東方遊蝶記 〜金瘡小草〜

地獄の一級死神、小野塚小町は、今日も今日とてサボっていた。

満開に咲いていた四季折々の花々も、博麗の巫女や普通の魔法使いや瀟洒なメイドや半人半幽霊の庭師や竹林の月兎やらが騒いでいた頃に比べると、
随分落ち着いてきてはいたが、それでも未だ多くの花が四季を無視して咲き誇っていた。

このところ小町も普段よりも勤勉に舟を漕ぎ、何度も此岸と彼岸を往復して多くの魂を運んでいたが、今朝になってふっつりとやる気の糸が切れたのか、
はたまた生来のサボりの虫が疼くのか、風の向くまま花の咲くまま、ふらふらとあちらこちらをうろついていた。

「おお! 此処いらも満開だなあ。此処ら辺にこんなに花が咲いたことなんて今までにあったっけ?」

地獄へ至る一本道の脇にも、青く小さな花がびっしりと咲いていた。まるで青い絨毯のようである。
この辺りは地獄の喧騒も遠く、彼岸の静寂も遠く、三途の河向こうの此岸は幽かにも見えないほどに遠いという、
忘れられたような取残されたような、そんな少し侘しく寂しい場所であった。

いつもならこんな場所に青く小さな花が肩を寄せ合いひっそりと咲く様は、地獄に向かう魂たちのわずかばかりの慰めになっていたのだが、
幻想郷の異変はこの寂寞たる場所にも届いているようで、青く小さい花に埋め尽くされた景色は幻想郷、しかも彼岸という場所にありながら、
小町を夢幻に迷い込んだような気持ちにさせていた。だからといって小町の調子が狂わされることは一向にないのではあるが。

「いやあ、こんな小さい花でもここまで咲くと壮観だなあ。丘の向こうの方まで一杯だ。
しかしこの花、幻想郷も此処ら辺りでしか咲いてなかったような。何て花なんだろ」

小町もこの青い花を何度か見たことがあったが、特に花に詳しいわけでもないので名前など知らなかった。そもそもそんなことに興味を覚えたこともなかったのだが、
ここまで存在を強調されると些か気になるもののようである。

「この花は『きらんそう』という名前よ。別名、『地獄の釜の蓋』とも言うわ」

小町の独り言に、すぐ後ろから誰かが答えた。花を愛でることに夢中になっていた小町だが、
自分のすぐ後ろから声がしたことに大して驚きもしなかったし、振り向きもしなかった。ただその花の名前を知ることができたということで、小町には十分だったようだ。
それとも違う理由で振り向かなかったのかもしれない。

「へ〜、『きらんそう』っていうのか〜。けど何で別名が『地獄の釜の蓋』なんです?」

小町は自分の後ろの誰かに尋ねた。誰かは答えた。

「この草花が薬になるとされるから。『病人を癒して地獄の釜に蓋をする』、つまり死なないようにすることから、そう呼ばれているそうよ。
『医者倒し』なんて名前もあったかしら。まあ、効果のほどは良く分からないという話だけど」

それを聞いて、小町は「呆」と少しばかり間の抜けた声をあげた。

「そりゃ良い名前だ。是非ともバッタバッタと倒して欲しい」

「あら? 小町は医者が嫌いなの?」

小町の後ろの誰かは不思議そうに聞いた。小町はふざけた風もなく、真面目な調子で言った。

「あいつらは苦い薬ばかりを飲ませますから」

小町は後ろの誰かが溜息をつく気配を感じた。

「良薬は口に苦し、よ。本人にとって苦々しい言葉ほど、その人の為になるようにね」

そこで漸く小町は首だけ振り返って自分の後ろにいる誰かを見た。まあ、声を聞けば自分の後ろの誰かが誰であるかということは、小町には分かりきっていることではあったのだが。

「小町、仕事はどうしたのかしら?」

後ろに立っていた人物は、小町の直接の上司である閻魔、>四季映姫であった。

「ああ、いやあ、ちょうど今から仕事に戻ろうと思っていたところですよ? 別にサボっていたわけじゃなく」

「あらそう? じゃあどうして今日は私のところに一つの魂も来なかったのかしら?」

腰に手をあて額に青筋を浮かべながら、>映姫が小町を見上げて言う。映姫の口調から、表面は柔らかいが一枚捲ったその下に鋭利な針でできた筵が敷かれているのが良く分かる。
経験的にこのパターンは説教が長くなることを、小町は知っていた。

だからいつも通りここは誤魔化すことにした。ただこの誤魔化しが一度も実を結んだことがないことを、小町は未だ学んでいない。

「あれ? そうですか? おかしいなあ。確かに彼岸に送ったはずだったんだけどなあ? もしかしてこっちで迷ったのかな?」

「小町!」

グズグズと惚ける小町に、>映姫の一喝が飛ぶ。

「……な〜んて、ね♪……」

小町は誤魔化していたのをさらに誤魔化すように、意味も無く顔の前でクルクルと指を回しみせた。
が、勿論そんなことが>映姫に通じるとは思っていないので、これはなんとなくしただけの、本当に意味のないことである。
それどころか、ピリピリチリチリと音を立てて燻る燠火のような>映姫の怒りに、油を注ぐだけの危険な行為である。怒っている時に茶化されれば、誰だって怒りが静まるはずがない。

映姫は、今度は大きく体を上下させて、あからさまに溜息をついた。

「……小町」

「……はい」

「これはまた始まるな〜」と考えて、小町は肩を落とし、観念したように目をぎゅっと力いっぱい瞑った。背の高い小町がしおれると実に情けない姿に見える。

しかし今日は>映姫が>「小町」と呼んだ後の、いつもの苦言と小言に満ちた説教が続いてこなかった。
しばらく覚悟を持続させていた小町だが、何も起こらないことを不審に思い、恐る恐ると細目を開けて、自分の上司の様子を伺った。

映姫は、いつも小町がサボっているのを見つけた時に浮かべる、怒っているような、困っているような表情を浮かべていた。そうして先程の口調から針の筵だけを取り払った声で言った。

「……本当に、貴女はしようがない娘ね。そういえば小町。貴女が私の元で働き始めて、もうどれくらいになるかしら?」

「……へっ!?」

思ってもみなかった映姫の言葉に、今度こそ小町が素っ頓狂な声をあげた。
そうして少々慌てながらも、話をはぐらかす好機到来とばかりに、腕を組み頭をかきながら、少しずつ時間を稼ぐようにして答える。

「……え、え〜と、そうですねえ、確か私が四季様のところで三途の川渡しを始めたのが、死神見習いが終わってすぐでしたし、
あれから今回みたいに花が咲き乱れたのを、もう3回近く見たような気がしますから……」

と、答えながら、結局咲き乱れる花のところに話題を戻した自分に、小町は呆れた。墓穴を掘るとはこのことであろう。

だが>映姫は気にした様子もなかったので、小町はほっと胸を撫で下ろした。
映姫は足元に咲く、青い花に触れ、幽かに見える青い地平線を眺めて言った。

「そう。小町が来てから、もうそんなになるのね。どうしてかしら? 私は小町が来た時のことを、今でも昨日のことのように思い出すときがあるの」

そう言って、額に青筋を復活させて皮肉気に笑った。

「貴女が仕事をサボる日なんか、特に」

「……すいません」

小町の内心などお見通しと言わんばかりである。実際そうなのである。だが小町は、この堅物で説教臭い上司のことを全て理解できているわけではなかった。
それでも不安はない。小町は>映姫が閻魔として優秀なだけではなく、幻想郷に住む者としても優秀で、なおかつ数少ない無条件で信頼できる相手であると思っている。
それほどまでに小町と>映姫の付合いは長い。だがそれでも時々好奇心に似た感覚を憶える時がある。
丁度今のような、閻魔としてではない、幻想郷に住むものとしての、肩書の無いただの>四季映姫として振舞っている時などがそうである。

だが小町はこのモヤモヤとした感情をどう表現すればいいのか分からずに、今もずっと持て余している。
映姫に何かを尋ねたいようなそんな気持ちなのだが、一体自分が何を尋ねたいのか、小町自身にもわからないのである。
ただ何かを尋ねたいという気持ちだけがフワフワと漂っていて、それが小町に焦燥に似た感覚を与えるのである。

バツの悪そうな小町の態度を見て、>映姫はいつもの複雑な表情をして、説教をする時に良くするように腰にあてていた手を解いて言った。

「まあ、いいでしょう」

そうして元気づけるように小町の肩に手を置いた。

「今日のところは、見事な金瘡小草に免じて、許してあげましょう」

「へ!? いいんですか!、四季様!? 私、サボってたんですよ!?」

バネ仕掛けのように上体を跳ね上げて、小町が上ずった声をあげた。そうして信じられないものでも見るように、目を見開いて>映姫の顔を穴が開くまで見つめる。

「……小町。……顔が近い」

「ああ!? すいません!?」

興奮してマジマジと>映姫の顔を見ていた小町だったが、何時の間にか>映姫の顔にくっつかんばかり顔を寄せていた。
映姫も流石に目の前まで迫られると暑苦しいようで、小町の額を押しやって、もう一度真面目な顔を作り直してから言う。

「ええ。今日だけは、今だけは、許してあげましょう」

そう言って笑った。固い蕾が綻んだように。

「許すのは私の仕事じゃないけどね」

そうして「けれど」、と、>映姫が言葉を続ける。

「小町は本当に相変わらずよね。貴女が始めて来た時もそうだったわよね?」

「……え〜と、そうでしたっけ?」

別に小町は惚けたわけではなかった。本当に憶えていなかっただけである。ポリポリと頬をかく小町を見て、>映姫がクスクスと笑う。

「本当に相変わらず。貴女、初めて私の所に来る日を忘れてたのよ。
それだけじゃないわ、仕事始めの日だって、私が見てないと分かったら直ぐにサボり始めて。面接した時はもっと真面目な娘だと思ってたから、本当にビックリしたわ」

映姫が遠い目をした。>映姫の目には小町と出会った頃のことが、目前に広がっているのかもしれない。それとも>映姫の心だけが其処へと漂って行っているのかもしれない。
ただ額に青筋が浮かんでいないので、それほど不快な思い出ではないようだ。

「あれから随分とたったわね。……ただいくら思い出しても、小町がサボっている思い出しか出てこないのが、不思議だけどね」

映姫の笑う姿を見て、

「…………何だか、今日の四季様は、いつもと違いますね」

小町が思わず呟やいたその時、一陣、青い花の海を風が渡った。

小町が風にそよぐ髪を押さえ、>映姫が風に攫われぬように帽子を押さえた。

「どんな風に?」

 金瘡小草の花弁が風にそよぎ、風に舞う。それは青い漣となって二人を包んだ。

「う〜ん。何と言いますか、・・・・・・こう、穏やかと言いますか、気が抜けてると申しますかっ……!!」

と、そこまで言って小町は両手で自分の口を塞いでモゴモゴと口ごもり、慌てて直ぐにその手を顔の前で振ってしどろもどろになる。

「ああっ!? いや!? 何と申しますか、その、決して悪い意味ではなく、お仕事をされてる時のような、こう、張り詰めた感じがなくて、あの、その……」

顔を真っ赤にしてアタフタする小町を見て、>映姫が真面目な顔に戻る。
そうして人差し指で眉間をトントンと叩きながら、いつも小町に説教をする時のような調子で話し始めた。

「……全く、……小町は少し落ち着くことを憶えたほうがいいわ。落ち着いて、話すことを整理してから喋りなさい。
それじゃあ此方に着く前に舟に乗せた魂が疲れてしまうのも道理ね、と……」

と、>映姫は言葉の途中で足元に目をやり、そのまま動かずにじっと何かを見ていた。
小町が「はあ」とか「ああ」とか生返事を返したのだが、>映姫は挙動不審な小町のことなど気にせずに、そのまましばらく足元を見つめていた。
そうしてジッと一輪の金瘡小草を見ていたのだが、やおら屈んでその金瘡小草を手にとると、茎の真ん中辺りで手折った。

「……ちょ、ちょっと! 何をなさるんですか!?」

混乱していた小町がそれを見て声をあげる。慌てて>映姫を止めるような動きをするが、おかげで混乱が続く小町の動きはますます不審になるばかりである。

「四季様! 閻魔様が花を手折っちゃ駄目ですよ!」

怒っているような、心配しているような、色々な感情がない交ぜになって、顔から火を噴きそうな勢いである。そんな小町に>映姫は少し憂いを込めた表情で、首を横に振った。

「残念だけど、小町。この金瘡小草はもう駄目なのよ。この花は元々それほど強い花ではなかったの。
だから幻想郷の異変で霊が花に宿ったことで、この花は霊の重さに耐え切れなくなってしまった。この花は病み始めている。
このまま放っておけば何れ他の花にも悪い影響を与えることになるでしょう。だからこの花が『罪』を犯す前に、手折ってしまわなければならないの」

映姫の落ち着いた声に感化されて、わけもわからずにのぼせ上がっていた小町が少しづつではあるが、頭に溜まった熱が冷めていく。
そうして>映姫に説教される時のように、また頭をうな垂れて、>映姫の持つ青い花に視線をやる。

「……何だか、かわいそうです。せっかく花開いたっていうのに」

しんみりした声の小町に、>映姫は口調こそ穏やかだが、閻魔としての威厳を込めた言葉を投げかける。それはまるで楽園の最高裁判官として魂を裁く時のようでもある。

「このまま咲き続けて『罪』を犯すとしても?」

小町は目を瞑って、腕を組み黙考する。そんな小町の顔を、>映姫は試すようにじっと見つめる。そうしてしばらくして小町は腕組みを解いて、豪快に頭をかいた。
小町は元来あまり悩んだり、考えたりしない性質である。だから小町が>映姫に言う言葉は、結局考えるまでも無く決まっていたようなものだったのである。

小町は一つ頷いて、言う。

「そうですね。そう思います。やっぱり折角咲いたんですから、そのまま咲いていてほしいです。まあ、私は死神で、閻魔様じゃないですから、難しいことはわかりませんけど」

映姫が>「そう」と、短く答えて、

「そう、だったら、はい」

と、手折った花を小町に差し出した。>映姫の意図がわからず、小町が不思議そうな顔をする。微笑み、>映姫が続ける。

「じゃあ小町がこの花をちゃんと送ってあげなさい。死神らしくね」

映姫から受け取った花を、小町は見る。その金瘡小草は>映姫の言うように何かの病気らしく、茎の所々に茶色い染みのようなものが浮き上がり、
手折ったばかりだと言うのに色褪せた花の重みに耐えかねるように頭を垂れている。

お世辞にも美しい花であるとは言えない。愛でるためにではなく、『罪』を犯さないようにと手折られた花なのだから、それは当然である。

それでも、そんな花でも、小町はいつもの焦燥感が、胸にこみ上げてくるのを感じていた。
その焦燥感故、小町はまともに>映姫の顔が見ることができず、足元に視線を逃がした。それでも焦燥は小町を急き立て、小町に口を開かせる。

「あのう。四季様」

小町は俯きながらモゴモゴと>映姫に話しかけた。

「何? 小町」

映姫が答えると、小町はパッと顔をあげた。小町の顔は茹でたタコのようで、そうしてなんだか笑い出しそうな、泣き出しそうなそんな珍妙な表情をしていた。

「実は私、誰かから花をもらったの初めてなんです」

と、いつもより甲高く、調子の外れた声をあげた。そんな小町に>映姫は言う。

「あら? 私も誰かに花をあげたのはこれがはじめてよ?」

と小町とは反対の、至極落ち着いた声で答えた。

「こんな花でごめんなさい。けれど他の花を手折るわけにはいかないし、そもそも小町にあげるのが目的じゃないからね。あくまで貴女と私の仕事の一環として、よ」

と、>映姫は付け加えるが、頭に血が上った小町は>映姫の言葉などあまり耳に入っていないようで、ブンブンと首を横に振った。
何かを打ち消したいらしい。それとも遠心力で頭に上った血を下がらせようとしているのかもしれない。

「い、いいえ、そんな! 滅相も無い! もう枯れてしまうし、かなり色も褪せててそんなに綺麗でもないし、茎なんかもうボロボロになってますけど、全然気にしてません!」

アタフタしながらも無理矢理に言葉を紡ごうとするが基本的に単純な小町のこと、カッカと火照る頭でもって当意即妙な返事を返せるものではない。
長所として捉えれば、素直とも言える。だからこそ>映姫はわざと小町に尋ねた。

「あら? それ嫌味?」

映姫に追い討ちをかけられて、小町の不審な挙動がさらに酷くなる。本人も恐らく自分がどんな動きをしているのか、最早よく分かっていないのだろう。
外の世界の踊りでも踊っているつもりなのか、それとも天狗のように風でも起こそうとするつもりなのか、滅多矢鱈に手でパタパタと仰ぐ仕草をする。
それも油の切れた唐操人形のように至極ぎこちない。

「違うんです! そんな意味じゃなくてですね! 私、本当にすごく嬉しいです!」

「本当かしら? 私からお説教以外のものをもらうのがそんなに不服? それともやっぱり小町は私の小言を聞く方が好みなのかしらね?」

映姫がじいっと半眼で小町の顔を見上げる。その視線に押されるように、「ううっ」と潰れたカエルのような声をあげて、小町が後ずさった。

「……いえ、あの、その、お説教よりは四季様から花をいただく方が断然いいです。
……それと、その、できれば日々のお説教もお腹一杯ですので、少しばかり減らしていただきますと有難いくらいなんですが……」

ジリジリと後ろに下がりながら小町が言う。ついでにお願いも忘れずに入れているところを見ると、少しは熱が引いてきたようである。

「あら、私のお説教が嫌なら、小町ももう少しサボらないように、三途の河の渡し守に励んで頂戴。折角、貴女に金瘡小草をあげたんだから」

そう言って>映姫は小町の手元の萎びた青い花を指差す。
それ以上>映姫が接近してくる様子がないことを見て取って、小町が後ずさるのを止めて、手に持った花を顔の前に持ってきて、しげしげと見る。

「はあ、この花はお駄賃の前渡ってところですか……」

どこから何度見ても、その金瘡小草はあたりに咲き誇る他の花よりも見劣りするものだった。小町が納得いかないように眉根を寄せるのをのも無理は無い。
そんな小町の様子を見て>映姫が首を横に振る。

「ああ、違うわ、そうじゃないの。金瘡小草の花言葉よ。さっきやっともう一つのほうを思い出したから」

首を傾げる小町に、>映姫は唇の端をキュッと皮肉気に吊り上げて見せた。

「『あなたを待っています』、よ。明日からは私の元に、ちゃんと魂を運んでくるように」

それを聞いて、小町は参りましたとばかりにカックンと首をうな垂れた。

「……明日からサボらずちゃんと魂を運んできます」

溜息混じりに小町は言った。>映姫は何も言わず、ただ微笑みで小町に答えた。
こんな殊勝なことを言いながら、明日になれば小町はきっと忘れているだろうと>映姫は思ったし、小町自身もそう思っていた。

ただ、できれば、この小さな花が朽ちて土に戻るほんのわずかな間だけは『できるだけ』サボらずに舟を漕ごうと小町は思った。

そうして小町はうな垂れていたのだが、ふと先程の>映姫の言葉が気になった。

「あれ? 四季様。もう一つって、じゃあ、この花には他にも花言葉があるんですか?」

「ええそうよ」と答えて、>映姫は小町のほうを見た。

小町は見た。>映姫の深い色をした瞳に今の自分が映っているのが見えた。そして遠い昔の自分が映っているのが、今に連なる自分の姿が映っているのが感じられた。

「金瘡小草の花言葉、それは……」

風が一陣、過ぎ去っていく。小町の手に握られた金瘡小草の青い小さな花びらを舞い上げながら、過ぎ去っていく。

「『追憶の日々』」

散り行く青の中で、小町は>映姫の心をはっきりと感じていた。そして、澱のように胸につかえていた焦燥感が、青い花と共に風に吹き散らされていくのを小町は感じていた。

映姫は、舞い散る青い花弁を目で追いながら、少しだけ頬を朱に染めて笑った。

「今までの日々を思い出すと、いつも私は貴女にお説教ばかりしてる。
でもね、小町。私は貴女と出会えて、本当に良かったと思ってるのよ。今まですごく楽しかったわ。そして、だからこそ、これからもどうかよろしくね」

それを聞いて小町は呆気に取られたように無言でパクパクと口を動かしていたが、ふいと突然きびすを返した。そうしてわざとらしく大きな声で『独り言』を言う。

「ああ〜! そろそろ仕事に戻んないと〜! また四季様にお説教されてしまう〜!」

そうして視線は明後日に向けながら、首だけで振り向いた。

「……あの、私も、その、四季様と会えて、良かったと思ってます。だから、あの、その、これからも、よろしくお願いします。
……あと、もうちょっと仕事、サボらないようにします。」

小さい声で、少し震えていたが、小町の声は>映姫にはしっかりと届いていた。

それだけ言うと小町は三途の河へと歩いていく。手の中の、しおれて色褪せた金瘡小草を、嬉しそうな瞳で見つめながら、小町は仕事へと戻っていった。

小町の後ろ姿が見えなくなるまで、>映姫は青い花の丘で静かに佇んでいた。>映姫は嬉しいような、面映いような、そんな複雑な表情をしていた。
先程の小町と同じような表情である。やがて小町の姿が見えなくなると、>映姫も自分の仕事場へと戻っていく。

「……我ながら、柄にもない恥ずかしいことを言ってしまったわね。……全く、私としたことが。……花の色香にでもあてられたのかしら?」

映姫の独り言を聞くものはいない。ただ満開の小さな青い花々だけが、静かに風にそよいでいるだけだった。

Fin.

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