この物語はフィクションのはずです。登場する人物、施設等は全て二次創作であるか、もしくは著者の架空の設定によるものです。
カランコロンと鳴るドアベルのノホホンした欠伸に、虹川ルナサは見ていたノートパソコンのディスプレイから顔を上げた。
「あら? マスターが営業時間中にサボってゲームしてていいのかしら?」
「とはいえ、こう閑古鳥が鳴いてるようじゃ仕方ないかもしれないけどね」
ゆったりとジャズが満ちる店内に、忘れていた外の世界の喧騒が混じる。それは騒々しいが、若々しく楽しげで、側にいるだけで元気になってくるようなそんな弾んだ音だ。
「そういう貴方たちこそ、講義はいいの? どうせ今日もサボったんでしょう?」
二人を眩しげに見ながら、ルナサも憎まれ口で応じる。
「違うわ。休講だっただけよ」
と、宇佐見蓮子が肩を竦め、
「自主的と言う接頭語が抜けているわ、蓮子」
と、マエリベリー・ハーン――近しい者たちはメリーと呼んでいる――が訂正した。
しれっとしたやり取りに、ルナサがクスクスと笑う。丁々発止の二人の会話は、のんびりとした性格のルナサには実に面白く、そして少しばかり羨ましく感じられる。二人ともこの店、「名曲喫茶 プリズムリバー」――名曲喫茶などと、幻想の中でしか存在しないような過去の遺物に等しい店の――の常連である。店は大学通りから辻一つ入った所にあり、大学の食堂から追い出された者たちや、その喧騒を嫌う者たちがしばしば利用していた。今は昼時を長針一周分過ぎた頃。学生たちは講義や己が青春に勤しんでおり、店はポッカリ空いた真空の時間帯を持て余していたところだった。「ところで、蓮子。閑古鳥って何て鳴くのかしら?」
「メリー、知らないの? 閑古鳥はカッコウのことよ。もう起きちゃいかがとカッコが鳴くのカッコウよ」
「ああ、そうなの。でもどうしてカッコウなの? 別に鳴くなら鵺が鳴いてもいいじゃない。鵺の鳴く夜は恐ろしいのでしょう?」
意味は無いがそれ故に鮮やかな議論の花を咲かせ、二人は促されるまでもなく、ルナサの前のカウンター席に座る。そこには既に二つのコップとおしぼりが用意されている。
「憂きわれを さびしがらせよ 閑古鳥」
ノートパソコンを脇へ押しやり食器棚からティーカップを準備し、ルナサが言った。突然何のことだとメリーは首を傾げたが、蓮子は合点が言ったらしい。
「松尾芭蕉。流石は音楽家。詩のことはよくご存じのようで」
「鬱っぽいことには詳しいの。こう言うのもあったわね。『山里に こはまた誰を 呼子鳥 ひとり住まむと 思ひしものを』」
言葉とは裏腹に、ルナサは陽気に微笑み、また一つ俳句をそらんじる。そうして二人分の紅茶の用意をしながら、ほんのり薄いピンクのジャムの蓋を回す。
「西行法師。確か呼子鳥もカッコウの別名だったかしら」
蓮子の解説に答えるように、ポンと軽い音を立て、ジャムの蓋が開いた。ルナサがちょっと驚き、蓮子もメリーが小さな歓声を上げる。三人はすぐに示し合わせた照れたように笑い合った。
「二人とも良くそんなの憶えているわねぇ。私なんて西行法師っていえば、あの〜……」
ここぞとばかりにメリーがズイッと体を乗り出す。二人は見せ場を譲るように、メリーの次の言葉を待った。だが二人の視線の交点は、何かを口にしようとした姿勢のまま、石になってしまったかのようにピクリとも動かない。
三人の間を、穏やかな音が粒子となり波となり、幾筋もの旋律を刻んだ。
そうして三人動かなかったが、しばらくして「コホン」と咳払いを入れ、蓮子が先を続ける。
「願わくは 花のしたにて 春死なん その如月の 望月のころ」
「う〜! とらないで〜! 必死に思い出そうとしてたのに〜! 私の見せ場をとらないで〜!」
「はいはい。駄々こねない」
誰が見ても、肝心要の句を忘れたメリーに蓮子が助け舟を出した形なのだが、如何にも蓮子が悪いと言わんばかりに、メリーが蓮子の肩を揺さぶる。蓮子は馴れているので相手にしない。
「きっと歌人の死体の根を伸ばした桜は、骸の内にある美しい詞を吸い上げて、それはそれは美しく咲き誇っているのでしょうね」
二人のじゃれ合いを横目に、セッセと紅茶の用意をしていたルナサが言った。良い香りを放ち、ティーカップに紅茶が注がれていく。
「私は『檸檬』の方が好きかな」
蓮子が言った。その言葉が、紅茶に添えるものの好みではないことは明らかで、現にメリーもそれが分かったように嬉しそうに手を上げた。
「あ〜! それなら知ってるわ! 本屋襲撃、レモン爆弾の話でしょう!」
「とんだ時計仕掛けね」
誰も分からない難問を自分だけが解けた小学生のように手を上げるメリーに、二人は微苦笑を浮かべるのだった。
そんな意味のない会話の間に、ルナサは紅茶を淹れていた。手の早いメリーは早速とばかりに、ティーカップを口元に持っていく。そしてそこから立ち上る、微かな甘い香りに驚く。
「あら! これ、桜の香りがするわ!」
「本当、良い香り。成程、塩漬けの桜が入っているのね」
メリーの歓声に興味が湧いたのか、珍しく蓮子もイソイソとティーカップを口元に運び、その香りにほぅと小さなため息を吐いた。
二人の客の様子にルナサが得意げに頷く。
「それだけじゃないわ。特製の桜のジャムも入れた、桜づくしのロシアンティーよ」
ルナサの言葉の通り、ティーカップの中には小さな春が芽吹いていた。桜のジャムに封じられた香りが紅茶の湯気に乗り鼻腔をくすぐり、塩漬けの花弁が紅い水面に微かに揺れ、実に華やかだった。
「お茶を濁してしまわないかしら?」と、蓮子が悪戯っぽく尋ね、「美しければそれでいいじゃない」と、ルナサが答えた。
「でもどうして桜?」と、メリーが尋ねると、「西行法師に乾杯ってことでね」と、ルナサは答え、「てっきり馬刺しが食べたいのかと思ったわ」と、蓮子が言った。
「そういえば、さっきはパソコンで何してたの?」
フルーツタルトと紅茶を味わって落ち着いたメリーが、今はカウンターの片隅で休憩中のノートパソコンを見た。
「父さんと『喋ってた』ところ」
ルナサは答え、パソコンを引き寄せて二人に見せた。
ディスプレイには、二人も良く知る有名な巨大掲示板サイトの見なれたデザインがあった。スレッドはこれまた有名な―ただしそういうマニアの間でのことだが――、非常設の室内楽団の公演についての雑多な「お喋り」で賑わっている。
「ああ、『伯爵』は公演中だっけ? 店長がいないと色々大変ね」
スレッドに乱舞する「虹川伯爵キター」「本人降臨」の書き込みに、上目遣いで蓮子がルナサを見た。ルナサは視線を避けるようにそっぽを向いている。照れくさいのかもしれないし、「プリズムリバー伯爵」なんぞという恥ずかしいハンドルネームで大真面目にファンの質問に答えている父親が恥ずかしいのかもしれない。
「ホント、色々大変よ。ただその分、父さんのファンの人が来ないから、トントンというところかしら」
「苦労してるのねぇ」
ため息交じりのルナサの声に、メリーも同じように声音で答えた。
「まぁ、楽しい人ばかりだし、父さんのファンで、有難いんだけどねぇ……ご先祖様が爵位を持ってたからって、今のご時世に本気で伯爵なんて名乗る父さんのファンだからねぇ……」
ルナサの苦労性を固めたような苦笑に、良く分かると言いたげにメリーが何度も何度も力強く頷く。
「変人ばっかりなのね。蓮子みたいな人ばっかりなのね」
そしてメリーはニヤッと笑って蓮子を見た。
「変人ばっかりなのよ。メリーみたいな変人ばっかりなのよ」
蓮子はキュッと片方の唇を釣り上げメリーを見た。
「ふっふっふ」
「あっはっは」
乾いた笑い声で見合う二人に、「ホント、仲いいわ」とルナサが呟く。丁度その呟きに重なるようにドアベルが鳴り、
「姉さーーーーーーん! ただいまーーーーー!」
虹川三姉妹の躁病、メルランがドアベルよりも高らかに帰宅を告げた。そのドアベルよりも賑やかな声に、ルナサがこめかみを押さえた。押し出された懊悩がため息になってあふれ出る。
「お帰りなさい、メルラン。全く、貴女ってば。お客様がいらっしゃる時は声を押さえなさいとあれ程言ってるじゃない?」
「お客様って蓮子とメリーでしょ? ならいいじゃない」
「リリカも、お帰りなさい。二人だからいいようなものを、まったく貴女も……」
メルランの後ろからヒョッコリ顔を出したリリカに、ルナサが呆れた口調で答える。ただリリカの傍若無人な発言を否定はしなかった。
勿論、こんな面白そうな場面を素通りするような、蓮子とメリーではない。わざとらしく額を突き合わせて、これ見よがしにヒソヒソと話す。
「ビックリだわ、メリー。私たち、お客様と見做されていないらしいわ」
「驚きね、蓮子。けれど、ということは、ここのお代は支払わなくてもいいってことじゃないかしら?」
「そんな訳ないでしょ。貴女は私たちの友達で、お客様。だから支払いはしてもらうわよ。っていうかね、身内でも、お店の物に手をつければお金は払ってもらってるんだから」
そう言って、ルナサがレジの隣に置かれた缶の形の貯金箱を手に取り、振った。ザラザラと少なくない小銭が入っている音がした。どうやら身内の支払いはそこに入っているらしい。
「リリカは時々払ってないけどね」
「ぶっ!!」
帰ってくるなり売り物のシュークリームを頬張っていたメルランが、ポツリと妹の秘密を漏らす。すっかり油断仕切っていたリリカは、勝手に淹れて飲んでいたアイスティーを吹き出した。口元を拭いながら、恐る恐るとルナサの様子を窺うリリカ。ルナサとリリカの目があった。リリカが引きつった笑いを浮かべたが、ルナサは眉をほんの少ししかめただけ。
「大丈夫。お給料から天引きしてるから。テーブル、ちゃんと拭いておいてね」
「酷いわ、姉さん! それで先月のお給料、あんなに少なかったのね!」
「あれは貴女がサボりまくったからでしょう」
思わぬ不意打ちをまたまた喰って大声を上げるリリカと、ため息ブレンドの淡々としたルナサの声。キャラキャラと響くメルランの笑い声。高く澄んだ音と、低く良く通る音、そして脳天を突き抜けるような甲高い音。三人の声は、まさしく玲瓏という表現がピッタリだろう。だから、ごく普通の馬鹿馬鹿しい会話をしているだけなのに、見事な三重奏を聞くような得も言われぬ心地よさがある。
「本当に三人とも仲がいいわねぇ」
メリーがメルランに言う。メルランは姉妹の喧嘩を傍から笑っているだけだったが、パクパクとシュークリームを食べていたのだが、その手を止めて、指についたクリームを舐めると答えた。
「貴女たちもね」
そしてクイッと紅茶で、甘味を飲み干した。
「さて、と。そろそろかしらね」
「そうねぇ。満員御礼。もう頃合いかも」
「やたっ! やっと演奏できる!」
リリカが歓声を上げ、いち早くエプロンを脱ぐ。先ほどから、何度も時計を眺めながら、針のあまりの遅さに痺れを切らしていたのだから仕方のないことだろう。ただルナサとメルランもリリカと同じ気持ちだったらしく、イソイソとエプロンを脱ぎ、服のちょっとした皺を伸ばしたりしている。
「ああ、そうか。もうそんな時間なのね」
蓮子が賑わしくなった店内を見渡して言った。蓮子とメリーが来た時からは想像もできなかった程、店は盛況を博していた。確かに時間が、仕事や学校が終わった頃だというのもあるのだろうが、それにしても場末の、ただの喫茶店にしては盛況に過ぎる感じであった。
今更という風に、店内の賑わいを感慨深げに見ている蓮子を、メリーは笑う。
「蓮子。どうして此処に来たか、ちゃんと覚えてる?」
「そうよ。本当に憶えてる?」
メリーに続いてリリカが囃したて、
「憶えてなくったって構わないじゃない。スイングすればいいだけなんだから」
と、メルランが陽気にクールな台詞を言った。
皆の冷やかしにも蓮子は乗らず、一つ肩をすくめる。
「大丈夫。問題ないわ。メルランの言う通り、私が憶えていようが憶えていまいが、今、此処にいることが大事なんだから」
「そう、今、この店に来てくれていて、本当にうれしいわ。楽しんでいってね。今日は最高の演奏を見せてあげる」
ルナサがそう言うと、
「今日も、よ!」
とメルランが笑い、
「どっちでもいいけれど、さっさと始めようよぉ」
とリリカが急きたてた。
「それじゃあ、一番良いのをお願いね!」
囃すようにメリーが手を叩くと、ルナサは黙って頷き、メルランは即興で軽やかにタップを踏み、リリカはガッツポーズをして、店の奥にしつらえた簡単なステージに向かった。
ステージには、ヴァイオリンとトランペットとキーボートという、どう取り合わせても異色な組み合わせの三つの楽器が、自分たちの出番を今や遅しと待ち構えていた。客の間で拍手が起こる。
虹川三姉妹の店内ライブの始まりである。
Fin.
あとがき
ほとんどの皆さま、はじめまして。そして、奇特な皆さま、こんにちは。普段は電脳空間の片隅で小説サイトをしている、黒狗と申します。
一応「干狗」というサークルでちょくちょくイベントに参加しているのですが、今回初単独でのイベント参加とあいなりました。今後も時々単独で出現いたしますので、よろしくお願い致します。
さて、秘封倶楽部と、そして秘封倶楽部の世界での虹川姉妹のどうでもよい日常の一コマ、いかがでしたでしょうか。話自体には、特にコメントありません。読んだまんまの、のんべんだらりとしたお話。何となく、「らき○すた」とか「ひだまり○ケッチ」とかの、日常系ストーリーで書きました。
ぶっちゃけた話、たったこれだけの文章に、メチャクチャ時間がかかりました。多分、こういう日常的な一場面を切り抜くような場合、物語に方向性がないから進む方向を見失いがちになるからかもしれません。……おっ、珍しくマトモな話。
ちなみに、この「秘封倶楽部+幻想郷メンバー」、タイトルの村上何某のパロディというのは、今後ピンで参加する際のデフォルト設定にしていこうかなー、などと画策中。幻想郷メンバーには今書いている「幻想の終りとスラップスティックワンダーワールド(仮)」にも、チョロチョロと出張してもらってます。勿論、この物語に出てくる虹川姉妹とプリズムリバー三姉妹は、何の関係もございません。良く似た名前、良く似た性格の赤の他人でございます。
そんなこんな。紙幅の関係で、ここらでお暇させていただきたいと思います。またどこかで姿を見かけたら、「あの馬鹿、また来てやがる」と冷やかしていただければ、有難い。
では、またいずれ、どこかのイベントでお会いしましょう。
「幻想の終りと〜」はちゃんと書くYO!
二〇一一年五月二十四日 自宅にて 黒狗
BGM ” It don't mean a thing” BY Duke Ellington
*↑ここまでテンプレ
2011年5月の「東方四国祭3 in とくしま」に配布した同名のコピ本でした。
当サークルの秘封倶楽部メイン小説での、溜まり場の一つにしようというのと、作品の趣向というか、傾向を前面に出していこうという、お披露目の意味で書いた憶えがあります。
まぁ、なんちゅうかですね、虹川姉妹は楽なんですよ、虹川さんところは……