切り付けているらしい。

「……反省しましたか?」

 歯を食いしばりイヤイヤと首を振る自分の部下の醜態に見かねて、映姫が良く回る舌を止めた。参ったとばかりに小町は情けない声をあげる。

「しました、しました。しましたから、どうかお説教はご勘弁をぉ!」

「分かりました。だからそんな情けない顔はおよしなさい」

 頭を抱えたまま、凄い速さでブンブン振っている小町に愁眉をひそめ、彼女の上司はまた秋色の溜息をつくのだった。

 彼岸には喧騒など無縁だ。いつもは裁判を受けるための死者がひしめき、そのためどこか騒々しく感じるだけなのだ。つまりあるはずのない喧騒を、目で聞いているということになる。そして今、目の前には何もない。そのため本来の、混じりっけのない彼岸の静けさが、ぐるり官舎を取り囲んでいる。ただそれだけのことだ。

 人も妖怪も、何かの変化の度合いによって時を知る。全て死んで何も変らない彼岸にあって、死者には必要のない時の経過を知ることは至難の業だ。それも会話している二人が黙ってしまっては尚更である。

「話は変りますが、四季様はお休み、どうされるんですか?」

 短いのか長いのか分からない程度の間を置いて、小町は沈黙前と変らずぼおっとしている映姫に尋ねた。その間は、話題を切り替えようと逡巡したにしては、何気ない話題のわりに些か長かった。

 しかしそんな不自然に気がつく様子もなく、映姫は実に簡潔に答えた。

「さぁ? 特に考えていませんが……」

気の抜けた声でそう答えると、小町の質問の意図も尋ねなかった。悩むのも億劫だったのだろう。

 だが小町はそんな映姫の様子とは反対に、答えを聞くと固まってしまった。ややあって音を立てて唾を飲み込み、恐る恐ると、しかし自分が緊張しているのを悟られない程度に力を抜いて映姫に向き直った。だがその努力が無駄だろうということは、顔のところどころで頬や眦をピクピクと痙攣しているのを見ればすぐに分かる。この場合、小町にとって幸いだったことは、その程度のことにも気がつかないほど映姫の気が抜けていたということだろう。

「……ででででっ、では明後日の盆踊り……よ、よ、よよよよ、よろしければ一緒に行きませんか?」

 その言葉に、気の抜けていた映姫が弾かれたように顔を上げた。それは発条が巻きなおされて動き出す唐繰人形のような唐突さだった。機構が動き出すや、気伏せりにかかっていた心臓が急に勤勉さを見せ、緊張を忘れていた口は慌てるあまり舌の動きに合わせることができず意味なくパクパクと開け閉めを繰り返し、硝子玉に過ぎなかった瞳は大急ぎで知性の明かりを灯した。

「……ま、まぁ、私も大した用事もありませんし、出かけることは吝かではありませんが……」

 ややあって映姫が総力をもって自分を再起動させ、全ての反応を一つの意識の下にまとめると、映姫は視線を斜め下に向けこもった声で答えた。

 それを聞くと、小町が胸元で両手を握りしめ、ピョンピョンと飛び跳ねた。そして小町にとっては当たり前で、映姫にとっては衝撃的な言葉を発した。

「良かったぁ! では明後日、申の七つ半(午後五時ごろ)に落ち合いましょう! 浴衣で!」

「……ゆ、浴衣ぁ!?」

「そりゃ当たり前でしょう? お盆、お祭、盆踊りといえば浴衣に決っているじゃないですか!」

 素っ頓狂な声を上げて恥ずかしそうに胸元を押さえた映姫に、小町が珍しく強い調子で言った。それに答えるように映姫は背を曲げ、自分を打ち据える悪童に慈悲を乞う弱々しい子犬ような瞳で、一人はしゃぐ部下を上目づかいに盗み見た。そしてオズオズと尋ねる。

「……そ、それは、絶対ですか?」

「絶対です!」

 弱った所をこれ幸いと、小町はかさにかかって言った。その勢いに押されて映姫がさらに身をすくませると、握り合わせた両の拳に視線を落とし、声も落とした。

「……因みに聞きますが、小町は浴衣を着られますか?」

「当たり前です。いつも着てるのがこんなのですから……しかしそう聞くということは、もしや四季様……」

 その声の思わぬ弱さに小町が驚き、腫れ物に触れるように恐る恐ると尋ねた。尋ねられた側は逃げるようにさらに視線を逸らし、恥じ入るようにますます声をひそめる。

「……着られないわけではないのです。着られないわけではないのですが……」

 子供が言い訳するような調子で映姫が呟く。いつにない映姫の様子に小町は何かに耐えるように口元を押さえ、そのまま何度か深呼吸を繰り返した。そして少し落ち着きを取り戻すと、ゆっくりと念押すように尋ねた。

「……苦手だと?」

 黙って頷いた。

その恥らう仕草があまりに可愛らしく、小町の保護欲と加虐欲の相反する欲求は混ざり合って桃色の電流になると、一散に彼女の背筋を脳髄目がけて突っ走った。それが励起させたものは、止めどなく流れて響く大笑声だった。その声に驚き、映姫が顔を上げる。その驚きで、心臓が再び仕事を思い出したらしい。しかも今度は今まで以上の大仕事にとりかかったようだ。炎にふいごで風を送ったらしく、顔が大炎上している。

「……そ、そんなに笑うことはないじゃないですかっ! 私にだって苦手なことの一つや二つありますよ! 何です!? いけませんか!? 貴女も私に何でもできるように言うのですか!?」

「……す、すいません、すいません! ですからそんなにムキにならないで……」

「……ム、ムキになどなっていません! だ、誰が……誰がムキになっているんですか! えぇ、小町!」

 傍から見て明らかにムキになって我を忘れている映姫に、今の彼女が客観的にどう見えているかを説くのは無駄なことだろう。身を乗り出して自分の理性の正当性を主張する彼女が、その主張に相反する激しい感情に任せて論陣を張っている、そんな矛盾に気がつかないほどうろたえているのだから。しかし普段なら是非と道理を正す側が、自分の醜態を正される側に回るというのは、見ているだけならば喜劇じみて面白いのだろうが、まさに今その場に居合わせた者たちには迷惑と羞恥と狂乱でしかない。

「わ、分かりました、分かりました。ちゃんと私が着付けを手伝いますから、ですから落ち着いてくださいよ」

言いながら映姫がひっつかんばかりに真赤な顔を寄せるのを、小町は両手の平で押し止め、慌てて顔を逸らした。生暖かいというには熱すぎる湿った吐息が、頬にくすぐったからだ。それは不快というよりも、少々刺激が強すぎた。

「……本当ですね?」

 その言葉に、ようやく映姫が落ち着きを取り戻し、未だにニヤニヤ笑いが残る小町の顔に、疑い混じりの恨みがましい目を向けた。その視線が刺さるあたりがくすぐったいらしく、小町は乱暴に頬を掻く。

「当たり前です。私が嘘をついたことがありますか?」

「あります。何度もありますよ」

「……あうぅ。……でも今回は、今回は大丈夫ですから、信じてください」

 にべもなく言われてしまった。流石に言葉にされたり、はっきりとそうと意思表示されると傷つくらしい。目の前で二度三度強く頷く上司に、犬が尾を垂れるように小町が力なく首をカクンと倒した。そのしょげた姿に満足したのか、映姫が再び尋ねた。

「……本当に?」

「本当、本当です」

 小町は自分の身の証をたてるように何度も何度も頷いた。焦燥が交じった力のない、おもねるような笑みをジッと見ていた映姫だったが、

「……分かりました。お願いしましょう」

 意外とあっさりと、素直に頷いた。

「……全く貴女ときたら……いい加減子供じゃないんだから、少しは節度というもの持ちなさい」

「いやぁ、嫌がる四季様があまりに殺人的な可愛さだったもので、つい……」

「終も始めもありますか! 貴女があんなこと、あんな……こと……ムキーっ!」

「ちょっ! 暴れないで下さい! 痛い! 痛いですから!」

 人郷は盆祭一色だった。普段の今頃なら、人々は家に帰って夕餉の準備をしている頃だろう。それが今日は、未だに活気を失うことなく道々に溢れている。道の脇には煌々と明かりを灯した屋台が開き、人々の耳目を楽しませ、鼻腔をくすぐっている。射的、金魚すくい、お面売り、水飴、リンゴ飴、焼き蕎麦。誰も彼も、子供も大人も、目移りすることなしに通り抜けることはできなかった。

 そしてそれは妖怪にしても同じことらしい。

「小町、あれはなんでしょう?」

「ああ、ご存知ありませんか? あれは型抜きです」

「型抜き?」

「そう。あの板みたいなお菓子を釘で削って、彫られている絵の形にするんです。成功すればちょっといい物がもらえて、外れたらちょっと残念なものが貰えるんです」

「……因みに小町はやったことはあるんですね?」

「勿論です。昔は型抜き小町と呼ばれたものです。……今、考えましたが……」

「……そうですか、そうですか。型抜きというのですか……」

「……な、懐かしいなぁ、なんとなく久しぶりにやってみてもいいかなぁ、なんて……そ、そうだ! し、四季様も、ちょっとやってみますか?」

「……むぅ……し、仕方ありませんね。こ、小町がやりたいと言うのなら……ただ待つのも退屈ですし……わ、私も付き合いってあげましょうか」

 小町も映姫も周囲の熱気にあてられたらしく、ウキウキと弾むような足取りであっちの店こっちの店と歓声を上げて見て回っていた。

 二人とも浴衣姿だ。小町は臙脂に笑う髑髏と大鎌をあしらったパンクな浴衣を、兵児帯で締めている。きつく結んではお腹が苦しいと言い緩く締めたものだから、裾からは船頭で鍛えた健康的な太腿が覗き、胸元は豊かな乳房が押し広げている。着崩れてはいるがだらしなさや淫らな感じがなく、ガキ大将がそのまま大きくなったような、そんな天真爛漫さに満ちている。映姫はというと、こちらはうって変わり清楚を絵に描いたような姿だ。結い上げた髪、菫色に白と黒の市松模の点々とした浴衣、それにきっちりと締めた細帯の結び目がリボンのようで愛らしい。小町がガキ大将とするならば、映姫はさしずめ彼に守られる内気で控えめな少女だろうか。あるいはガキ大将よりも勇ましく彼をいさめる年上の姉役だろうか。じゃれ合いながら歩く二人を見ていると、そのどちらかではなく、どちらの役も彼女が受け持っているように思える。

 二人は屋台を冷やかしながら、人の流れに乗って歩いていく。目指す場所は、人波の中からでも見ることができた。目印は人の頭よりもなお高く、人の声よりもなお大きい音を発しているからだ。それはこの祭りのメインである盆踊りのために作られた櫓である。盆踊りはすでに始まっており、それを一目見ようと、あるいはその輪に混じろうと、三々五々、人々がそこに向かって歩いているのだ。

 会場はすでに人で一杯だった。輪になって踊る者。踊り手を囃し立てる若い女たち。堂間声を張り上げて下手な歌をがなる中年の酔っ払い。無茶苦茶に腕を振り回す楽しそうな子供たち。皆が皆、思い思いの楽しみ方をしながら、それでも一つの祭りを成していた。

「あれ? 四季様は踊らないんですか?」

 そこに着くや否や、何の躊躇もなく踊りの輪に加わる小町であったが、先ほどまで隣にいた連れ合いの姿が遠くにあるのに気がつくと、踊りながら映姫の傍に戻ってきた。彼女は踊りの輪から少し離れた、人の少ない場所に立っていた。自分の部下が近づいてくると、

「私のことは構いませんから、貴女は踊っていらっしゃい」

 と、答えた。頭上の赤々とした明かりに浮かぶその表情は照れ臭そうで、それでいてどこか憂いのあるような、そんな微妙な表情だった。その表情は、輪に入りたいけれど入るのが恥ずかしくて、素直に輪に混じれない自分が少し悲しくなっているものなのだと、小町は強引に解釈した。実はそれは大間違いだったのだが、彼女は自分の解釈を疑わなかった。

「ちょっと、小町!」

「さぁさ! 四季様も一緒に踊りましょう!」

 だから映姫の手を取ると、小町は強引に自らの上司を踊りの輪に引き込んだ。引き込んだまま、掴んだ手を離すことなく、二人だけでかごめかごめでもするようにクルクルと回る。それは盆踊りというよりはワルツに近かった。だがワルツというには奔放すぎた。振り回される映姫も驚いたが、それよりも今まで踊っていた者たちの驚きの方がはるかに大きかった。しかし踊り手たちは、映姫よりも驚きから立ち直るのは早かった。最も早かったのは、子供たちだ。何やら面白そうなことをしていると興味を持ったのか、はたまた自分たちよりも面白そうなことをしているのが悔しかったのか、小町と映姫の真似をし始めたのだ。彼女たちよりも大きな円を作ろうと友達を呼び集め、今度はそれに負けじと別の子らが自分たちの親や親戚を巻き込んで円を作る。気がつくとあちらこちらで大なり小なりの円ができ、それを囲うように盆踊りの円が出来ていた。どうやら踊り手たちは思わぬ闖入者を迷惑がるどころか、歓迎してくれたらしい。

 こうして盆踊りは奇妙な形で続いたが、あちらこちらで回り疲れたり、飽きたりした子供たちが円を崩していくと、意外とあっさり元の形に戻っていった。それというのも、真っ先にこんな盆踊りにした当の本人たちが、クルクルと回りながら会場から消えていったからということもあるだろう。

 二人が消えたのには、映姫が居たたまれなくなったというのとは別に、もう一つ理由があった。

「ちょっと四季様! 顔が真赤じゃないですか!」

「……大丈夫です。少し人にあたって疲れただけです。そんなに取り乱す程のことじゃありません」

 グルグル回っている最中に、小町は映姫の異変に気がついた。彼女の顔が真赤になっていたのだ。それは一見すると照れて赤面しているように見えなくもなかったが(事実、小町は最初そう思っていた)、握った手の尋常ではない熱さ、焦点の定まらない充血した瞳、時折小町に体を預けそうになる力ない足取りから、それが映姫の不調を物語っているのだということに遅まきながら気がついたのだ。

「いやいや、そんなレベルじゃないですよ! もしかして無理矢理踊りにさそったからですか? そうなんですね! ああ、あたいったらなんてことを! あっ! あそこ! あそこで休みましょう!」

「ちょ、ちょっと小町! 痛い! 痛いですってば!」

 そうして慌てた小町が、やはり無理矢理に、しかし場の楽しげな雰囲気を崩さぬように気をつけながら、クルクル回ったまま盆踊りの会場を後にしたのだ。

 何故かクルクル回ったまま会場を離れ、人ごみを離れ、祭りの喧騒を置き去ってようやく二人は一息をつくことができた。そこは祭りへと続く道から少し入った雑木林で、屋台からの明かりが漏れなんとなく明るかった。

 二人は小さな土手に並んで座った。映姫は手の甲を擦っている。薄闇に浮ぶ白い手は、きつく握られ少し赤くなっていた。

「……全く、小町は乱暴すぎます」

「……すっ、すいません。慌ててしまって……でもここなら、ゆっくり休めますよ」

 ムッとした表情と熱で潤んだ瞳で睨みつけられ、小町は弱った笑みを浮べて頭を掻いた。しかし誤魔化す笑みに無言で視線を貼り付ける映姫に、小町はシュンと頭を垂れた。悪戯が見つかりお説教を受けている子供が母の顔色を窺うように、少し卑屈な目で映姫の様子を盗み見ながら弁解を始める。

「……本当にすいませんでした。そうですよね、あれだけ忙しく働かれていて、お休みの時まであたいにつき合わせちゃ、体がもちません……よ、ね……」

 しかし言葉は途中で失速した。小町の言葉を聞きたくないとソッポを向く映姫の横顔が瞳に写る。仄かに届く光によって薄められた夜に、林檎のように赤い頬が輝いていた。激しく動いたせいだろう、綺麗に結い上げた髪が一房二房ほつれては、汗の浮いた白いうなじや首筋にべったりと張り付いている。視線を少し動かすと、小町に何度も強引に引っ張られたせいか、少し浴衣が着崩れ胸元が微かにのぞき、上下する薄い胸が吐息の荒いことを目に知らせた。汗の匂いと普段はつけない香の甘い香りが混じって漂い、小町の鼻を弄ぶようにくすぐる。今の映姫からはいつにない眩暈のするような艶かしさがあり、それが夜の中に染み出しては自分を狂わせようとしている、そんな妄想に小町は憑りつかれそうだった。

「……べっ、別に、そっ、そんなことはありませんよ、って……小町!」

「……は、はいっ! な、なんでしょう!」

 そんなことなど露とも知らず、ソッポを向いたままで話し始めた映姫だったが、突き刺さるような視線を感じたらしい。小町に向き直るや、自分の首や胸元に注がれる生々しい視線に思わず高い声を上げた。小町もその声に負けず裏返った声で返事すると、反射的に両腕をビシッと伸ばし座ったままで「気をつけ」の体勢を取った。映姫の一喝で、先ほどまでの獣じみた、あまり人前で見せてはいけない小町の表情は拭い去られた。その代わりに、今からどんなお説教が待っているのかと怯えに引き攣るものになった。冷や汗さえ浮かべる小町の顔を、映姫は熱に浮かされた充血した瞳でもって黙って見つめていたが、おもむろにポツリと、

「……目つきがイヤラシイ」

 そしてオズオズと顔を伏せて、

「……エッチ」

 呟いた。

蚊の鳴くような呟きに過ぎなかったが、小町に対して効果は絶大だった。全身を岩のように硬直させたかと思うと、次の瞬間には口元の亀裂から湧き水が迸り出るように、物凄い勢いで謝辞が溢れ出した。さらにその勢いでもって何度も何度も頭を下げる。まるで鉄砲水にあった獅子おどしみたいだ。

「すっ、すいません! すいません! ほんのちょっとした出来心で! すいません! すいません! もう見ません!」

 全力で謝る小町に疑わしげな目を向け、映姫が注意を向けるように一つ空咳をついた。それは一度で十分だったはずなのだが、彼女の中で何かのタイミングを失したらしく、オホンオホン、ゴホゴホ、ガハガハと、段々に演技が演技でなくなっていった。ようやく咳の意図に気づいた小町が頭を下げるのを止め、訝しげな顔を向けると、そこに映姫の熱と羞恥で真っ赤な顔が待ち構えていた。そのまま二人はしばらくジッと見合っていたが、ややあって映姫がオズオズと、しかし強い調子で言った。

「……何もしないと約束できますか?」

「……えっと、何をなさるつもりですか?」

 何をするのかぼかした言葉に不穏なものを感じ小町がスッと体を引こうとしたが、すかさずその手を映姫がギュッと握りしめた。

「いいからっ! 約束できますかっ!?」

 汗で湿って妙にひんやりとした小町の手を握りしめながら、映姫が強い調子で重ねる。命令口調だが、それは仕事の場での上司と部下という調子ではない。だが小町は仕事の時以上の緊張を漲らせて答えた。仕事の時は説教で済んだが、今断れば何をされるか分かったものではないと、彼女の勘が警報を鳴らしていたからだ。

「しますします! 約束しますっ!」

「……よろしい」

 映姫は満足そうに頷くと、怯える小町の膝に、コテン、と頭を乗せた。

 ひんやりと夜気を乗せた風がサラサラと小町の髪を揺らしたが、火照った頬を冷ますには力不足だった。小町は鬼灯みたいに頬を染め、自分の太腿に視線を落とした。

「……あの、四季様……」

「……私は疲れました。体調も優れませんし、ここは人肌に温かいので、少し眠ります。質問は認めません」

「……はぁ、分かりました」

 呆れたふりをして殊更に夜空を見上げると、小町は諦めたふりをして呟いた。わざわざ太腿から西瓜くらいの感触を取り除く愚は冒さなかった。

 なにもしないという約束を死守すべく、膝の感触から気を逸らせようと夜空を見上げていた小町の視線の先で、遠雷に似た音と共に、無数の光が夜空に飛び散るのが見えた。

「……見事な花火ですねぇ」

「……寝ないつもりですね、四季様……」

 次々と打ち上げられる花火を見やすい位置に頭を置こうと、自分の膝の上をゴロゴロと転げている映姫を見下ろして、今度こそ本当に呆れて小町が呟いた。しかしそれ以上、愚痴も皮肉も出てこなかった。

 それは膝の上にも、夜空に負けず劣らず可憐な花が一輪、朱色に輝き咲き誇っていたからだ。約束を守るため、小町は再び夜空を見上げ、花火に気を散らせた。

 このまま時間が止まればいいのにと、小町は思った。

そう思ったのは、明日から仕事が始まると信じたくなかったからかもしれない。

あとがき

私のSSを一度でもお読みいただいた方にはお分かりのことと思いますが、キャラ萌的なSSを書くことはほとんどありません。その例外が、この二人、「四季×こま」(リバ可)のカプであります。花映塚で幻想入りした私にとって、花キャラはやはり思い入れが強く、特にラスボスとその前ボスということで、愛着と憎さが入り混じった感慨があるのです。あとなんかエロイのを書きたくなると、この二人のことが思い浮かびます。だから今回もちょいエロ。小町は四季様のために、四季様は小町のために、とはよく言ったものだともいますよ?

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