フォーエバー、シューティングスターズ(5)

薄馬鹿下郎ギルドでの仕事を終え、僕たちは相変わらず、「真夜中の歌姫」亭で、互いに一日の労を労っていた。後は猪婆竜の革だけだと思うと、ハメを外したくなるのも仕方がないことだろう。たとえ最後に残ったのが、一番厄介なものだとしても、だ。

「そのドラゴン、どんな攻撃をしてくるんだ? やっぱりオーソドックスに火を噴くとか?」

 柳川焼きをつつき、魔理沙がミスティアに尋ねる。

「それがよく分からないの〜、地面を踏んづけて地震を起こしたり、メチャクチャ鱗が硬いとか〜」

 両手に料理皿を持ち、忙しそうにクルクルとカウンターとフロアーを行き来しながら、ミスティアが答える。

「本の虫の魔女に言わせると〜、地脈だか気脈だか何だかを操っつるとかって話よ〜」

「本の虫」というのは恐らく紅魔館の図書館の主の事だろう。彼女はこちらの世界でも、書庫から出てくることはないようだ。羨ましい限りである。

「その猪婆竜、特徴とかあるのかしら? 倒したはいいけれど、別のでしたなんてのは洒落にならないわ」

ワイングラスを傾けながらアリスが言う。ワインを一口飲み、「ま、そんな厄介なものが、そう何体もいるとは思えないけれどね」と付け加えた。

「あるわ〜。分かりやすいのが〜。その猪婆竜はね〜、額に星のマークの痣をしているわ〜」

 ミスティアの答えに、僕を除く三人が揃って口に含んでいたものを噴出した。全く汚いったりゃありゃしない。

「……何となく分かった」

「……可哀想に。人型すらしていないのね」

「ご主人。この猪婆竜、何と呼ばれているのですか?」

「何だか大層な名前があったんだけど〜、もうみんな呼んでないわ〜。だから私も忘れちゃったわ〜」

「……だから暴れてるんじゃないか?」

「そうだとしたら、あまりに哀れ過ぎるね」

 手酌で満たした猪口を、僕は一息に干した。

 翌日。僕たちは度々猪婆竜が現れるという街道沿いに来ていた。

 またしても前日の乱痴気騒ぎが祟り、二日酔になった二人の魔法使いの調子が戻るのを待ち「真夜中の歌姫」亭を出発した。おかげで宿を出たのは、既にそちこちで里の人々が昼食をとり始めた頃だった。

 前の時と同じく、早々に戦線を離脱した僕と、相変わらず朝まで二人に付き合いながらも平然としている妖夢は、少しばかり早い昼食をとりながら、酔客二人が回復するのを待つ羽目になった。ただ今回は、前日の薄馬鹿下郎ギルドで商品開発部門のトップとなっていた八意永琳から二日酔に効く薬を貰っていたこともあり、二人も前回のような醜態をさらすことがなかったのは、不幸中の幸いというのだろうか。

 空は雲一つなく、絶好の散歩日和である。これから凶悪な龍を退治しに行かなければならないというのは、どうも理不尽なような気がする。

「何をぼぅっとしとるか、香霖。ここは既に敵地なんだぞ。気をしっかり持て。どうせお前にはそんなことくらいしかできないんだから」

「そんなことくらいしか出来ないというのは余計だよ。それに頭脳労働担当はそれだけできれば十分だ」

 少々ムッとしてそう答えると、魔理沙はニヤリと笑った。その笑みの意味が分からず不思議そうな顔をしている僕に、魔理沙は言った。

「何だ、香霖もすっかり冒険者一味っていう自覚はあるんだな。まだ依頼人面してるのかと思ったが、意外だな」

 そう言われてみればそうである。今やすっかり忘れていたが、そもそも僕は依頼人であり、こんな危険な最前線に態々出向く必要はなかったのである。とはいえ、この面子をこのまま放っておくわけにもいくまい。きっと僕の仕事も請け負った仕事も忘れて、好き勝手動き出すに違いないからだ。いわば僕はこのメンバーの取りまとめ役なのだ。そう言う意味では、僕も必要なメンバーの一人といえる。

「そうは言うけれど、僕がいなければ、君たちはちゃんと仕事をしないだろう?」

「確かに。違いないな」

「さて、お二人さん。仲良きことはよろしいことですけれど、そろそろ仕事にとりかかりましょうよ。ゆっくりしていると、日が暮れてしまうわ」

 アリスが軽く手を打ち鳴らす。何時の間に仕掛けたものか、猪婆竜を誘い出す罠が既に出来上がっていた。恐らくアリスの人形と、先ほどから一言も発さなかった妖夢の手によってできたのであろう。見事な手並みである。

 街道を暴れまわるという猪婆竜であったが、彼女(?)が何時現れるかまでは分からなかった。そこで遠方から食料を運んでくる馬車などが襲われるということから、恐らく食料を重点的に狙っている(つまりいつも空腹だということだ)と当たりをつけたのである。そこで依頼主から大量の食料を調達すると、それを堂々と街道のど真ん中に置き、その周囲に落とし穴を掘った。

 以上が今回の作戦である。

 実に原始的且つ斬新な作戦である。発案者は黒白の盗賊嬢である。流石、頭の切れが違う。

「……相変わらず作戦と呼んでいいのでしょうか?」

「言わないでしょうね。けれど何もないよりはマシでしょう。付け焼刃でも、竹光よりは物を切るでしょうし」

 不安げな妖夢に、アリスが溜息混じりに答えた。対して発案者は、罠の出来に満足そうである。

「大丈夫だ、妖夢! これでバッチリ! 猪婆竜は誘き出せるわ、落とし穴に落ちて動きは止められるわで一石二鳥だ! これで勝ったも同然だな!」

 そう自信満々に言い切った。その後の光景は僕たちの度肝を抜くには十分だった。

「……そんな馬鹿な」

「……嘘でしょ」

「……冗談か何かかな?」

「だから言っただろ! この罠で間違いないって!」

 一人魔理沙だけが、興奮して隠れていた草陰から飛び出し、そら見ろとばかりに、その光景を必死に指さす。

 魔理沙の指さす先には、見事に食べ物に釣られて落とし穴にはまりもがいている巨大な龍の姿があった。

「……と、とりあえず捕獲するわよ! 後は野となれ山と成れよ!」

 騒ぎ始めた魔理沙を睨んで咆哮を上げる猪婆竜に、いち早くアリスが我に帰り、人形を展開する。人形たちは手に巨大な網の端を掴んでいる。これで猪婆竜の動きを封じて捕獲する手筈なのだ。

「妖夢、援護を! ほら、アンタも手伝いなさい!」

「心得ました!」

「分かってるよ、っとぉ!」

 アリスの号令に、同じように藪に潜んでいた妖夢が飛び出し、魔理沙が懐からスペルカードを取り出す。体勢を整え穴から這い出ようとする猪婆竜に向けて弾幕を張って動きを牽制し、再び穴の底に叩き込もうとする。

「GYAAAAA!」

 弾幕をその身に受け、猪婆竜が吼える。地を揺らすその轟音はまるで質量を持つように僕たちの耳朶を打つ。巨大な音の持つ暴威に誰もが耳を押させ、身を竦ませる。魔理沙と妖夢の弾幕が緩む。その一瞬をついて猪婆竜

が、落とし穴から上半身を引き摺りあげて、力士が四股を踏むように丸太のような前足で地を思いっきり踏み締めた。雷が落ちたような音を響かせて、大地が激しく振動する。藪に伏せていた僕はそのまま地に伏せて大地の揺れをやり過ごす。立っていなければ倒れて地に叩きつけられることもない。実に合理的な解決だ。そこで上目づかいで辺りを見回すと、妖夢は両足を踏ん張り微動だにしていない。ただ流石の妖夢でもこの揺れの中では、弾幕を張ることも二刀を振るうことはできないらしい。魔理沙はというと、こちらも盗賊だと嘯くだけあって、危機には敏感なようだ。何時の間にやら箒に跨り、既に地に足をつけていない。しかしもう一人は、妖夢のように肉体的に恵まれておらず、魔理沙ほどはしっこくない。

 激震に耐え切れずアリスがバランスを崩す。この揺れの中で地に叩きつけられては無事にはすまない。僕は地に伏した体制から起き上がり、頭からアリスに体当たりするようにして、その華奢な体を受け止める。

「あ、ありがとうございます。香霖堂さん……」

「……何、これくらいお安い御用さ。戦闘中の僕にはこれくらいしかできないからね」

 痛みを堪えて僕はそう答えた。額に浮ぶ冷や汗さえなければ、結構格好良く決ったんじゃないかと思う。僕の捨て身のダイブが間に合い、何とかアリスと地面の間に自分の体を滑り込ませることに成功した。しかし、やはり半端ではなく痛い。体を四方から無理矢理引っ張って引きちぎられるような力がかかる。半分妖怪とはいえ、僕はそれほど体が丈夫なわけではない。恐らく今の衝撃で筋肉を痛めたり、骨が折れたりしていると思ったのだが、痛みはあっても体の何処にも不具合はなかった。そこで思い出した。そう言えばこの冒険を始める際に、アリスから身代わり人形を貰っていたのだ。どうやらそれが僕のダメージを肩代わりしてくれたらしい。

「香霖堂さんに人形を渡しておいて正解だったみたいね。情けは人のためならずとは、良く言ったものだわ」

「お互いの無事を確かめ合いたいところだけれど、そんなにのんびりしている暇はなさそうね」

 微笑を苦笑を変えたアリスの表情に、焦燥が浮ぶ。その視線の先に目をやり、僕も同様の感想を持った。魔理沙と妖夢は珍しく苦戦していた。

「硬い!」

 猪婆竜の皮膚は弾幕と化した妖夢の刃ですら、わずかな切り込みを入れることしかかなわない。それどころか、直接切り込んだ妖夢の小さな体が弾かれそうになる。空からは魔理沙が地上を薙ぎ払うように打ち込むが、それすらも意に返さないかのように、猪婆竜は蝿を追い払うように首を振る。

「強い!」

 猪婆竜が何度も四股を踏むよう地を揺らす。その衝撃に耐え切れなかった大地が割り飛び散らせた破片を弾幕代わりに、空を飛び爆撃を繰り返す魔理沙と地を駆け回る妖夢目がけて放つ。地鳴りと弾幕、そして時折己を鼓舞するように発せられる咆哮の三重の攻撃に、魔理沙と妖夢をして、不利な戦いを強いられる。

 単発的に揺れる地面に耐え、アリスが何とか立ち上がる。素早く指を動かし糸を繰り、猪婆竜の周囲を旋回させていた人形を自分の元に呼び戻す。魔理沙への岩石弾幕のとばっちりを受けたらしい、人形たちが手に持つ網はズタズタに切り裂かれていた。

「もう悠長なことやってられないわね。……あんまりやりたくなのだけれど、この際仕方ないか……」

 不利な状況を見て取ってアリスが、歎息した。そして腹を括ったように一つ頷いた。

「少しばかり足止めしといて頂戴!」

「何か策でもあるのかい?」

空で魔理沙が、地上で妖夢が頷くのを見ながら、アリスに尋ねた。

「策なんてないわ。ちょいとばかり本気を出すだけよ」

そう言うとアリスがは両腕を左右に広げ、五指を広げる。その動きに連動するように、アリスを中心に地が波紋のように浪打ったと思うや、そこに精緻な魔方陣が描かれていた。アリスの十指の先から伸びた繰り糸が微かに煌き、十本の繰り糸は十体の人形へと伸びていく。アリスの周囲に展開する十対の人形を介し、人形の十指からさらに百本の繰り糸が伸び、さらに百体の人形へと繋がっている。百体の人形は主の姿に倣い五指を広げる。アリスの指先から人形を介し伸ばされた千本の繰り糸は、地に描かれた魔方陣の中へと伸びている。

「起動シークウェンス開始。知覚神経系接続開始、5%、8%、11%……」

「運動神経系接続開始、接続率5%、11%、17……」

 アリスの直ぐ側で彼女の人形が何かを伝えている。どうやら何らかの作業に進捗状況らしいが、一体何をしているのか検討すらつかない。

 当のアリスはというと、そのしなやかな指先をまるで見えない鍵盤を叩くように高速で動かしていた。その動きはまるで複雑怪奇な譜面を演奏しているようであり、そしてそれ以上に繊細で、まるで十指それぞれが別の生き物か、あるいは機械仕掛けで出来ているかのようだ。時に大きく指を振り、時に小刻みに素早く動く。その動きは繰り糸を伝わり、その先の人形たちがさらなる複雑さを繰り糸に加える。百十体の人形を介した繰り糸は、アリスを中心に波紋のようにさざめき、波立ち、魔方陣の中へと消えていく。

「全運動神経接続完了。引き続き武装1番から64番までの封印解除開始。現在第5拘束術式解除中。解除率13%、27%、40%……」

「……香霖堂さん」

「何かな?」

 平生と変わらぬ僕の声音に、アリスの口元が僅かに緩んだ。僕の無知を笑っているのか、あるいはその肝の据わりようを呆れているのか、それは分からない。

「何処かにしっかり捕まっててください。振り落とされないように」

「何処かに捕まる? 一体何処に捕まるって言うんだい? それに振り落とされるって、一体何処から?」

 僕の疑問に、今度こそアリスはニヤリと口元を歪めた。ああ、あの笑みは実に良く見かける類の笑みだ。白黒の格好をした少女が浮かべる笑みにソックリなのだから。

「全武装封印解除完了。全起動シークウェンス完了。稼働率100%、稼働状況オールグリーン。コードネーム『YUMEKO』、転送開始します」

「もう直ぐ分かるわ」

 魔方陣が一際眩く輝くと、グラリと地面が揺れた。僕はすわこんなタイミングで地震かと地に伏せようとした。その時にその揺れの正体に気がついたのである。それは地面が揺れたのではなかった。

 地面が揺れたのではなく、僕の立っている地面から何かが、それもとてつもなく巨大な何かが姿を現そうとしているのだった。

「……これは、人形?」

 慌てて地に伏せた僕の手が、その巨大なものに触れるや否や、僕はそれが何であるかを理解した。

 地を揺るがし、木々を根元から騒がし、アリスの奥の手が、その姿を現す。

「創人 『夢見る魔界人形』!!」

 アリスが高々と奥の手の名を叫んだ。それは一言で言い表すとするならば、超巨大メイド人形だった。柔らかそうに緩くウェーブのかかったブロンドに、赤いエプロンドレス姿。その巨大ささえなければ、見事なまでのアンティークドールだろう。それともこの巨大さにも関わらず、アンティークドールと同じように仕上げてしまうアリスの腕を褒めるべきなのだろうか。

 先程までこちらを嘲笑するような鳴き声を上げていた猪婆竜までもが、突如出現した巨大メイド人形に、怯えたような鳴き声を上げる。どうやら竜には、メイド姿というのはご法度らしい。

「GYAAAAAAAA!」

 ヤケクソ気味の咆哮を発し、猪婆竜が大地を踏みしめる。地が割れ岩の塊が浮き上がり、僕たちの乗る巨大メイド人形へと襲いかかる。

「anti-aircraft defense!!(対空防御) ready!!」

「yes, master」

 アリスの言霊に、傍らの人形が無機質な声で答える。彼女が糸を繰るまでもなく、その言霊により彼女の人形たちが、アリスの意思を忠実に実行する。巨大メイド人形が胸前で組んだ手を解き、勢いをつけて体側に伸ばす。その動きに連動しているのか、手首に仕込まれていたらしい巨大人形用のナイフを両手に構えた。

「ACTION!!」

 再びのアリスの言霊。その言に従い、巨大メイド人形が両腕を振るう。暴風を伴い振るわれる巨大な銀のナイフ。銀の刃が閃く度に、襲い来る岩の塊が轟音を上げて地に叩き落される。

 悉く弾かれる岩の弾幕。そのあまりに鮮やかな手際に、猪婆竜が怯む。その一瞬の機を逃す、僕らではない。

「魔符「スターダストレヴァリエ」!」

「天星剣「涅槃寂静の如し」!」

 魔理沙と妖夢の声が重なる。空から無数の星が降り注ぎ、地から雪の如き弾幕が立ち上り、猪婆竜の視界を多い、岩の弾幕を相殺する。

「今だアリス!」

「抜投八連!」

 魔理沙の声に答え、アリスが高らかな叫びをあげる。引き絞られた弓のように、広げた腕を眼前で交差させる。その動きに従い、百十体の人形が蠢き、繰り糸を伝わる振動が、巨大メイド人形に命令を下す。主のように腕を体の前で交差させる。その動きに連動するように、「ガチャン!」という無数の歯車が噛みあったような音と、何処かの機構が作動する振動があった。恐る恐ると身を乗り出して音のしたメイド人形の背後を覗き込むと、指の間にそれぞれに投擲用と思われる形状の短剣が握られていた、しかし投擲用短剣と言っても、それは僕の足元の巨大メイド人形にしれみれば、ということである。他の妖怪や人と比べてもやや背の高い程度の僕にしてみれば、それはそこいらに生えている木々を引き抜いて構えているようにしか見えない。

「成敗!」

 発せられたアリスの言葉と共に突き出された腕に従い、巨大メイド人形が構えた八本の短剣を猪婆竜に向かって投げつける。それは辺りの木々の枝を揺らし、耳を聾さんばかりの音を発して、その巨大さからは到底考えられない速度で、一直線に巨龍へと突き進む。そして八本の巨大短剣は、妖夢の斬撃や魔理沙のマスタースパークすらはねかした猪婆竜の分厚い皮を切り裂き、見事額の痣に全て命中した。

「GYUOOOOOOOOOO!」

 さしもの猪婆竜も、己の腕ほどもある八本の刃に貫かれてはその巨躯を支えることもままならなかった。空が避けるほどの断末魔の声を上げると、地を砕かんばかりの大音響と振動と共に、どうっともんどりうって地に伏したのだった。

「……うっ……うおおおおおおおおおっっ! 凄っ! 何で最初から使わないんだよ、アリス!」

「当たり前でしょう。力はこれ見よがしに振るうものじゃないわ。切り札は最後まで取っておくものよ」

 そう言って顔にかかった髪を払う。そしてピクピクと悶絶している猪婆竜に向かって、竜語で勝利を宣言した。

「アンタの弱点が投げナイフだってことは、知ってるのよ! さあ、これ以上ナイフを投げられたくなければ大人しくなさい!」

「ああ、脱皮した皮を貰うのを忘れないように」

「何か追剥しているような気になるのですが……」

「何、冒険者と追剥に、それほど違いはないさ」

 妖夢に魔理沙がシレッと答えた。確かに今までの僕たちの行状を見るに、その言葉そのまま当て嵌まっていると言わざるを得ない。

 観念したのか上半身だけ起こした猪婆竜がガウガウと呻く。どうやら竜語で何かを言っているらしい。ああ、こんなことなら店から「翻訳○○にゃく」を持ってくればよかった。そんなことを考えていると、アリスが一体の人形を取り出した。人形は猪婆竜の言葉を聞くと、まるで内緒話をするようにアリスに耳打ちする。どうやらあの人形は竜語が分かるらしい。それなら皆に聞こえるように言ってくれればいいのにと思うが、ここは黙っておくことにした。アリスがフンフンと頷いて、内容を話してくれる。

「誰も名前を呼んでくれなかったから暴れた。今では後悔している」

「ならお前の名前は今から門番だ。お約束だしな」

「どこに門があるっていうのよ。それじゃ名前だけが一人歩きしているだけじゃない」

「なら門を与えてやればいい。人里の門をコイツに預けてやればいいじゃないか」

「しかしそれは僕たちだけで決められるものじゃない」

 流石にそう簡単にはいかないだろうと、僕も意見を述べる。しかし魔理沙にとっては僕たちが考えているようなことは、瑣末な問題でしかないらしい。

「そんなに心配することじゃないだろう。コイツがこれ以上暴れないのなら、連中だってありがたいはずだ。加えてコイツが里の用心棒まで引き受けてくれるとなれば、これほど心強い奴もいないだろうしな。それにな……」

「それに?」

 そこで魔理沙が言葉を切り、かたわらに蹲る猪婆竜の脛の辺りを小突いた。

「そうすればコイツもいつか名前を呼んでもらえるようになるかもしれないだろう?」

 アリスの同時通訳を聞いていた猪婆竜が、一声鳴いた。そうして意外と愛嬌のある団栗眼から大粒の涙を流し始めた。

「おいおい。こいつは偉く感激屋じゃないか」

 ウワンウワンとそれこそ地を震わせて号泣する猪婆竜を見て、魔理沙が照れたように頭をかいた。

「……本当に、名前を呼ばれるようになると思いますか?」

「……お約束としては、呼ばれないでしょうねぇ」

 妖夢とアリスの呟く声が聞こえ、泣いている猪婆竜が少々可愛そうになった。

 こうして僕の回想シーンは終了した。

 そしてすぐに僕の人生も終了するのだろう。

 グッバイさよなら再見アディオスまたあう日まで。

 できればもう少し長生きしたかったものである。

「ちょっとちょっと! 何勝手に回想シーンに入ってるのかしら? 私が正座しろって言ったくらいで、殺されるとでも思ったの! ホント、失礼しちゃうわね!」

 僕の落胆振りがお気に召さなかったらしい、幽香がムッとした顔で早口にまくし立てる。

「……だって僕はここで君に食べられてしまうのだろう、食料的な意味で。もしくはもっと酷い目に合わせようってのかい? 後生だからせめて苦しまないようにするという最低限の……」

「……ちょ、ちょっと! 何泣いてるのよ! 泣き止みなさいよ! これじゃあ私が苛めてるみたいじゃないの! 止めなさいって! ストップ! すと〜っぷ!」

 慌てて手を振る幽香の姿がぼやけているのは、気のせいではないだろう。グズグズと鼻をすする僕に、幽香が花柄のハンカチを差し出してくれたが、流石に女性のハンカチを使うわけにもいかないので、ユルユルと首を振ってそれを断り、僕は服の裾で目を擦った。

 とりあえず落ち着いて考えをまとめてみよう。何が問題だったのだろうか。ほとんどないのだが、思い当たる節を脳裏に浮かべてみる。

「もしかして、解れたり穴が開いていたりしたかい? そ、それとも待ち針が胸のところに刺さってたり!?」

「NON。そんなことはなかったわ。いい仕事をしているわ。っていうか、貴方の思い浮かべる問題に問題があるようだけれど……」

 頬を痙攣させ、幽香が言う。ではこれだろうか?

「ではサイズが合わなかったりとか? ……む、胸のところが妙にきつくて、ウェストがブカブカだったり?」

「NON。サイズは気持ち悪いくらいピッタリだったわ。まるでどこかで測ったみたいにね。……それより何より、さっきから指摘する問題が悉くおかしい。貴方、そんなに肥料になりたいの? 椿にしちゃうわよ」

 ニッコリと怖い笑顔を向けられてしまった。これでもないのだろうか? それでは僕は完璧な仕事をしたはずだ。ここまでの目に合わされる節が思い当たらない。

「……じゃ、じゃあ、一体どこに問題が……」

「アンタのデザインに問題があるんでしょうがぁ!!」

「でざ……いん……?」

「何でそんな不思議そうな顔すんの!? よく見なさいよ! これのどこが、私の着ている服と同じなのよ!」

寝耳に水だ。一体デザインのどこにそんな問題があるのだろう。

ショーツとブラジャー。

キャミソールにブラウス。

ベストにスカート。

靴下とパンプス。

タイと日傘。

 全く同じ。今、彼女が手に持つ服と着ている服、何処も何も寸分違わず同じにしか見えない。

「同じだろう?」

「全然違うでしょうがぁ! こんな水着みたいな、隠してるようで全然隠してない服着て歩いてないでしょう! これが普段着だってんなら、私はただの破廉恥じゃないの!」

 小首を傾げる僕に、終に幽香が吼えた。

 むぅ、確かに少々アレンジを加えたのは認めよう。しかしそれがそんなに怒ることだろうか。

 ショーツは危険なほどにローライズ。大人の女性の妖しさを醸しだす。

 ブラはその豊かなバスとを強調するようにと、カップを小さくしたトップレスブラ。

ブラウスは少々袖を短く、丈を調節し、臍をセクシーに見せている。ベストも露出した肌を邪魔しないように細心の注意を払っている。

スカートも裾が翻らないようにと、ピッチリと太腿に張りついたマイクロミニ。

 完璧だ。一点の曇りもない程、完璧に仕上がっている。だからこそ僕は胸を張って答える。

「完璧に出来ました」

「問題はお前の美的感覚とデザイン感覚かー!」

 その幽香の絶叫と共に、僕の意識は暗転した。

誰かが僕を呼ぶ声がする。誰だろう? もう少し寝かせておいて欲しいのに……

「……りん! こうりん! 大丈夫か、香霖!」

「……ああ、魔理沙か……何だ、もう少しで河を渡れそうだったんだがな。見たこともない祖父の顔が見えてたんだが……って幽香は?」

 耳元でがなりたてられる声に、目が覚めた。目を醒ますや、先ほどまでのフワフワと宙に浮いていたような良い心地から、一気に冷水を浴びせかけられたように意識がハッキリしてくる。……そうだ、僕はあの風見幽香に叱りつけられて、そこで意識を失ったんだ。頭を振る僕に魔理沙が肩を貸してくれる。

「ああ、私の所に来て香霖堂に死体が一つ転がってるって言って、帰って行ったよ。……しかし何というか、予想通りというか、いやはや……」

 背の違いがあるので魔理沙におぶわれるようにしながら立ち上がる。

「やっぱりアレを見せたんだな……だから、あれ程言ったのに……」

 言葉尻は良く聞こえなかった。呆れ果てて何かいうのも億劫になったのかもしれない。手で顔を覆う魔理沙を、僕は恨みましく睨んだ。

「……何だ、こうなるのが分かっていたなら、もっと本気で止めていてくれれば……」

 そう言うや魔理沙が凄い勢いで叫んだ。

「止めたじゃないか! メチャクチャ止めたじゃないか! あのアリスと妖夢でさせ、血相変えて止めたじゃないかよ! 憶えてないのか? そうしたらお前はいけしゃあしゃあと、『君たちのセンスと、僕のセンスは違うからね。理解できないのも仕方がないさ。けれどこういうのが今一番トレンディなんだよ』なんて言って相手にしなかったんだろうが! 加えて狂人の論理判定やらバツ判定悉くに失敗したお前が悪い!」

 ビシッと指を突きつけられてそう言われた。言われてみればそんなことを言ったような気もする。もし言ったのなら、これは自業自得と言うのだろうか。

「……そうだ、魔理沙。報酬、その服でどうだ?」

「絶対に断る」

あとがき

読了お疲れ様でした。そしてありがとうございました。と、いうことで、こんな話でした。元々は同人誌「優美な死骸」用の原稿だったんですが、主に分量がありすぎて、断念しました。で、勿体無いので、ここにのせました。読んでいただき、そして「宵闇眩燈草子」をご存知の方ならば、お分かりのことと思います。……そう、アリスにラスキン役をやって欲しかっただけ、なんですね。これが、そうしたらいつの間にやらこんな話に……。趣味全開で、お楽しみいただけたなら幸いです。

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