宴の始末

「んあ?」

 素っ頓狂な声を上げ、仄かに赤い顔をした霧雨魔理沙が目を覚ました。キョロキョロと辺りを見回す。いつのまにやら 眠ってしまっていたらしい。宴会は既にお開きになったようで、あれだけ騒々しく騒いでいたのが嘘のように辺りは静まり返っていた。

「あら、起きたの。魔理沙」

 魔理沙が起きたことに気がついたのか、博麗霊夢が声をかけた。

見慣れた霊夢の顔は頭上にあった。それと自分の頭が何か柔らかくて暖かにものの上にあることから、魔理沙は どうやら自分が膝枕をされているらしいことに気がついた。気がついたからといって、特に何をするというわけではない。 魔理沙はそうされることがさも当然のような顔をして、自分を覗きこむ霊夢の顔を見上げる。

「私は何処で、ここは誰だ?」

「まだ酔っ払ってるの?」

霊夢が呆れて眉をしかめた。

「あんたは霧雨魔理沙で、ここは博麗神社よ」

 そう言うと霊夢は魔理沙のおでこに指で弾いた。

「ああ。それはもういいんだ。ところで霊夢。私は喉が渇いた」

顔の前で手を振ると、魔理沙は図々しくもそう言った。

「……白湯なら幾らでも飲ませてあげるけれど?」

 歪に頬を引きつらせ、霊夢が苦笑する。

「いや。できれば入れたての緑茶がいい。ウンと濃いので」

 魔理沙が冷静に返す。案外、憎まれ口と分かっていないのかもしれない。

 霊夢は返事の変わりに盛大な溜息をつくと、再び魔理沙のおでこを指で弾き、魔理沙の頭を座布団に降ろすと、なんだかんだと言いながらも律儀にも茶を淹れに台所に向かった。

 縁側に横になった魔理沙はというと、寝転がったまままどろみと酩酊の心地良さの中で、暮れなずむ境内を見るともなく見ていた。

 境内には、(魔理沙の感覚では)先程までの喧騒は綺麗に拭い去られていた。

 魔理沙は少しずつ思い出していた。今日の宴会は実に突発的だった。だから少々自分も羽目を外しすぎたのだろうと思った。

 事の始めは八雲紫が、酒が飲みたいと朝から霊夢の元を押しかけて来たことに始まる。 もちろん、主が来れば式神が供回りにつかねばならないし、式神の手足として雑用に飛び回る式神も必要だろう。 そして特にやることの無い亡霊を誘えば、主だけを放っては置けぬと庭師がついてくる。しかもちゃっかりと酒の肴とばかりに騒霊楽団まで引き連れてくる周到ぶりである。

かくて宴が始まると、どこから聞きつけてくるのか、山から職務を放棄した天狗と、奇妙奇天烈な品々を抱えて河童が下りてくる。しばらくすると寝入 り端を邪魔されたと、吸血鬼とその従者やらが乱入してくるわ、自分たちも混ぜろと兎とその飼い主たちも現れる。

 昼過ぎに人形遣いと魔法使いが神社に顔を出したころには、宴会は良い具合に出来上がっていたのだった。

それからも、昼過ぎには祭囃子ならぬ宴会囃子に誘われて、二柱の神とその巫女が社もほったらかして現れた。それに続いて何時の間にか、まるで始め からそこにいたような顔をして酒を飲んでいた死神を叱りに閻魔が現れると、ちゃっかり片手に杯を携えてガミガミと説教を始める始末。

 そこまで思い出して魔理沙は首を捻った。その先どうなったのか、全く憶えていないのだ。どうやらその辺りで、眠りこんでしまったらしい。魔理沙 にしては珍しいことである。やはり少々はしゃぎ過ぎたようだ。その先、宴は一体どういう経緯を経たのか分からないが、今の状況から考えて日が西に 傾き始めた頃に、潮が引くように酔っ払いたちは帰ったのだろう。後には酔い潰れて眠る普通の魔法使いと、帰る必要のない神社の巫女の二人だけが残 った、そんなようだった。

 夕方の風が火照った頬を優しく撫でる。その感触が心地良かった。このままもう一眠りするのも一驚かもしれないと、魔理沙は思った。 風邪はひくかもしれないけれど、このまま眠る魅力を押しとどめるには少々力不足のようだ。眠気はパワーである。

 そんな風に、うつらうつらと考えるともなく考えていると、横になった視界を何かが遮った。

 湯呑だった。

 見上げると、しかめっ面の霊夢の顔があった。

「ほら。淹れてきてやったわよ。感謝しなさい」

「うん。感謝する」

 そう素直に感謝すると魔理沙は二度寝は止めた。入れたての濃いお茶の方が、二度寝に勝ったようである。 「よっこらしょ」と声をあげ起き上がり、両手で湯呑を持つとふぅふぅと息を吹きかけ、よく冷ます。

「それじゃあまだ感謝が足りないわよ」

 程よく冷ました茶を、音を立てて啜る魔理沙の顔を恨めしげに見やり、霊夢が言った。

「どういうことだ? 私の感謝は値千金だと思うがな」

 自分の隣で同じように茶を啜る霊夢の横顔を見ながら言う。憮然とした魔理沙の顔をチラリと横目で見ると、素知らぬ顔で霊夢が続ける。

「憶えてないのね。でしょうね。何たってアンタ、珍しく酔っ払って正体なくしてたんだから」

「だから私が何をしたって言うんだよ?」

 むきになって魔理沙が尋ねる。霊夢は「なら教えてあげるけれど」と語気強く前置きすると、憎々しそうに唇の端をピクピクと吊り上げ、ツラツラと恨み言を積み立て始める。

「何をしたかですって? そりゃあ散々やってくれたわよ。一つずつ教えてあげましょうか? 始めは、そう、閻魔が件の泰斗に説教を 始めたころよ。『宴会はパワーだせ!』とか訳の分からないことを言い出したかと思ったら、いきなり箒にまたがって所構わずぶっ飛びだしたのよ。 で、その次に酒の雨を降らせてやる、とか何とか言ってあたり構わず酒を撒き散らしたのよ。で、それに釣られた何人かの馬鹿が暴れだすもんだから、 宴会の席上、どこもかしこもメチャクチャよ。オマケに暴れた当の馬鹿もいれて、ほとんどの奴が片付けもせずに帰っちゃうし、片づけを手伝わせよう にもあんたは暴れ疲れて寝っちゃてて、蹴っても何しても起きないし、おかげで私が一人で片付けるはめになったんだからね! ……あ〜、ほんとに今日は疲れた」

「む……それはすまなかった……」

 面目なさげに魔理沙が視線を反らした。宴会部長として、そこはかとない誇りを持つ魔理沙にとって、 自分の失態で宴を無茶苦茶にしてしまったことに少なからず忸怩たる思いがあった。別に霊夢に迷惑をかけたから謝ったわけではない。 迷惑をかけるのはいつものことだから、魔理沙はそんなことは気にしない。

 そんな魔理沙の心中など知る由もないだろう。霊夢は疲れた溜息をつき、自分の肩を揉みながら、首をゆっくりと回した。グリグリと鈍い音が鳴った。

「ま、別にいいわよ。いつものことだし。その代わりちょっと疲れたから横になるわ」

 そう言うと霊夢はゴロリと横になった。

「で、何をしているんだ?」

 そんな霊夢を見ながら魔理沙が尋ねた。霊夢の頭が自分の膝に乗っているからである。魔理沙の問に、霊夢は憮然とした顔をした。

「見て分からない? 膝枕よ」

 そして何を聞いているんだといわんばかりに答える。

「見て分かっちゃいたが、聞いたら良く分からなくなったぜ。何故膝枕?」

 魔理沙が尋ねるが、霊夢の口調は変わらない。

「眠いからに決ってるでしょ」

「布団しけよ」

 間髪入れずに魔理沙が切り返す。呆れる魔理沙の顔を見上げて、霊夢が不機嫌そうな声を出す。

「嫌よ、面倒臭い。それに今すぐ寝たいの」

そうして「邪魔をするな」と睨みつけた。下手に逆らうと何をしでかすか分からない目である。

「だからどうして膝枕なんだよ?」

 魔理沙が尋ねる。とりあえずその視線に、霊夢を膝の上からどかすことは諦めたようだ。

「何言ってんのよ。これでおあいこでしょ?」

 片目を閉じ霊夢が言った。すぐにでも眠れる体勢である。

「む、それはそうだけれど……」

「それじゃお休み。晩御飯できたら起こしてね」

 口ごもる魔理沙に、霊夢は畳み掛けるようにそう言ってもう片方の瞼を閉じた。どうやら本気で寝るつもりのようだ。

 一人取り残されたように、魔理沙が呆気に取られた顔をする。空を見上げるとオレンジの残照は消え、群青の夜が降りてくる頃合であった。

「……この状態でどうやって料理しろっていうんだ。そもそもこれじゃ動けないじゃないか」

 困ったように魔理沙は呟いた。そして膝の上のスウスウと規則正しい寝息を聞くと、ボリボリと頭をかいた。

「……ま、いいか。確かにこれでおあいこだしな」

 そう言うと、穏やかな顔で眠る霊夢の頬を軽く突いた。

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