まえがきのようなもの
今回は風神録4ボスからEXボスまでの総出演。しかしメンツ負けして、話自体はいつもの駄文とかわりません。
大将棋やら将棋については、駒の動かしかたと「風果つる街」ぐらいしか読んだことがないのでズブの素人です。
なので間違いは大目に見てください。きっと幻想郷のハウスルールです。
椛と文についてですが、アヤ×モミのメインストリームから外れた感じになってます。ワザと外したともいいますし、私の趣味ともいいます。
だから怒らないでください。卵とか投げないでね。
あと神奈子は蛇で、諏訪子が蛙です。だから早苗はナメ、うわやめろなにお@idjwoiejg!!
妖怪の山に、巨大な物体が落下するような音とそれに続く地響きが轟き渡ったのは、誰もがそろそろ昼食をとろうかと考える頃だった。
その音にある者はまどろみを破られ、ある者は箸をとり落した。しかも轟音と震動は一度だけで止むことはなく、一定のリズムを刻み、妖怪の山全体に響き続けていた。
そんな轟音と震動に揺れる山の様子を、澄み切った秋晴れの空から見下ろし、射命丸文は愚痴をこぼした。
「やれやれ。どうして私にこんな仕事が回ってくるのかしら? 私はあくまで新聞記者。山の治安維持は貴女たちの仕事じゃなかった、椛?」
「まあまあ。そう言わないで、文ちゃん。それに本当なら私も非番の日なんだから、ここはお互い様ってことで〜」
迷惑そうな文のジト目に、犬走椛は苦笑いをもらした。確かに文の言うとおり、山の警備任務は椛達、白狼天狗の仕事である。
しかし今回の事件に限っては、天狗に限らずこの山に住む妖怪達全てが、彼女達が解決にあたるのが最も妥当であると判断するだろう。
それが二人にとっては、とばっちりに等しいような評価であったとしてもである。
それというのも、千里を見通す目を持つ天狗でなくとも、妖怪の山に住む誰もが少し空を見上げるだけで、今回の騒動が誰の仕業であるか分かってしまうからである。
それは勿論、遮るもののない空を行く二人にとっても同じことであった。否、空を行くからこそ、否応なく自分達が召集された理由を視界に収めることになる。
それが、文と椛が地に墜落してしまいそうな程に気を重くしている理由でもあった。
「まあ、私と椛が駆り出された理由は、アレを見ればハッキリと分るけれど」
「そうね〜。どうやら私と文ちゃんは、はれて守矢神社担当に任命されたみたいねー」
「私たちにはどう転んでも、ケでしかないけれどね」
「まあ、山に殴り込みに来た巫女と魔法使い担当になった時点で運の尽きと、諦めましょうよー」
異変の原因が、最近幻想郷にやって来た二人の神と一人の巫女が住む神社であることは明らかであった。
何故ならこの秋晴れの最中、守矢神社の上空だけが黒雲で蓋われ、大粒の雨が降り注いでいる。
しかも異変はそれだけに止まらず、巨大な竜巻が黒雲を貫き天まで昇り、幾本もの巨大な柱が宙を飛び交っていた。
人間より格段に強力な力を持つ妖怪といえども、天を騒がし地を揺るがす程度の怪異を起こせる者となると、幻想郷広しといえども流石に数える程しかいない、……だろう。
そして文達が現在目指している守矢の社には、その数える内の三人までもが集まっているのである。つまり、答は自ずから知れているのである。
「けれどこの派手派手しさから考えて、巫女さんがコレをやらかしているというわけではなさそうね〜」
「ああ、そうか。椛は早苗にまだ会ったことなかったんだっけね。確かにあそこの巫女は麓の紅白と違って常識人だから、派手なことはしないような気がするわね。
けどね、霊夢に喧嘩を売ったのはその守矢の巫女なの。だから誰が今回の騒動の原因なのか、案外分らないわよ」
向かう先の荒れ模様に怖気づいたのか、空を飛ぶ椛の足が鈍る。それどころか文の話を聞きながら、少しずつ後ずさりしていきそうですらある。
しかしそれも当然のことで、誰も好き好んで厄介事、しかも神様が絡んでいるようなゴタゴタに足を突っ込みたくはない。
だが麓の巫女と魔法使いが守矢神社とのイザコザを解決した際に、上手く二人を誘導したのが文であり、その二人が山に侵入した際に対応したのが椛である。
言ってしまえばその程度の係り合いしかないのだが、天狗を始め妖怪の山に棲む者達はすっかり文と椛を「守矢神社担当(兼、暴力巫女と白黒魔法使い担当)」であると認識していた。
もしかしたら本当の理由は違うのかもしれない。もっと論理的で、理性的な理由というものが何処かに存在しているのかもしれない。
妖怪の山を取り仕切る大天狗の頭の片隅くらいには、埃を被って仕舞いこまれているかもしれない。しかしそんな尤もらしい理由が存在していたとしても、それすら後づけなのかもしれない。
それどころか実は正当な理由があるかどうかなど、実はどうでもよいのかもしれない。
なぜならそんなものよりも、もっと切実で、ずっと多くの者の心に響く、そんな強い理由が既に存在しているからである。
端的に言うと、誰も好き好んで厄介事を引き受けたくないのである。
誰も貧乏籤を引きたくないのである。だから何かしら理由をこじつけ、多数の意見という数の暴力でもって、文と椛に神社の面倒事という厄を押しつけたというのが、最も真実に近いだろう。
要は体の良いスケープゴートである。
しかし、その気持ちも理解できなくはない。
妖怪にも人間にも変わらぬものというものが、少なからず存在している。そんなものの一つに心の動きというものがある。
心を成すものや、その動く仕組みが異なれど、妖怪も人も、同じものを見て、同じようなことを感じる、ということが間々あるものである。
それは例えば、花が咲けば花を愛で酒を呑み、花が散れば花弁を惜しんで酒を飲む、そんなもののことである。
そして、今まさに椛と文が感じている気持ちも、その多くの例の中の一つと言えるだろう。
それは厄介事を厭う心である。そしてその心は昔から、諺として一言で言い表されている。
つまり「触らぬ神に祟りなし」である。
不承不承、守矢の神社にやって来た文と椛が見たものは、あるいは想像を超え、あるいは想像の通りという、そんな混沌とした様相であった。
境内のあちこちに注連縄が巻かれた巨大な柱や、剣呑な光を放つ鉄の輪が突き刺さり(それでも何故か本殿やその他の建造物は無傷である)、
大水が流れたように、あるいは暴風が大樹を引っこ抜いた跡のように、大地を抉り取った大穴がそちこちに開いていた(そしてこちらも不思議と神社の建物などには一切被害がなかった)。
そして見上げた空には、禍々しく渦巻く黒雲を背景に、対峙する二つの人影があった。
一方は背に巨大な注連縄を背負い、一方は蛙を模した奇妙な帽子を被っている。
その特徴的なシルエットから、守矢神社の神である八坂神奈子と洩矢諏訪子の二人であると見てとれた。
雲の群れを呑みこみ撹拌する、尋常ならざる風音の中にあって、それでも神奈子の高笑いが辺りを揺るがし、荒ぶる神の威徳を存分に示ていた。
「ほーら見なさい! どーせ前の時みたいに私にやられるんだから、さっさと降参しなさいな!」
そして腕を高く振り上げると、勢い良く振り下ろす。
その腕の動きに呼応し、辺りを吹き荒れる風が姿を変える。
野放図に駆ける風の群れが一つの意思に束ねられ、神奈子の周囲を舞う幾本もの御柱を引きずり、諏訪子に向かい吹き抜ける。
「あーうー! またそんなこと言うー! この前だって、最後までやってたら勝負はどっちに転ぶか分らなかったんだから!」
空気を引き裂くかん高い音を連れて迫る御柱など恐れもせずに、諏訪子は腕を組んで仁王立ち、団栗眼を精一杯鋭くしてただ神奈子だけを睨みつける。
その諏訪子の神意を受け、空を蓋する分厚い雲から車軸を流すような雨が降り注ぐ。
雨は瞬く間に綾目もつかぬ瀑布と成り、瀑布は何処までも続く城壁を成す。一瞬の間に作り上げられた水の城壁に、爆音を立て砲弾の如き御柱の弾幕が突き刺さった。
「相変わらずやるじゃない」
音が跡を引き、飛沫が舞い散る中、崩れ去った雨の城壁の向こうで神奈子は楽しそうに笑っていた。
「あなたとの馬鹿騒ぎも長いからね〜。これぐらい、目を瞑ってても平気よ?」
水の城壁に阻まれ砕け散った御柱の残骸が降る中、諏訪子が至極真面目な顔で言った。神奈子と違って、その表情は馬鹿にするなと言いた気である。
そのむくれた様子に神奈子が軽く吹いた。
「あら? 随分と言ってくれるわね。そう言って負けたのは何処の誰かしら?」
そして神奈子が歯を剥き出した凶悪な笑みを浮かべる。
餌を見つけた蛇が微笑むとしたら、今の神奈子のような笑みを浮かべるのだろう。
「負けてないって言ってるでしょ〜! いいわ! それじゃ今日はトコトンまでやりましょうか! 一体どっちの神威が上か、ハッキリさせてあげる!」
神奈子の挑発に、諏訪子が鼻息荒く応じた。両腕、両足を広げたその姿は、大蛇すらも飲み込んでしまうような巨大な蝦蟇を彷彿とさせる。
そして二人の戦意に呼応し、再び吹き始める大風と、降り始める大雨。
造作もなく自然現象を操る、まさしく人外と呼ぶに相応しい二柱の神の戦いを、二人の天狗はただ口をポカンと開け、呆気にとられて見上げるしかなかった。
「……あー、何か、帰っていいかしら?」
「駄目ですって文ちゃん! 大天狗様に怒られちゃうから!」
珍しくカメラを構えることもなくただ唖然と見上げていた文だったが、やおら荒々しく頭をかくと、そのまま何事もなかったかのようにその場を立ち去ろうとした。
しかし自然に立ち去ろうとする文の袖を、椛がすかさず捕まえる。自分だけこんな場所に置き去りにされては堪らないのであろう、差し迫った危険にその表情が引きつっている。
しかし文はべそをかきはじめそうな椛の顔を見ても、その足を止めない。それどころか袖をとるその手を邪険に振り払おうとする。
「だってあんなのどうしろって言うのよ! そんなに言うなら椛が何とかしなさいよ!」
「えー、私なんかより文ちゃんの方がずっと強いじゃないのー!」
にべもなく振り払う文に対して、しかし椛も負けず、右の袖で振りほどかれると左の袖へ、左の袖を振りほどかれると右の袖へと執拗に文の動きを牽制する。
「えーい! 放せ! 放しなさい! 伸びる! 袖が伸びるから!」
「いーやーだー! 絶対に離さないんだから! ここで文ちゃん一人だけ逃がすもんかー!」
文は椛もろともブンブン袖を振り回すが、袖を放すと間違いなく幻想郷最速の足を無駄に発揮するのが分かっている椛も、全力でくわえついて放さない。
吹き荒れる神風の渦中にあっても、神々の対決などどこ吹く風とばかりに、ある意味二人の世界に入っている騒々しい天狗達。
その姦しい様に、上空で弾幕合戦を繰り広げていた諏訪子が気づいた。
この状況でも崩れない天狗達のマイペースっぷりに驚いたのかそれとも呆れたのか、諏訪子は弾幕もそっちのけでグルグル回っている二人の天狗を訝しげに見下ろす。
そして妙に眼下を気にする諏訪子の様子に、神奈子も御柱を叩きつけようと勢い良く振り上げた手を止めた。神奈子の視線に気がついた諏訪子は、ピコピコと眼下で繰り広げられる小競り合いを指さした。
「……何やってんの、アレ?」
不思議そうな顔をして、神奈子が諏訪子に詮無いことを訊ねる。勿論、そんな質問に諏訪子が答えられるわけがない。
「さあ? 神社まで来て痴話喧嘩かしら?」
可愛らしく小首を傾げ、諏訪子も疑問形で答えた。神奈子も諏訪子の傍までやって来て、同じように首をひねる。
「金色夜叉でもやってんの? ……まあ、しかし、残念ながら今日の勝負はここまでみたいね」
名残惜しそうに言うと、神奈子は肩をすくめた。
「そのようね。……命拾いしたわね、神奈子?」
口元に浮かぶ意地悪な笑みを両手で隠し、諏訪子が団栗眼を細めた。
「あら? それはあんたじゃなくて? 諏訪子?」
諏訪子の笑みに僅かに頬を引きつらせ、神奈子も負けずに憎まれ口を叩いた。その言葉に、諏訪子のめかみ辺りに小さく青筋が浮かぶ。
そのまましばらく無言で睨み合う二人の神様。しかしこれ以上続けても話がすすまないと考えた神奈子が、眼下のじゃれ合っているようにしか見えない天狗に向かって声をかけた。
「ちょっとちょっと! あんた達、そんなとこで何やってんのよ!」
「うわあ、見つかっちゃいましたよ、文ちゃん!」
唐突に天から降って来た神の声に、文の袖にぶら下っていた椛が情けない声をあげ、神奈子の声に苦虫を噛み潰したような顔をしている文に力いっぱい抱きついた。
「だから言ったでしょ! 貴女が早く袖を放さないからよ!」
文は怯えて抱きつく椛の顔を引きはがそうと悪戦苦闘するばかりで、上空から響く神の声には答えない。
下手に答えると、面倒になった時に逃げられなくなると思っているのだろう。だから文は聞こえているのがバレバレでも、聞こえない振りをした。
「おーい! 聞こえてるー?」
混乱している様子の天狗達に諏訪子も声をかけた。
その声は神奈子の声ほど大きなものではなかったが、暴風と大雨が止んだ今、空と大地を繋ぐには十分な大きさである。また良いことなのかどうか、諏訪子の声は神奈子ほど人を圧するような威厳を備えてはいない。
だが恐慌の極致にある椛にはそんな諏訪子の声ですら、極度に怯え、首を竦める。そうして益々文の体にピッタリと密着する。
どうやらかなりナイーブになっているようで、外界の刺激に過敏に反応してしまうらしい。まるで怒鳴られた幼子が母に縋るように、渾身の力で文の体にしがみつき、鼻声まじりの情けない声をあげる。
「だって、文ちゃん、離したら間違いなく私を放って、さっさと逃げるでしょー!」
しかし文は暑苦しそうな顔でとりつく椛をにべもなく振りほどこうとする。雲行きが怪しくなり始めたこの場から、何としても秋の陽射のもとへと逃げだしたいようだった。
「そんなの当たり前よ! 取材ならまだしも、誰が好き好んで神様同士の喧嘩なんざぁ止めるもんですか!
とばっちりで祟られたりしたらどうするの! 毎日楽しみにしてる茶柱が横向いてたりしたら、その日からどうやって生きていけというの!」
それでも離れない椛に業を煮やし、押して駄目ならばと、椛の頬を抓ってムニムニと引き延ばす。
面白い顔で涙を浮かべながらも、それでも椛は文の袖から離れようとしない。それどころか益々力を込めて、華奢な文の体をさば折りするほど抱きしめる。
「……案外、しょぼいこと気にしてるのね〜」
胸を圧迫されて青い顔をしながらも椛のタックルを切ろうとする文の姿を、気のなさそうに見下ろし、神奈子が呆れた声をついた。
「あーうー、それより祟り神だなんて酷すぎるわ。そりゃあ、御供え物が少なかった時とか、こっそりミシャグジちゃんとかけしかけたりしてたけどさ〜」
文の言葉に少し傷ついたのか、諏訪子がいじけた。ただ文の言葉は聞こえても、白眼を剥き、口から泡を吹き始めた文の姿は目に映らないらしい。
椛のタックルを切る動作から、それがギブアップを示すタップになっているのだが、それには興味がないらしい。
「さりとて、このままでは埒が開かんし、少々強引なことをしても致し方なし、というところかしらね」
諏訪子同様、神奈子も動きが緩慢になっていく文には興味がないらしい。ただ今の二人に言葉は通じないだろうと判断すると、神奈子はおもむろに片手を上げた。
その動きは神奈子の神威を示すもの。周囲に展開する御柱の列が神の威力により、ゆっくりと上空に引き上げられる。それは見えざる腕が弓を引き絞り、矢をつがえるような動きである。
「よっ、と」
神々しさとは不釣り合いな、あまりに気の抜けた神奈子の掛け声と共に、強弓から放たれる矢の如く、御柱は二人の天狗目がけて放たれる。
空を裂き唸りを上げて迫る御柱。
椛のベアハッグで死に体の文の瞳が、御柱の姿を一瞬だけ映した。
文に遅れて、椛が空を見上げる。
しかし椛が動きだすには、御柱に気がつくのが遅すぎた。
椛が反応するよりも早く、二人の天狗の姿は轟音と共に噴き上がった土砂に呑み込まれ、見えなくなってしまった。一瞬のことで、悲鳴すら聞こえなかった。
泥土が曇天へと昇り、滝のように地へと戻って行く。それを眺め、諏訪子が胸につかえていた息を吐く。そして隣で何故か得気な顔をしている神奈子に疲れた顔を見せた。
「……神奈子、流石にちょっとやりすぎ」
諏訪子の言葉を、しかし神奈子は一笑にふすと土砂の向こうを指差した。
「大丈夫だって。ほら、あんなに元気」
「ちょ、ちょっと!? 何考えてるんです! 殺す気ですか!」
諏訪子が薄目で土砂の向こうを覗こうとしている間に、土色のカーテンは晴れた。
そこには驚きで引きつり青ざめた顔で声を失う椛と、怒気で赤らんだ顔で震える椛を抱きかかえる文の姿があった。
二人の体のどこにも泥や土がついた様子がないのをしっかり確認してから、面白い冗談を聞いたように神奈子が一頻り呵々大笑する。
「なーに言ってんの。あなたみたいな妖怪は殺しても死なないわ」
「どっかの不死身人間と一緒にしないでください!」
カラカラと軽快に笑う神奈子に指を突きつけ、文が間髪入れずに割と正当なツッコミを入れた。
その様子に相手が神様であろうと容赦もなければ、敬う気配すら感じられない。
文の不敬な態度も一向気にならないのか、神奈子はクスクスと笑いながら、意識せずに椛の頭をさすってやっている文に流し目を送る。
その視線は、全てお見通しだと言っていた。その見下したような視線に、文がムッと顔を曇らせ、瞳を鷹のように尖らせる。
文と神奈子の間に流れる剣呑な雰囲気に、神奈子の傍で諏訪子が、文の腕の中で椛が、それぞれどうしたらいいのかわからずに、オロオロと視線を彷徨わせる。
しかし慌てたところで、結局打開策が見つからず、気まずそうに顔をしかめるばかり。
そうして口には出さず、ただこの状況を打破する『機械仕掛けの女神』が現れることを、何処かの神様に祈っていた。
神様すら神頼みしてしまうその願いは、しかし何処かの神様に聞き届けられたようだった。
社の方からやって来る誰かの足音が張詰めた空気を破り、足音の主の落ち着いた声が、緊迫した時間など知らぬかのように気ままに漂う。
「すごい音がしたみたいですけど、何かありましたか……って、射命丸さん、来ていらしたんですか、……っと、そちらは新しい氏子さんですか?」
博霊神社と比べるべくもない広い神社の境内とは言え、山々が鳴り響き、地の果てまでもが残らず揺れ動く大変事に顔も出さなかった、守矢神社の巫女である東風谷早苗が、
何故かそんなことより明らかに大したことのない小競り合いを察知したように、ヒョッコリと姿を見せた。
「ああ、良かった。早苗、丁度いいところに。貴女からも言ってやってよ!」
「……は、はあ。しかし一体何をどう言えばいいのでしょう? ええっと、その……」
状況が把握できないことを知らせるように、早苗は少しだけ眉根を寄せ、もの問いた気に視線を泳がせる。
しかしその早苗の様子をどう解釈したのか、未だにその場の流れのまま、文に子犬のように抱きかかえられていた椛が、丁寧にペコリと頭を下げた。
「そうだ! ご挨拶が遅れて申し訳ありませんっ! 私、白狼天狗の犬走椛と申します。こちらの神社には何度かお参りには来たのですが、お会いしたのは初めてだと思います。
以後お見知りおきを」
椛は早苗が自分が何者であるか分からず、困惑していると思ったらしい。何とも間抜けな姿で自己紹介する。春めく椛の挨拶に、しかし早苗も反射的にニコリと笑うと律儀にお辞儀を返した。
「ああ、これはご丁寧なご挨拶、痛み入ります。私、こちらにおわします神奈子様と諏訪子様の巫女を務めております、東風谷早苗と申します。
……と、もしかしたら私の事はご存知かもしれませんね?」
「そうですねえ。確かにお名前は存じております。それにみんな噂してました…… ああっ! その悪口とかじゃなくて…… その、珍しくまともな人間が来た、と」
椛は失言したと思ったようで、気まずげに一度口を閉じた。けれどこのまま黙っているのも失礼だと思いなおしたようで、恥ずかしげに眼を伏せながら、結局最後まで言った。
だがそんな椛の心配は杞憂だと言うように、早苗は気を悪くした様子もなく、それどころか褒められて(?)少し赤くなった頬を、恥ずかしそうに手でそっと隠した。
「そんな…… 私は巫女として当然の振舞いをしているだけです」
「そんな〜、またまたご謙遜を〜」
パタパタと手を振り、人懐っこく椛がフニャリと笑う。その無防備な笑みに釣られて、早苗も笑った。それを見て椛がさらに「えへへ」とはにかむ。
「……って、和やかに世間話してる場合じゃないでしょ! それと椛! 貴女もサッサと自分で立ちなさい!」
笑顔の無限ループに引き込まれ、知らぬ間に和んでいた文が唐突に我に返った。自分の腕の中で穏やかに笑う椛をポイッと放り捨てると、わざとらしく咳払いをした。
そうして周りの注目を自分に集めると、やおら落ち着いた調子で今日の本題を切り出した。
「早苗、何かすごい音がしてたから来てみたんだけど、何があったの?」
さも迷惑だと言わんばかりの文のジト目に気圧され、早苗は面映ゆげに頬をかいていたが、すぐに深々と頭を下げた。
「あったと言えばありましたし、なかったと言えばなかったのですが…… まあ、何と申しましょうか。つまりいつものこと、わりと日常茶飯事なんですけどね。お騒がして申し訳ありません」
「何を言ってるの! ちょっとは素直に自分の非を認めるくらいの、……ってあら?」
言い訳をすれば何か文句でも言ってやろうと身構えていた文が、肩透かしを食らって前につんのめった。
普段からアクの強い連中を向こうに回し、右に左の大立ち回りを演じているだけに、ごく常識的な反応をされると調子が狂うようである。どう反応していいのやら困ってしまい、文は頭を掻いた。
「……全くもう。本当に気をつけてよね。貴女のところの神様は、今やこの妖怪の山に棲む者のほとんどから信仰されているんだから、その神様に浮足立たれちゃ、こっちはオチオチ寝てもいられないのよ。
それに私に面倒な仕事が回ってくることにもなるし。この足元、見てこれ! これ、貴女のとこの神様がやったのよ! 危うく潰されるかと思ったわ!」
調子が狂わされる相手であっても、文句に長広舌を振るうのは実に文らしい。そして大げさなぐらいに両腕を広げ、自分の足元に突き刺さる御柱の群れを強調する。
しかし他の妖怪や巫女、魔法使いと比べ遙かに常識が通じるとはいえ、早苗も幻想郷の住人である。さらに付け加えるならば、先程上げた面々と勝るとも劣らないくらい幻想郷に馴染んでいる二柱の神に仕える巫女でもある。
勿論一筋縄でいくはずもない。弾幕戦の名残を見渡し、文の言葉に恐縮すると早苗は困ったように微笑んだ。
「はあ。まあ、この様子を見れば大体何があったか分かりますが…… けれど射命丸さん、あれですよ、ほら…… え〜と、ほら! 『触らぬ神に祟りなし』です」
「早苗、それは巫女が言うことじゃないんじゃ……」
笑みで誤魔化そうとする自分の巫女に、流石に神奈子が悲しそうな声をあげた。しかし早苗はそんな神奈子の声にすぐには答えなかった。
妙に不自然にゆっくりと首を動かすと、早苗は変わらぬ微笑みを神奈子に向けた。
「……神奈子様、この有様を見て、それ以外の何が言えると?」
顔は笑ったままだが、その視線や発する言葉は冬の湖水のように、痛い程冷たい。
それが意味することは神奈子だけではなく、彼女の隣で両手の指を拡げて口を隠した姿で固まる諏訪子も理解したようだった。
「……ううっ、諏訪子、早苗が怖い」
「私だって怖いわよー」
蛇に睨まれた蛙のように肩寄せ合う神奈子と諏訪子。いささか情けない姿である。そうしてただ笑うだけで自分が祀る神々を黙らせると、その様子を見て呆れ気味の文と椛に同じ笑顔を向けた。
春の暖かな日差しを思わせる、そんな穏やかな笑みである。
「折角、お越しいただいたのに、こんなところで立ち話というのもなんですし、お二方さえよろしければ、本殿の方でお話ししませんか?
少し前、参拝に来られた麓の方から頂いたお菓子もございますし」
「喜んでお邪魔させていただきます」
大真面目な顔で右手を高々とあげ、文は少しの遠慮も躊躇もなく答えた。
「……文ちゃん、げんきん過ぎ……」
そう言いながらも、期待にキラキラと瞳を輝かせる文の横で椛も小さく右手を上げていた。
「それで、ご用件というのは何でしょうか?」
風の巫女を先頭に、二人の天狗と二人の神様は守矢の本殿へとやって来た。
そして四人に座布団と良い香りのする緑茶、そして黒檀のように輝く羊羹を用意すると、早苗が文に話の水を向けた。
文は瞳の宇宙に綺羅星を浮かべ、嬉しそうに羊羹を切り分けることに夢中で、気もそぞろに話始めた。
「まあ、私たちが来た目的ってのは、ここでこうして和んでいる時点で達成されているといえるんだけどねー」
早口でそうまくし立てると、イソイソと切り分けた羊羹を頬張り、その上品な甘さに顔を蕩けさせた。
そんな文の様子に、何時まで経っても本題に入らないと思った椛が、幸せを噛みしめている文に変わって話を続ける。
「えーと、私達が来た理由というのはですね、守矢の神様方が、そのー、元気よく神遊びされている原因の究明と、その対策というわけでして」
『暴れている』と喉まで出かかった言葉を、椛は茶と共に飲み込んだ。しかし茶が熱かったのか、口元を押さえて目を潤ませた。その様子に、早苗が上品に笑う。
「ああ、そうだったのですか。それはそれは御苦労さまです。天狗の皆様も大変ですね」
早苗は立ち上る茶の香りに目を細め、おっとりと羊羹を切り分ると口に運ぶ。
何か独特の、穏やかな空気が流れていた。話が進まない流れ、とも言う。
しかしその空気を敏感に察知したものがいる。椛が喋っている間に、羊羹を口に入れ「ほぅ」と顔を緩めるという動作を、羊羹の半分くらいまで繰り返していた文である。
時間の経過が遅くなったことに気がつくと、唐突に自分の責務に目覚めたらしい。濃く淹れられた緑茶で喉を潤すと再び口を開いた。
「なので対策は講じ、こうして万事厄介事は丸く納まりました。後はどうして喧嘩になったのか、その原因を教えていただければ、私達は退散いたしますので。
あ、そうそう、これはもしかしたら記事になるかもしれないので、そのおつもりでよろしくお願いします」
たださっさと面倒事を終わらせたいだけなのだろう。その割に取材となると眼の色を変えるのが、実に文らしい。
いそいそと文化帖を取り出し、座布団に座りなおす文を、苦い顔をした椛がたしなめる。
「もう、文ちゃん! 今回は収まったけど、それって対策とは言わないんじゃないのー?」
椛の苦言もどこ吹く風と、文は羊羹を食べるのに使っていた竹串を突きつけてニヤリと笑う。
「一寸先が闇でなければ、それで構わないのよ。どうせ報告したところで上が真剣に検討するはずないんだしね。と、いうわけで私の仕事は先程までで終了。
ここからの私は本業の新聞記者よ。それでは改めましてこんにちは。幻想郷で最も確かな情報源、『文文。新聞』の記者、射命丸文でございます」
言葉の前半分を椛に、言葉の後半を守矢神社の面々に向け、文は軽く会釈した。文の言葉に早苗は目を丸くして、それからおかしそうに微笑んだ。
「……口調、変わりましたね。そういえば前に来た時と話し方が違ってて、おかしいなーとは思ってたんですよ。こういう奇特な方だったんですね」
「……文ちゃん、オンオフの切り替えが激しいんですよ」
俄然やる気を出し始めた文の代わりに、椛が恥ずかしそうに顔を伏せ、小さな声で説明する。しかし当の本人はというと、そんな二人の反応など気にした様子もなければ、舌の動きも全く衰えない。
「私の口調なんて些細なことですよ。そんなことより! 今はこちらにおわします二人の神様の確執の方が重要です!」
そう言って静かに茶を楽しんでいる神奈子と、文に負けないくらい幸せそうな顔で羊羹を頬張る諏訪子の二人の神様に、矢立から取り出した筆の先を代わる代わる突きつけた。
相変わらずの神様をも恐れぬ罰当たりな文の所業に、流石に椛が慌てて文の暴走を咎める。
「文ちゃんっ! いくらなんでもそれは失礼でしょ!?」
しかしそんな忠告も耳に入らないとばかりに、文は迫る椛から逃げるように体を逸らして、誤魔化すように二人の神様に質問を始めた。
「おっと、そうだ。興味深そうな本題に入る前に、些細な質問を一つ。
どうしてお二人は、私達が来た時、攻撃するのを止められたんです? 貴女方なら周囲を巻き込むの上等で暴れられると思っていたのですが」
文の無礼な振る舞いも一興とばかりに笑ってみていた神奈子が、「私をどこぞの魔法使いと同じに扱わないでよ」と笑みに苦みを混ぜた。
しかし続けて至極真面目な調子で答える。
「いや、だって、理由もなくギャラリーとか怪我させたら、氏子が減るっしょ?」
真顔であっさりと現実的な答えをする神奈子に、文が凍りつく。横で聞いていた椛もその空気が感染したようで、気まずそうな顔をした。
「……うわー、すっごいシビアな理由」
「……ちょっと聞きたくなかったかも」
わずかな沈黙の後、文はくっつくほどに眉根を寄せ、口をへの字に曲げて感想を述べ、椛は眼の中のゴミを追いかけるように視線を宙へと動かして、ゴニョゴニョと口中で呟いた。
しかしそんな二人の天狗の反応に、神奈子は心外だと言わんばかりに腕を組んだ。そして力説する。
「そうは言うけどね、神様やるのも楽じゃないのよー。ただ社で寝転がってりゃいいってもんじゃないの。氏子を集めるのも、願い事を叶えるのもコツがいるんだから」
そう力説する神奈子の隣で緑茶に息を吹きかけながら、諏訪子もしみじみと頷く。見かけや立ち居振る舞いによらず、二人とも意外と苦労している、そんな風情である。
そんな雰囲気に、文も何か感じ入るところがあったのか、同情するように頷いていたが、そこでまた何かに気がついたらしく、頷いた反動でガバッと勢い良く頭を跳ね上げた。
「ウンウン、成程……って、じゃあ何でさっき私達に攻撃してきたんですか!」
文が何を言っているのか理解できないのか、神奈子は怪訝な顔をしたが、「ああ、アレ?」とそぞろに頷く。そしてお返しとばかりにピンと伸ばした指を文に突きつけた。
「あれは話を聞かないアンタが悪い」
「確かにそうでしたねー」
「そんな椛、貴女まで! 一緒に話を聞いてなかったのに!」
神の威光に痛いところを突かれたと椛が胸を抑えて項垂れ、そんな椛の反応に、裏切られた文が悲壮な叫びをあげる。
三人の寸劇を傍で見ていた早苗はクスクスと笑い、諏訪子はそのどさくさに紛れ、隣の神奈子の分の羊羹にまで手を出して喜んでいた。
「まあ、暴れる神様はご利益のある神様だ、と言うからね」
文は空咳をつくと、崩れ始めた会話の流れを無理矢理に断ち切った。そのついでに適当なことを言う。しかし文の言葉にも、椛は律儀に食いついていくる。
「文ちゃん、それ本当?」
「まあ、当たらずとも遠からずってところかしら」
文は適当に答える。しかしその場のノリで出た言葉に、意外にも神様達が騒ぎ出した。
「おー! いいこと言った。今天狗はいいこと言った!」
神奈子が諸手を打って快哉を上げ、
「ほら、聞いた早苗! 暴れる神様はいい神様なんだよ!」
座布団の上で諏訪子が跳ねる。
二人ともまるで水を得た魚のように勢いづくが、その二人の神様の勢いについていけないように、早苗は疲れた溜息をついた。
「暴れない神様はよく信仰されてる神様だと思いますけど? 私、そんなに巫女として駄目なのかしら……」
しんみりと早苗が湯呑の中の緑色の水面に視線を落とした。その巫女の様子に、二人の神様は陸に打ち上げられた魚のように、ワタワタと慌て始める。
「……えーと、決してそういうわけじゃないんだけど」
「そうそう! たまにはこうパーっと、暴れたいというか、なんというか…… 構ってくれないと祟ってやるぞー、みたいな……」
何とかしてしおれた早苗を元気づけようとする神様二人だが、その効果は一向にあがらない。全く埒が開かないことに業を煮やしたのか、切羽詰ったように神奈子が諏訪子を指さし、声を張る。
「それもこれも諏訪子が……」
「ちょっとー、そういう神奈子だって……」
神奈子の言うことに諏訪子も全力で腕を振り、負けずに神奈子に噛みつく。そうして再開される口喧嘩を、二人の天狗は呆れ気味に見ていた。
「……あーあ。また始まった」
言葉の弾幕が飛びかう二人の神様には付き合いきれないとばかりに、文が肩をすくめた。文の言葉に恥ずかしそうに顔を伏せる早苗に、椛は恐る恐る訊ねる。
「……もしかして先程の騒動も、これが発展して?」
「……そうなんです。お恥ずかしながら。どうやら私の先代、先々代の時もこんな感じだったそうでして。
時々些細な事で始まった喧嘩が、アッと言う間に先程のような天変地異にまで発展する始末でして」
早苗の語尾は恥じ入るように消えていき、代わりに諏訪子と神奈子の声がだんだんと熱を帯びた調子になっていく。
その神様の吐く暴言のすぐ後を、寸分も遅れることなく文の筆が追う。文化帖に二人の会話の面白そうなところだけ高速で抜書きしながら、文が椛の肩を突ついた。
「つまりは周囲に迷惑をかけずに思う存分争えればいいんでしょ? それなら良いものがあるじゃないの、椛」
「いいものって? ……もしかして、アレのこと?」
文の言葉に椛が驚き、ややあって嬉しそうに目を輝かせる。
「そう、アレ。貴女、同好の士が欲しいっていってたじゃない」
天狗達の会話に無言で疑問符を浮かべる早苗。しかし二人の天狗はそんな早苗に何も答えない。それどころか話が飲みこめていない巫女に構わず、椛がウキウキとした様子で立ち上がる。
何やら嬉しくて体を動かさずにはいられないようだ。
「……確かに、それは面白そうかも。ちょっと待ってて。私、取ってくる」
そう言うと椛は早苗が引き留める間もなく座敷を後に、秋晴れの空を九天の滝目指し、疾風の如く駆け抜けて行った。
早苗はあっという間に見えなくなった白狼天狗の姿を追うように空を見上げた。そしてしばらくそのまま心奪われたように移りゆく秋の空を見ていたが、ややあって何事もなかったかのように湯呑に口をつけた。
「色々と聞きたいことがありそうな様子だったけど、何も聞かないの?」
未だに続く神々の罵り合いに筆を走らせながら器用に早苗の方を見る文に、早苗は微苦笑を浮かべた。
「確かに色々と聞きたいことはありますけど、此処じゃそれを一々気にしていると、体がもたないということを勉強しましたので」
「成行きに任せますよ」と言うと緑茶を啜った。落ち着いたというよりも開き直った、もしくは諦めたのか、神妙な顔で緑茶を啜る早苗。そしてその表情から何かを察したのか、文も早苗と同じような顔をした。
「ああ。すっかり染まっちゃったみたいねぇ。それが良いことなのか、悪いことなのか、それは分らないけれど」
筆を走らせる手を休め、文も湯呑を手にとると、音を立てて茶を啜った。落ち着いて茶を啜る文を見て、早苗が尋ねる。
「それより、もうよろしいんですか、取材? お二人とも、あれぐらいで終わらないと思いますよ?」
気炎をあげる神様の戦いは、まだまだ衰える気配はない。しかし文にはその熱気が鬱陶しいのか、追い払うように文化帖をパタパタと振る。そしてすっかり冷めた茶を啜った。
「駄目ですよ、ダメダメ。少し前から昔の戦いで勝ったの負けたのばっかり、延々ループしてるだけなんですから。これじゃあずっと聞いても、何の意味もありませんよ」
辟易した様子でズルズルとわざとらしく音を立てて茶を啜る文に、早苗が忍び笑いを漏らす。
「いつもこんな感じですよ。以前、暇な時に数えてみたんですけど、軽く四、五回は繰り返していました。
その後も続いていたみたいなんですけど、私はお務めもありましたので、最終的に何回繰り返されているのかまでは、分かりませんが」
早苗が何でもないことのように、割ととんでもないことを言った。そして恥ずかしそうに頬に手を当てる早苗を、文は呆れかえった目で見る。
「神様もそうですけど、貴女も大概暇なんですねえ」
サラサラと文化帖に筆を走らせ、文が一言添えた。恐らく明日の新聞にでも載せるきなのだろう。
「まあ、巫女なんてどこでもそんなもんですよ」
呆れ気味の文に、早苗がサラッと言った。フト遠くに投げた早苗の視線は、遥か麓の神社まで届いているのかもしれない。そうして早苗は言葉を続けた。
「ところで椛さん、遅いですね。本当に何を取りに戻られたんです?」
「ああ、遅いのは何時ものことなのよ。あの子、掃除とか整理整頓とかほとんどしないから、どこに物を置いたのかすぐに分らなくなっちゃうの」
椛の前の茶請の皿を持った文がくぐもった声で答えた。そして素知らぬ顔で茶を啜る文を見て、しかし早苗は文が食べた羊羹のことについては触れなかった。代わりに質問を続ける。
「で、一体何を探しに?」
人の羊羹を平らげて満足したのか、穏やかな表情で文が閉じて茶を啜り、答える。
「将棋よ」
文に倣って茶を啜り、早苗が首を傾げた。
「将棋? 将棋と言うと、あの、駒で王を取る奴ですか?」
そう言いながら自分の茶請に伸びる文の腕から羊羹を遠ざけた。早苗に動きを読まれ、獲物を失った文は、手慰みとばかりに畳を将棋盤に見立て、見えない駒を指した。
「そう、その将棋。ただ椛が好きなのはね……」
「ただいま〜! ごめんね〜! お待たせしちゃって〜! にとりんの所に置き忘れてたのすっかり忘れちゃってて〜!」
文が腕を高く振り上げ、勢い良く畳に王手を指そうとした瞬間、出て行った時と同じくらい唐突に小脇に何かを抱えた椛が帰って来た。
その派手な再登場に、喧嘩をしていた神奈子と諏訪子も舌を休め、一体何事かと椛に視線を向ける。
部屋にいる全員の視線を受け、現れた勢いそのままに、椛は小脇に抱える物を誇らしげに座敷に置いた。
それは将棋盤だった。ただ普通の将棋盤と違ったのは、
「なんです? これ? 将棋にしては升目の数が多いような……」
その大きさである。普通に目にするような将棋盤よりも、椛が持ってきた盤は一回り程大きく、その分升目も多い。
「へえ。大将棋じゃないか、珍しいものを持ってるのね」
将棋盤を覗き込んだ神奈子が、小さく感嘆の声をあげた。神奈子の肩に顎を乗せ、盤面を覗き込んでいた諏訪子も好奇心に瞳を輝かせる。
「椛はこれに目がないんですよ。そりゃもう、警備の仕事もそっちのけで遊ぶんですから、困ったもんです。挙句の果てには私にも打て打てと、それはもう五月蠅くて五月蠅くて」
趣味人は手に負えないというように、文がおどけて肩をすくめる。しかしそんな文にも椛は全く動じない。
「そうなんですよ〜。文ちゃん結構強いのに、全然相手してくれないんです!」
穴のあくほど必死に自分の顔を見つめる椛の頭を撫で回し、文は綺麗に櫛を通した椛の髪をグシャグシャにする。
「ああ、私はこういうまどろっこしいのは苦手なの。長考したりする時間があるなら、一つでも新聞のネタを探した方がマシだからね」
「それは確かにあなたらしいわ。しかしこの大将棋を持ってきて、どうするつもりよ?」
神奈子が顎をさすりながら、ためすがめつ椛と文を見る。質問をしているが、薄々二人の真意に気がついている風情である。
神奈子の挑戦的な視線を受けても、椛はペースを崩さない。それどころか嬉しそうに微笑むと、声を弾ませて答える。
「神奈子様のご想像の通りですよ。お二人方、これで勝負をつけてみては如何です?」
「ぶっちゃけ、毎回毎回派手な弾幕勝負をされては山の妖怪の安眠妨害になります。あと地盤が緩んだり、地崩れが起こったり、痔主が痛がったり、それはそれは大変なんですよ」
幸せそうな椛と違い、文がキッと眉根を吊り上げた。そして無礼にも二人の神様の鼻先にピッと筆先を突きつけて、喉の奥から苦々しい言葉をツラツラと吐き出した。
文の苦情に神奈子が思わず苦笑いを浮かべる。
「最後のはよく分からんが、まあ天狗の言いたいことは大体分かった。……で、どうかしら、諏訪子? 頭脳戦は不得手だったかしら?」
そして自分の肩の辺りで揺れる蛙帽子を兆発する。諏訪子も神奈子に言われるままではない。ふっくらした頬をギュッと神奈子に押しつけて、牛蛙のように唸った。
「確かに狡賢いあんたよりは一枚落ちるかもしれないけれど、盤面に限って言うのなら、そうひけはとらないと思うけれど?」
諏訪子も勝負をする気は満々のようだ。
「ほう? 言うじゃない? それじゃあ決まりね」
ひっついてくる諏訪子の顔を暑苦しそうに引きはがし、神奈子が歯を剥き出して攻撃的に笑う。
そして状況がどう転ぶかと興味津々の文と椛に向かって、神奈子が威勢良く啖呵を切った。
「その申し出、受けましょう。ただし私達が飽きるまでだけどね」
「その時は別のボードゲームを用意しますよ。最悪河童に何か作らせますので、ご安心を」
抜かりはないとばかりに、神奈子に文がウィンクをする。そして勝手な約束まで取り付けてしまった。
「ちなみにお二人とも、ルールの方は大丈夫ですか?」
一人だけ落ちつかなげにソワソワしていた椛が、勝負の前から闘志を剥きだしに睨みあう神様に訊ねた。
「普通の将棋と同じでしょう?」
蛙ように跳ねて自分の座布団の上に戻ると、諏訪子が畳に駒を打つ仕草をした。しかしその姿はあまり様になっていない。効果音は「ピシッ」ではなく、「ぺちょり」のようだ。
「違うわよ諏訪子。駒の数や種類が多いんだから、ルールも違うに決まってるじゃない」
神奈子も真似て畳に駒を「ピシリ」と指した。こちらは歴戦の棋士の如く、かなり様になっている。
「なら神奈子はルールバッチリってわけ?」
先手の諏訪子が「ぺちょり」と駒を進める。
「……あー、どうだったかしら?」
後手の神奈子が「ピシッ」と見えない歩を指すと、空恍けた。
「そんなんじゃ、人のこと言えないじゃないー!」
癇癪を起した諏訪子が広げた両手で畳をバンバン叩いて、見えない駒を辺りにばらまいた。
そんな二人のやりとりを一人モジモジして見ていた椛が、ここぞとばかりに顔を輝かせ、懐から一冊の古書を取り出す。
「そうくると思いまして、私、ちゃんと用意してきましたよ。はい、どうぞ」
そして二人の神様に古書を恭しく差し出した。それを受け取り、神奈子が首を傾げる。
「何これ? またえらく古い本を持ってきたものね」
表紙、裏表紙と眺め、パラパラと数頁程流し読むと、神奈子は改めて表紙に戻り、そこでのたくる見事な墨蹟に目を落とした。
「しょー、……ぎ、ず?」
目を細めて、諏訪子が書名を読み上げた。その声に嬉しさを体中から放射させ、それでも抑えきれないのか、両手を頭の上でブンブン振り回し、椛が喜びの歓声をあげる。
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりである。
「これを読めば大将棋の悩みは一挙解決! 水無瀬兼成著、『象戯圖(しょうぎず)』天正十九年記す、であります!」
「この子の愛読書ですよ」
嬉しそうな椛と対照的に困ったように片目を閉じ、文がポンポンと椛の頭を軽く叩いた。その様子に苦笑しながら、神奈子が改めて表紙から頁を繰り始めた。
「渋いのを愛読書にしてんのねえ。まあいいわ、これを読めば大将棋の何たるかが分かる、ということね」
「うわっ! 神奈子! 自分一人で読んでズルイ! 私にも見せなさいよ!」
そう言って淡々と読み始める神奈子と、その後ろから覆いかぶさり覗き見る諏訪子。何とも暑苦しそうな体勢だが、神奈子は苦笑しただけで何も言わなかった。
「ちょ、ちょっと神奈子! そのページまだ読んでないから!」
目だけで文字を追う神奈子に比べ、わざわざ首を動かして読み進める諏訪子とでは、読む速さがあまりにも違う。しかし諏訪子の要求に、憎まれ口をききながらも神奈子は素直に頁を戻した。
「んもう! さっさと読みなさいよ! ほら」
「ああ、ありがと」
小さくコクリと頷くと、諏訪子は団栗眼を大きく開いて文字に夢中になる。そしてしばらくして諏訪子がまた小さく頷くと、黙って神奈子は頁を繰る。
二人して黙って一冊の本を読んでいる姿に、文がそっと早苗に耳打ちする。
「何だかんだで仲いいじゃないですか?」
早苗も耳打ちを返す。
「そうですよ? そうじゃないと一つの神社に二人もの神様を祀るのは難しいでしょう。……ただ問題は、時々思い出したように境内で傍迷惑な神遊びを始めるくらいですよ」
「……だからその笑顔はやめて。怖いから」
日の加減で早苗の顔に陰が差した。それが明るい笑みに不釣りあいな、暗く陰鬱な影を与える。早苗の凄みのある笑みに気圧されて、文が軽く身を引いて座布団の端へと逃げた。
そうこうしているうちにも、二人の神様の読書会は進んでいる。
「……うん。大体分かった」
「早っ!?」
早苗が静かに笑っているほんの僅かな間に読み終わったのか、神奈子がそう言い捨て、音をたてて本を閉じた。文が喚声を上げるが、神奈子はどうということもなさそうに貴重な古書をパタパタと振る。
「そりゃ一応神様だからね」
「あーうー。途中から私を無視して一人で読むんだもん! 私はまだ読んでないよー!」
パタパタと左右に揺れる古書に諏訪子が飛びつくが、神奈子は一瞥すらせず諏訪子の手からヒョイヒョイと古書を逃がす。
そして大きく飛びついた拍子に畳に腹這になった諏訪子の頭を古書で軽く叩いた。
「私が先に読んでからアンタに渡した方が早いでしょう。それにアンタだって将棋くらい知ってるのなら、そんな真面目に読まなくたって流し読み程度で平気よ。
それよりさっさと始めましょう」
そう言うと自分の顔を恨めしげに見上げる諏訪子に古書を渡すと、先程から盤面に全ての駒を並べた状態でソワソワしている椛を見て微笑んだ。
そして大儀そうに立ち上がり、一度盤面を見下ろすと、おもむろに玉将側へと腰を下ろした。
「どうせ諏訪子は長考するだろうし、私が先手をもらうわよ。振り駒なしでいいでしょ」
「……うん〜。それでいいよ〜」
神奈子から受け取った古書に顔を埋め、ブツブツと小声で音読しながら、諏訪子も続いて神奈子の対面に座った。
「先手〜、神奈子様〜」
二人が向き合って座ったのを確認すると、椛が朗々と宣言した。
「雰囲気でるねえ」などと言いながら、神奈子が歩をつまみピシッと乾いた音を立て一手目を指した。
「じゃあ、ま、この辺で」
「後手〜、諏訪子様〜」
それを見届けた椛の宣言に諏訪子が驚いて本から顔をあげた。そして「待った」とばかりに片手をあげる。
「あ〜う〜。ちょっと待ってよ〜」
「ほらほら、さっさとしないと持ち時間が切れちゃうわよ」
視線が盤面と書面をオロオロと行き来する諏訪子のうろたえぶりに、神奈子はニヤニヤ笑う。ついでに時を刻むように、将棋盤の端をコツコツと叩き始める。
「ちょっと〜! そんなの聞いてない〜!」
そう言うと諏訪子が慌てて親指と人差し指で駒をつまみ、ペチョリと駒を動かした。
そんなグダグダの流れのまま、勝負の火蓋が切って落とされた。椛の隣で黙って棋譜をしていた文が、二人の湯呑に新しいお茶を入れてきた早苗に驚いた顔をした。
「予想外だけど、意外といい勝負じゃない」
文の隣に座りながら、早苗が笑った。
「そりゃそうですよ。何てったって神様ですから」
椛が苦笑いを浮かべた。
「早苗さん。それって理由になるんですか?」
しかし盤面は文の言うように、じょじょに拮抗した状態へと突入していく。
ピシッピシッと乾いた音を立て、安定した陣営を構築していく神奈子に対して、諏訪子は最初こそ覚束無い手つきだったが、
椛に古書を返してからは盤面に覆い被さるようにして、ペチリペチリと湿った音で神奈子の攻めを追い落とし、神奈子の玉に向かってジワリジワリと攻め上がる。
「諏訪子様は振り飛車気味ですねー、穴熊かしら」
「対して神奈子様は矢倉ですか。正統派ですねえ」
椛と文がウンウンと頷きながら盤面を眺める。まるで自分達が対局しているような真剣さである。
棋士と同じように頭を振り絞り、難しい顔をしている天狗達に、早苗が頬に手を当て困ったように笑う。
「お二人とも詳しいんですねえ。私は将棋をやったことないので、今がどんな状況なのかサッパリですよ」
目まぐるしく変化する盤面から寸分も目を離さず、文が低く唸り早苗に答えた。
「いや、これは、中々どうして、面白い勝負ですよ。先が読めないと言いますか、正しく龍虎相対すと申しますか。しかし確かなことは、この勝負、かなり長期戦になりそうですよ」
「あら。それは流石に困るんですけど」
長期戦と聞いて、早苗の顔が曇る。その様子に文が不思議そうな顔をした。そして一見あまり困っているようには見えない程度に眉根を寄せる早苗の顔を覗き見た。
「何でです?」
文の問いに、早苗は至極困ったというように溜息を吐いた。
「そろそろお供物、つまり夕餉の準備をしませんといけないんですよ。ですから、あんまり時間がかかるようですと、折角のご飯が冷めてしまいます」
「……あ〜。あっ、左様ですか」
早苗の言葉に、文が毒気を抜かれた白けた顔をした。その隣で、早苗の言葉を聞いた椛が文の袖を引く。
「……文ちゃん、私達もそろそろ」
椛はおそらく早苗に気を利かせたのだろう。しかし椛の提案に、文はあからさまに嫌な顔をした。
「えー、ここから面白くなる所なのに〜」
椛が気を利かせているのは分かっていて、文がこれ見よがしに駄々をこねる。
だが椛もそんな文の対応には慣れたもので、袖を引き引き、上目づかいに文の顔を見る。
「でもそろそろ大天狗様に報告に行かないと〜」
椛は困ったような、お願いするような感じの少し甘えた声で言う。それを聞くと、文は実に悔しそうに顔をしかめた。
そして後ろ髪を引かれるように神様の対局に目を向けていたが、ややあって重い重い灰色の溜息を吐いた。
「……う〜、確かにそうね。あんまり遅いと、また長々と文句を言われそうだしねえ。
……分かった。それじゃあ、早苗。何ともお名残り惜しいけれど、私達、そろそろお暇することにするわ」
椛は何だかんだと言いながら、ちゃんと義務を果たすという文の性格を心得ているようである。
渋々ながらも立ち上がった文は、そこで何かを面白い事を思いついたらしく、矢立に一度仕舞った筆を取り出した。
そうして文化帖に何かを書きつけると、そのページを丁寧に破り取り、書いたものが見えないように折り目正しくキッチリと三つ折りにする。
さらに懐から一葉の封筒を取り出し、便箋代わりに折りたたんだ紙片を入れると、中々見事な草書で「射命丸文」と書いて封の代わりにした。
そうして不思議そうに見上げる早苗の顔の前に、その封書を差し出した。
「何ですか、これ?」
「折角だから余興を、と思ってね」
受け取り、裏返して封を確認したりしてから、再び早苗は文の顔を見上げた。疑問符の描かれた早苗の顔を見下ろし、文が指を左右に振り、得意げに鼻を鳴らした。
「所謂、『封じ手』って奴よ」
「封じ手、とは?」
疑問符の刻まれた表情を、早苗は隣で呑気に茶を啜っている椛に向けた。その疑問は文を急かしておきながら、本人が落ち着いていることに対してではなさそうである。
「日をまたいで対局する時とかに、次の日の先手の人が一日かけて一番良い指し方を考えるのを防ぐために、その日の最後に予め次の日の最初の一手を書いておくんです」
椛が嬉しそうに説明する。将棋の話をするのが幸せで堪らないのがよく伝わってくる、そんな満面の笑みである。
「で、射命丸さんは一体何を封じたんです」
そして再び文に三度目の疑問符を投げかける。文は漂う疑問符を受け取ると、歯を見せてニィと笑った。
今にも歯と歯の間から「よくぞ聞いてくれました」と、高慢な天狗の声が漏れ響いてきそうである。
「この勝負の行く末。つまり、この勝負の勝者ってところかしら?」
「へえ。それは面白いですね」
そう言うと、その封書が何か素晴らしいものに思えたのか、早苗がもう一度じっくりと見て、そして中身を透かせるように、その何の変哲も無い封書を光に晒した。
「勝負がついたら開けてみて頂戴。まあ、余興だから結果は期待しないでね。当たるも八卦、当たらぬも八卦。その程度のものよ」
そういうと文は、我関せずと一人落ち着いて神様の戯れを眺めている椛の腕をとり、立ち上がらせる。
「最後に一つ良いですか?」
激戦の様相を成してきた盤面から離れたくないと愚図ついている椛と、何時もの長広舌を振るいながら取っ組み合いを演じている文に、早苗は声をかける。
そして無言で早苗に続きを促す文に、最後の疑問を打ち込んだ。それは実に素朴な疑問であった。
「いつも封筒を持ち歩いているんですか?」
背中から椛をはがい締めにした体制で、文が微苦笑する。そして言った。
「そこはツッコまないこと。いわゆるお約束という奴よ」
あまり答えになっていないことを言うと、二人の神様と一人の巫女に向けて慇懃に頭を下げ、二人の天狗は少し肌寒さを帯び始めた秋風に乗り、その場を辞した。
「でも珍しいね」
「何が?」
秋晴れの空の中をフヨフヨと大天狗の元へ向かう道中で、椛が文に訊ねた。
「文ちゃんがあんなに良い勝負を最後まで見ていかないなんて。文ちゃん、いつも私とにとりんの勝負でも、ちゃんと決着が着くまで見ていくのに」
省略し過ぎた自分の言葉を椛が補う。それで質問の意味を理解した文は、その問いに答える代りに片目を閉じ、頬の肉を吊り上げた。
「相変わらず盤面しか見えていないわね、椛。だからにとりにしてやられるのよ」
「どういうこと?」
今度は椛が文の言葉に首をかしげた。文はそんな椛の反応が面白いのか、ますます得意気に笑う。
「決着なんて、とうについてるじゃない」
「?」
益々訳が分からなくなった椛に、文はピッと指を立て、お気に入りの悪戯を自慢する悪戯っ子のように歯を見せて笑った。
「触らぬ神に祟りなし、よ」
「やれやれ。やっと騒がしいのが帰ったわね。これで勝負に集中できるってものよ」
天狗達が飛び去った空の彼方を見やり、神奈子が肩の力を抜いた。そして茶を啜りながら、片手で奪った駒を弄ぶ。
「そんな言い訳通じないわよー、神奈子?」
湯呑を置いて肩を揉み、首をグリグリと回してリラックスしている神奈子に、諏訪子が盤面に覆いかぶさった姿で見上げる。そして唇を皮肉気に曲げた。
その笑みが意味することは、盤面に如実に表れていた。言うまでもなく、天狗達が騒いでいる間も、戦況は目まぐるしく変化していた。
そして辛くも序盤戦を凌ぎ切り、徐々に攻め入る体制を整えた諏訪子の陣営が終盤になって秘めたる蛙の牙を剥き出し、神奈子へと襲いかかって来ていたのだ。
じょじょに狭められていく包囲網。そして眼前に迫り来る雲霞の如き敵兵。しかし神奈子は慌てず騒がず、腕を組み胸を張り、盤面に群れる雑兵を傲然と見下ろした。
「あら? 何を言ってるのかしら? 要はここから形勢をひっくり返せばいいだけでしょう? そんなの前にもやったことじゃない。で、その時はあなたが負けた」
片手で駒を指し、片手でふっくらした諏訪子の頬を突つきながら、神奈子も意地悪そうに唇を歪めた。
「あ〜う〜! だ〜か〜ら〜、あの時は負けたわけたじゃないって言ってるでしょ〜!」
恨めし気な目をしながら、諏訪子も湿った音を立てて駒を指す。
「……フッ。それこそ言い訳ね」
嘲笑するように片目を瞑り、神奈子は間髪入れず自信満々に次の一手を指す。盤面では押されていながら気位では全くひけをとらないところこそ、神奈子の真骨頂であろう。
二人の勝負にかける気迫や、長年かけて積もり積もった感情の高ぶりが、神奈子と諏訪子の背後に立ち上り凝り固まる。
そのオーラは、あるいは牙を立てる蛇の形と成り、あるいは大口を開けて一口に飲み干さんとする蛙の姿と成り、二人の背後に具現化しつつあった。
その無駄に神々しい姿に気圧され、早苗がおずおずと口を挟んだ。
「……あの〜、真剣勝負の最中申し訳ないのですが、神奈子様、諏訪子様」
「な〜に〜、早苗? 私達、見ての通り忙しいのだけれど」
神奈子が妙に刺のある返事をした。目はただただ盤面の形勢を追い、早苗の方を見ようともしない。しかしそんな神奈子の様子にもめげず、健気にも早苗は愛想良く微笑む。
「すいません。今日の御夕飯の事なんですが、何がよろ……」
「いらない」
即答だった。早苗の質問を皆まで言わせず、神奈子は一言の元に早苗の言葉を切り伏せた。
「うんうん。この勝負の決着が着くまで、ご飯なんか食べてらんないわ」
神奈子の即断ぶりに開いた口が塞がらない早苗に、神奈子同様盤面に視線を張り付けたまま、諏訪子が追い打ちをかける。
二柱の神様の言霊弾幕に被弾した早苗は言葉を失ってしまった。そうしてしばらくの間、ただ乾いた音と湿った音だけが交互に座敷の中で響いていた。
その沈黙に耐えかねたのか、ややあって早苗が頬に力を込め、無理矢理に笑みの形を作って言う。
「……わ、わかりました。神奈子様も諏訪子様も、何でも良いということですね。それでは私は炊事場におりますので、何かございましたらお呼びください」
微かに震える早苗の声に、二人の神様は黙って小さく頷くだけだった。そんな素っ気無い反応にも早苗は何も言わず、ただ顔を伏せたまま座敷から出て行った。
早苗が立ち去った座敷の中では、将棋盤と駒が奏でる乾いた音と湿った音だけが五月蠅く響いていた。時折呻き声や歯軋りに似た唸り声が、無機質なアンサンブルにアクセントを加えていた。
まるで時間が一定の間隔でループを繰り返しているような錯覚すら覚えそうななか、しかし将棋盤の上では確実に時が刻まれていた。
盤の上から少しずつ駒が消えていく。
麒麟が駆け、獅子が吠え、鯨鯢がうねる。
飛鹿が逝き、醉象が倒れ、鳳凰が落つ。
悪狼が飛牛を食み、盲虎が飛龍を縛る。
兵の骸が山を成し、流れた血潮が河と成り、戦が戦を呼び、策が策を縛り、人ならぬ兵が盤上を駆け、ただただ相手の王を葬らんと、恐れも悔恨も知らず歩みを進める。
乾いた音と湿った音が、盤上を征く駒達の姿を幻視させる。
いつの間にか座敷は驚く程真赤な日が差し込んでいた。その光を照り返し、盤上の駒はまるで血に濡れたように輝いていた。盤上の形勢は未だ五分と五分。
それはまるで打ち始めた時から寸分違わぬ程に、勝負は奇跡のような拮抗状態を保ったままだった。
しかし長く続いた沈黙の戦いも、突如座敷に響き渡った黄色い声に、その幕を下ろすことになる。
「神奈子様〜、諏訪子様〜。お夕飯の準備ができましたよ〜」
厳かさの欠片もない明るい声と共に、人数分の膳を用意した早苗が、張詰めた空気を破り、再び座敷に戻って来たのである。
「ちょっとちょっと! 早苗、私達は食べないって言ったでしょ」
流石に神奈子も将棋盤から顔を上げた。そしてテキパキと膳を揃える早苗に苛立たしげな声を上げる。しかしそんな険悪な神奈子の声にも、早苗は優しい微笑みを浮かべるばかり。
「けれど、暖かいうちに召し上がって頂いた方が絶対美味しいですよ」
「だ〜か〜ら〜! この勝負が終わるまで食べないって言ったじゃない〜!」
頬を膨らませた諏訪子が不満を口にする。それでも早苗は柔らかく笑ったまま、静かな声で諏訪子に訊ねる。
「それでは諏訪子様。その勝負、何時頃終わりそうですか?」
「勝負事なんだから、どっちにどう転ぶかなんて分かんないわよ〜!」
ムキになった諏訪子が雨蛙のように頬を膨らませるが、早苗は構わずに夕餉の支度を続ける。あまつさえ鼻歌さえ口ずさんでいる。
「……ちょ、ちょっと、神奈子」
早苗の早苗らしくない様子に、諏訪子が駒を指す手を止め、神奈子の袖を引いた。
「……これは、……ちょっと不味いかもしれないわね。早急に勝負をつけないと」
諏訪子の言いたいことを察したように、神奈子が額に汗を浮かべる。
二人が小声で話している間も、早苗は甲斐甲斐しく夕餉の膳を調えていたが、すっかり調え終わると、にこやかに笑いながら二人が囲む将棋盤の傍まで擦り寄って来た。
「さ、神奈子様、諏訪子様。お夕飯に致しましょう。汁物は冷めてしまっては美味しくありませんわ」
「……や、ちょっと待って早苗。実はまだ勝負が……」
にじり寄る仮面のような早苗の笑顔に迫られ、顔中を脂汗まみれにしながらも、神奈子は食い下がる。しかし早苗の笑顔は皺一つ動くことはない。
「お夕飯にしましょうね、神奈子様」
可愛らしく首を傾げ、早苗は神奈子の言葉をバッサリと切り捨てた。一太刀の元に切り伏せられた神奈子は頬を引きつらせて引き下がる。
神奈子を庇うように諏訪子が入れ替わり、言葉を継ぐ。
「早苗、もう少し。もうちょっとで決着が……」
「お夕飯の後にしましょうね、諏訪子様」
爽やかに笑うと、返す刃で諏訪子の言葉もバッサリと切り捨てた。蛇に睨まれたように一瞬怯んだ諏訪子だったが、ここで引くと後がないと、両手で口元を押さえ必至の形相でその場に踏み止まる。
「そんなことしてたら折角の集中が切れちゃうのよ〜」
「水入りしちゃうと、すっかり勝負が冷めちゃうわ!」
健気に早苗の笑みに立ち向かう諏訪子の姿に、一人だけで立ち向かわせないとばかりに神奈子も戦線に復帰する。
しかし一柱の神様が増えた程度では、今の早苗の微笑みに太刀打ちできるものではない。
「つまりご飯は冷めてしまってもいいと?」
「ニコリ」と擬音語をつけて早苗が笑う。
花も恥じ入り蕾を固く閉じてしまいそうな可憐さを持ちながら、その笑みには人外の者すら後ろも見ずに逃げ出したくなるような迫力が籠められている。
分かりやすく言うと、笑顔が怖かった。
「そういうわけじゃないけど……」
諏訪子が早苗の笑みに怖気づいて語尾を濁す。神奈子は早苗の方を見ず、手の中の駒を弄ぶだけ。
そんな風に素直に引き下がらず愚図愚図と将棋を指し続ける二人に、早苗は変わらぬ微笑みを浮かべて言う。
「それじゃあ、こう致しましょう」
そう言いうと、早苗はおもむろに勝負途中の盤面に両手を乗せた。早苗の意図が分からず、不思議そうな顔をする神奈子と諏訪子。
その顔に、早苗の口元の切れ込みが、ゆっくりと深くなる。
「ま、まさか!」
「早苗っ! それだけは!」
その怪しい笑みに気がついた時には既に遅く、二人の制止の声も聞かず、早苗は丁寧に並んだ駒をグシャグシャとかき混ぜてしまった。
「ああっ! 早苗!」
「何するの〜!」
早苗の暴挙に流石の神様も声を荒立てるが、そんな声にも早苗は動じない。そして飛び散った駒を将棋盤の真ん中にまとめて山にすると、満足したのか晴れやかに笑った。
「これで勝負は無しですね。さ、ご飯にしましょう」
「ちょっと早苗! それはいくらなんでもやりすぎよ!」
「そうだ〜! これは酷いよ〜!」
あまりのショックに我を忘れ、諏訪子と神奈子が怒気を帯びた声をあげるが、早苗は笑みを絶やさず、落ち着いた様子を崩さない。ただ額に青筋を浮かべ、ゆっくりと二人の顔に笑みを寄せる。
息がかかりそうなくらいまで近づいた早苗の表情は、血のような夕陽を背負い、赤黒い影に沈んでいる。その笑みに、神奈子も諏訪子も息を飲んでしまった。
言葉を失った二人の神様に、早苗は噛んで含めるように、ゆっくりと静かに話し始める。
「恐れながら、神奈子様、諏訪子様。この際ですから申し上げさせていただきますが、毎回毎回同じことで喧嘩して、毎回毎回神社の庭先をグチャグチャにして、
その後片付けやら、神罰だと慌てふためく氏子の皆様をなだめる私の身にもなって下さい! いいですか! お二人とも大変強力な力をお持ちの神様なのですよ!
そこをご自覚なさって頂きませんと、やれ大雨だ、やれ暴風だと起こされては、妖怪が棲む山ですら追い出されかねないんですから! そもそもですね、昔の喧嘩を今更蒸し返しては……」
「ごめん! ごめんなさい、早苗! もう止める! 止めるから、お説教は、ね? そのくらいにして、ご飯を食べようよ」
「そ、そうよ! 折角早苗が用意してくれたんですもの! 冷めないうちに頂かなくちゃ!」
自分の言葉に興奮して徐々に声が大きく、説教臭くなっていく早苗に二人の神様の方が折れた。これ以上早苗を刺激しない方が良いと身に染みているのだろう。
荒御魂を静める巫女のように、二人の神様は伏して早苗を拝み倒した。早苗も流石に自分が仕える神様にそこまでされ気まずくなったのか、困った顔で空咳をついた。
「……む。そうですか……では仕方ありませんね。確かに冷めてしまっては仕方ありあせんし。ご飯に致しましょうか」
諏訪子と神奈子がお互いの顔を見、安堵の溜息をつく。二人とも勝負の事などすっかり忘れているようである。
「……そうだ。忘れるところでした。勝負が終わったら見るようにと、射命丸さんから預かってたものがあるんですよ」
「ほうほう。それは何かしら?」
「さあ? どうも封じ手らしいですよ?」
神奈子と諏訪子がモゾモゾと自分の膳の前に座るのを見て、早苗がそう言って懐から出したのは、文が立ち去り際に手渡した一通の封書である。
「封じ手? 一体何を封じて帰ったの?」
一度膳の前に着いた諏訪子と神奈子が早苗の傍にやって来る。
「さあ? 封じていますから、一体何を封じているのかまでは分かりかねますね」
早苗が分かり切ったことを言う。
「じゃあ、開けてみましょうよ」
いたく好奇心を刺激されるのか、早苗の右肩越しに神奈子が急かす。
「そうですね。では」
「何を封じてるんだろうね」
早苗の左の肩に顎を乗せ、諏訪子が期待に胸を目を輝かせる。丁寧に封を解き、カサカサと乾いた音を鳴らし、早苗は几帳面に三つ折りされた書面を広げた。
「……うっ……」
便箋を開いた途端に、早苗が言葉を詰まらせた。対して、早苗の後ろから覗きこんでいた神奈子は額を叩き、片目を瞑る。
「やれやれ、これは一本とられたわね。それともこの場合、王手をかけられたとでもいうべきなのかしら? 確かになかなかどうして、あの天狗のほうが一枚上手だったってことね」
「ちょ、か、神奈子様っ! それはどういう意味ですか!」
振り向いて神奈子に抗議する早苗の必死さに、早苗の肩越しに便箋を見ていた諏訪子が吹き出した。そしてその笑い声に振り向いた早苗の赤い顔を見て、諏訪子が言う。
「こういうのを何て言うんだっけ? 岡目八目?」
「そんな、諏訪子様まで〜」
腕を振り全身で神様達の考えを否定する早苗。そんな早苗に、幼子をあやすように神奈子が髪を撫で、諏訪子が首に抱きついた。
「まあまあ、早苗。祟る神様はいい神様らしいわよ?」
「障らぬ神様はよく祀られてる神様ということは、早苗は祀られてないんだね〜」
「う〜! それは私が言ったんですよ〜!」
二人の神様に揉みくちゃにされ、早苗が堪らず悲鳴をあげた。
早苗の手に握られた文の封じ手。それは便箋の真ん中に大きく、そして妙に丸みを帯びた見事な草書で、「勝者 東風谷早苗」と書かれていた。
そして名前に押しだされるように、次の言葉が便箋の隅に小さく、しかし確かな存在感を持って記されていた。
曰く、「触らぬ神に祟りなし」
Fin.