「ねえ、文?」
「何ですか、阿求?」
稗田阿求は、縁側で愛用のカメラを弄っている射命丸文の背に尋ねた。
「今まで撮った写真で一番良いと思う写真ってどんなのですか?」
所は人間の郷、稗田邸。時は丁度太陽が空の一番高くにある頃合。昼食を済ませた阿求が、腹ごなしにと書見などしていると、文がフラリと現れたのである。
「ご心配なく。今日は新聞記者はお休みです。取材じゃありませんよ」
身構える阿求に文はそう言った。確かにその言葉の通り、今日の文にいつもの覇気が感じられない。肩の力が抜けている、そんな感じに見えた。ならばそんな文がどうして此処にいるのか、阿求は気になった。だから尋ねた。
「では、どうしてまたこんな所に?」
「特に用はありません。少し羽根を休めようと思っていたところに、貴女の屋敷が目に入りましたので、こうして軒先をお借りしているわけですよ」
「いえ、そういうことではなく……」
自分の考えていることが上手く伝わっていないらしいことを察した阿求が、問い直す。そういうことではないのだ。阿求が気になったのは、もっと根本的なこと。
「どうして貴女が人間の郷なんかに?」
そう、文はあまり人間を取材したりしない。無論、特殊な部類の人間、人間らしくない人間はその限りではない。少なくとも普通の人間には興味がない。阿求は文のことをそんな風に考えていた。だから普通の人間が住まう人郷に、しかもライフワークの新聞記者は休みだと言う文がわざわざ足を運ぶ道理などないと、そう考えたのだ。
「何、ただの普通の気まぐれですよ」
あっさりと答えた。気まぐれでは仕方ない。天狗とは風聞が生きているようなもの、気まぐれであちらこちらをフラフラすることもあるだろう。
「そうですか、気まぐれですか」
「ええ、気まぐれです」
文が微笑み、阿求も笑った。
「そうですねぇ」
阿求の問いに、女中が持って来た茶を啜り文がその湯気越しに遠くを見ていた。
しばし物思いに耽っている文に、阿求はこの新聞記者が遭遇した様々な出来事からその珠玉の一枚を掘り起こそうとしているのだと考えていた。しかし実はそれは違っていた。
最高の一枚と言われて文の脳裏に浮ぶ写真は、一枚しかない。
人の身では生きられぬほどの時間の堆積の中でも、文の最高の一枚といえば決っていた。それはさながら額縁に入れて飾られているかのように、文の記憶の中では全くの別格として、厳然とその他の記憶と区切られていた。
文は思い出す。彼女が「その少女」と出会った時のことを。その時のことは今でも鮮明に思い出せる。それこそ文の網膜に、意識に、射命丸文という名のフィルムにくっきりと焼き付けられているのだから。
所は迷いの竹林。時は夜半。その日は実に見事な月輪が雲一つない夜空に浮び、風に微かにそよぐ竹に煌々と降り注いでいた。
どうしてそんな頃合にそんな場所にいたのか、文は憶えていない。多分、誰かの追跡取材をした帰りだったような気がするが、それも定かではない。ただ確かなことは、今日と同じように偶々羽根を休めようとして、上手い具合に竹が避けて広場のようになった小高い丘を見つけたということ。チラリと視線を動かせば、おあつらえ向きに腰をかけるのに良さそうな岩がチラホラと見える。文は竹林に降り、そのうちの一つに腰掛け、疲れた翼を一時休めた。
上空から見たときは気がつかなかったが、文の座る岩から丘を見上げると、丁度その丘にかかるようにして見事な満月が見えるのだ。
その光景に、文は眩暈に似た感覚を憶えた。今見ている光景が、まるであつらえられているように感じたのだ。自分を含めたこの光景全てが、誰かのために用意されたものであるかのように感じられたのだ。
月光のスポットライトに、その光を吸いしなる竹の書割。この丘はさながら舞台というところだろう。ならば自分はこの舞台を鑑賞するための観客というところか、文はそう思った。
そこまで考えて、文は不思議に思った。これは誰のための舞台なのだろうと。自分を含めたこの全ての舞台装置は、一体誰のために用意されたのだろうと。
文は無意識のうちにカメラのファインダーを覗いていた。確信があった。この舞台を用意させたその誰かが現れるであろうという確信が。文は言い知れぬ緊張と不安と期待の入り混じった奇妙な高揚感に満たされながら、ファインダーから目を離さなかった。
そして開幕の時間が訪れた。満を持して舞台女優はその姿を現した。
見たことのない少女だった。少なくとも文の知らない少女だった。
少女は踊っていた。月光が彼女だけを照らし出す。
如何して見たこともない少女がこんな所で踊っているのか、そんな疑問は起こらなかった。文はシャッターを切ることも忘れて、楽しそうに月光の舞台で舞う少女の姿に釘付けになっていた。
月光は少女の動きにつき従い、少女の姿を闇から切り取る。
書割の竹たちは、微風にその身を揺すりさやさやと幽かな歌をうたう即席の楽団と化す。
この舞台を構成する全ての者たちが、己が責務を果たしている。
では私は。今此処で、目の前の光景に呆然とするしかない自分は、一体何をすべきなのだろうか。
そう考えて、文の脳裏を何かがすぎさった。
はじめ文は自分が観客だと思っていた。しかしそれは違ったのだ。本来の自分を見失っていたとは何という失態だろう。そう考えたが、この光景の前ではそれも仕方のないことなのだと思った。
「……見つけた。……私の被写体」
その呟きが聞こえたわけではないのだろう。しかし少女はそこで始めて自分を見ている文の姿に気がついた。
「こんばんは、天狗さん。いい、月夜ですね」
見たこともない少女は、呆然と自分にカメラを向ける文に艶やかに微笑んで見せた。
その笑みに、文の指はシャッターを切っていた。
「……した……」
「へっ!?」
「どうしました、ボーっとして?」
湯呑を持ったまままんじりともしない文に、阿求が少々大きな声をだした。文が慌てて振り向いた。どうやら自分の記憶を浚うことに没頭していたらしい。
「いえ、何でもありませんよ。それより、最高の写真でしたね」
何事もなかったように文が一口茶をすする。阿求は読みかけたの本から顔をあげ、好奇心に瞳を輝かせている。
「ええ。やはりありますか? どんな写真なんです? やっぱりとんでもないスクープ写真なんですか?」
身を乗り出してにじり寄ってくる阿求を見て、文は意地悪げに唇を歪めた。
「それは秘密です。教えてあげません」
「えーっ! いいじゃないですか! 減るもんじゃなし!」
縁側までやって来て文の肩をゆする阿求。グラグラとその揺れに身を任せながら、文は首を縦に振らなかった。
「駄目です。これは意地悪ですから」
そうして自分の胸元に手を置いて、思わず阿求が手を止めてしまうほどの、可憐な笑みを浮かべた。
「あの写真は、私だけのものなのです」
ぐらびあの美少女―Girl on Film 了
恐らくほとんどの方、始めまして。そしてかなり少数の方、こんにちは。サークル・干狗の(自称)広報担当兼庶務兼代表の黒狗です。
「ぐらびあの美少女―Girl on Film」を手にとって頂き、まことにありがとうございます。お楽しみいただけたり、無聊の慰みとなれば幸いでございます。
まずは本文のことから。本編では名前すら出ませんでしたが、夜中に竹林で踊ってるのは秘封倶楽部のマエリベリー・ハーン女史であります。……そう、恐らく誰も考えたことがないであろう文×メリーというありえなさ120%の二人の話です。書いた本人ですら「こりゃねぇな」と思っております。
なんでこんなカップリングになったかというと、今回のタイトルです。……Duran Duranの名曲ですね(こっちは単数形になおしてますが)であり、それをOPにした変態アニメ(褒め言葉)SPEED GRAPHERネタがしたかっただけなのです。ぶっちゃけこの短編は、あややに「見つけた(以下略)」って言わせたかっただけで出来ているという、何ともどうでもいい理由で作られています。で、何故にメリーかというと文が驚く被写体って誰だろうなと考えると、恐らく幻想郷の人や妖怪ではあるまいと思い、公式で幻想入りしてそうなメリーに白羽の矢を立てた次第。ホント、やりたいことが先行し過ぎて脱線転覆気味ですね。
そして何故このコピ本が出てしまったのか、という話。本来ならば「優美な死骸」という本を出そうとしてたんですけど、諸々のスケジューリングのミスで次回へと流れてしまいました。楽しみにされてたという奇特な方がおられましたら、誠にもうしわけありません。そしてその埋草としてこのコピ本を急遽作ったと言う次第。本当に面目次第もありません。
そんなこんなですので、次回こそはちゃんとした本を出したいとおもいますので、今日のところはこれにてご容赦を。
では、また何時か何処かのイベントで! 再見!
2009年2月13日 自宅にて 黒狗
BGM ”グラビアの美少女(原題 Girls on Film)” BY Duran Duran
以上、第6回博麗神社例大祭で配布したコピ本でした。「あとがき」で書いたように当時はまってたのにモロ影響を受けて書いたものですね。だが後悔はしていないっ!! なんかこういう無理のあるカップリングを担当するのが私の役目だっ!! という無駄な使命感に突き動かされる人間なので、これはこれで良いのです。これからも、「これはねぇべ」という組み合わせを試していきたいものです。今読み返すと、もうちょっとメリーっぽさを出しても良かったような気がしますね。これじゃ誰だかサッパリわからんね。