へう幻もの

『魔界法界地方の法海、突然の海底火山噴火。死傷者0、重軽傷者は全住民!?』

 随分と大事になったものだと、新聞を読んでいた霖之助は溜息とともに独りごちた。

薄暗い印象を受ける香霖堂店内だが、それは雑多に置かれた様々な商品が原因だ。直進する光は、背の高い棚に詰め込まれた商品たちに阻まれて、そのシルエットを切り取られていく。

視点の高さによって明るさの印象は変わり、香霖堂によく出入りする少女たちにとっては霖之助よりも薄暗い視界となるだろう。

だが、霖之助はそんなことには構わず店内を長年そのままにしている。ここは霖之助の一国一城、自分が使いやすいようにするのだ。

尤も、今時分の寒い季節にはストーブを出しているので、火事にならないようにストーブ周りには物を置かないようにしているが。

『原因は二人組の女? 汚いコンビが来たと一部関係者の証言』

熱い茶を飲みながら読み進めるにつれ、その記事はゴシップ色が濃くなっていく。途中からは情報検証といった心持ちで読んでいた。

「命蓮寺のあの二人はこの件以外でも色々とやらかしているのか。強力な力を持つ者が、エージェントとしても有能だとは限らない、ということか」

顎を撫ぜながらの思索の理屈に、身近な二人の少女を思い浮かべる。

霧雨魔理沙と博麗霊夢は、人間としてまだまだ未熟な子供だ。しかしながら、異変解決の適任者であり、弾幕ごっこにおいては幻想郷トップクラスをひた走る。そうかと思えば子供らしく考えが浅かったりもする。一長一短というやつだ。

ふと、魔理沙に作り与えたミニ八卦炉を思い出す。正八角形のそれはバランスの取れた形をしているが、彼女達の能力をレーダーチャートで表したならば、歪な多角形になるだろう。

だが、人間の能力など六角形や八角形で表し切れるものではない。思考と行動の数だけ存在する無数の能力を無理矢理表したならば、多角形というよりも、きっと無数の歯を尖らせたとても歪な歯車のようになるに違いないと思いを巡らそうとしたとき、

――カランカラン――

そんな鈴の音を響かせて香霖堂のドアが勢いよく開かれた。

「ちょっと、道具屋。居るの?」

突然の闖入者に、せっかくの糸口を断ち切られてしまう。

「君はいつぞやの……」

入ってきたのは小さな鳥の羽を生やし、白髪の前髪ともみ上げだけが紫色をした小さな女の子の姿をした妖怪。以前に霊夢によって本を強奪され、取り戻しに来てみれば魔理沙によって返り討ちに遭った可哀想な妖怪だ。

こういった社会を構成してなさそうな妖怪は、総じてお金を持っていない。きちんとした経済観念はおろか、商売の等価値のもの同士を交換するという原則すら理解していないかも知れない。

「そこに居たの。全然動かないから分からなかったわ」

びしっと自分を指差してくる鳥妖怪に、霖之助はこの子はやはり客とは言い難いと考えていた。

「本を買いに来たわよっ」

かつかつと体重の軽そうな音を立てながら霖之助の前に来た鳥妖怪は、ゴトンと重そうな音を立てて風呂敷包みを卓上に置き、薄い胸を張る。

「これと本を交換よ、どう? 道具屋はお金か物が欲しいんでしょう?」

予想に反して交換という大原則を分かっていた鳥妖怪に、霖之助は評価を上方修正する。

「へえ、どれどれ」

しかし、価値のあるものでなければ意味がない。つまらない、欲しくもならないようなガラクタはもちろん、ただの食料程度でも知識の結晶たる本には釣り合わないだろう。

期待せずに包みを解いていく。

「何だい、これは……」

包みから出てきたのはなんとも表現しがたい、見ているだけで忘我の淵に導かれそうな代物だった。

「……何かの像の頭……なのか?」

それは確かに人の頭の形をしていた。見ればそうと分かるはずだ。誰だって分かるはず。

だがしかし、見えているのにそれが何であるのか分からないのだ。確かに目前に置かれているのに、分からない。

まるで、目から入った情報が頭を素通りして幽霊のようにどこかへ消えてしまったかのようだった。

霖之助がそれを像の頭と知れたのは、自身の能力によるものだ。正体の分からないものに、不用意にも触れてしまったからこそ分かった事だ。

「どう? すごいでしょう! こんな何だかよく分からないものなんて他にはないわよ。さあ本を頂戴っ」

再度、薄い胸を張り、さあちょーだいとばかりに掌を差し出してくる鳥妖怪。

この鳥妖怪、実はこれがどんなものなのか、取引相手となる霖之助にとってどんな価値のあるものなのか、まるで理解していなかった。 目の前にあるのによく分からない→変、不思議、珍しい→すごい。そんな論法である。すごいものは価値があるので欲しいものと交換できる。それくらいしか考えていなかった。

「一体何処で手に入れたものなんだい?」

「落ちてた」

非常に元気良く答えられ、霖之助はなんだか自分の元気が反比例していく気がした。鳥妖怪はおやつを貰う前の幼児のようにわくわくしており、霖之助は本と交換されようとしている分けのわからないものを前にして困惑していたからだ。

「落ちてたって言われてもな。どんな価値があるかよく分からないものとでは交換にならないよ。何円なのか分からない額面不明のお金は何円でもないんだ」

「ええっ、何でよ。ケチッ!」

「ケチじゃない、僕がこれに価値を見出さなければ交換は成り立たない。君だって、お気に入りと欲しくもないものを交換したりしないだろう?」

「ぐうっ」

鳥妖怪が言葉に詰まったのを見て、霖之助は目の前のものに意識を集中する。 道具の名前と用途が分かる程度の能力を使うと、これが『仏頭』であることが分かった。用途は崇めること。

つまり、普通の仏像の頭ということだ。

「しかし、なんでこんなわけの分からないものになっているんだ?」

姿は見えども見えじ。霖之助はこれを、視界には捉えているのに見えないという打ち消し≠フ作用があるのだと仮定してみる事にした。

そこに『仏頭』があり視界に入っている、眼はそれを捉え、視神経を介してその情報を脳へと送る。脳はその情報を受け取り理解し、思考の流れの中に組み込む。

目頭を揉んで窓の外を見る。ストーブによる店内の温かい空気と、外の冷たい空気の温度差が、寂しくなった木々を結露で滲んで見せていた。

霖之助は己の眼が正常であると確信する。

ならば、この視神経を介してその情報を脳へと送る∴ネ降の何処かが、何らかの事情により阻害されているのではないか? それによって思考という自我は『仏頭』を認識できない。そう考えてみると、この『仏頭』も価値がある可能性が出てきた。

「落ちていたのを拾ったと言ったが、何処に落ちていたんだい? それにこれには何か不思議な力が込められているみたいだが、誰かのものじゃないのかい?」

この『仏頭』が価値のあるものだとした場合には問題が浮上するのだ。価値のあるものは既に誰かが所有していて当然。不思議な力は、所有権を主張する誰かが込めたものかも知れない。

持ち運べる程度の大きさの物なので――持ち運べない程度の大きさの物でもどうにかしてしまうのが妖怪というものだが――道端にでも落としてしまったとも考えられるが、単に置いてあったものとも考えられる。

社会も構成せず教育も受けず、長く生きてもいない妖怪というやつは、民家の軒先の干し柿を木に生ってたと言いかねない。たとえその軒先の柱が柿の木だったとしても確信犯ではあるまい。

「失礼ね、あの紅白や白黒みたいなのと一緒にしないで。私は強盗でも泥棒でもないんだから」

憤慨する鳥妖怪に、霖之助は眩暈を堪えるかのように米神を指圧する。あの二人にこの鳥妖怪の爪の垢を煎じて出してやりたい誘惑に耐えながら。

「これは幻想郷の外れにある洞穴の中に落ちてたの。雨宿りしようとして偶々見つけたのよ」

顎を撫でて霖之助は考える。この鳥妖怪は霊夢によると意外と強いらしいが、殊更警戒するほどのものでもないだろう。魔理沙に返り討ちに遭っていたのだし。

自身に見破れないような嘘をつく程の知恵も回らないだろう。ならばこのよく分からない、不思議な『仏頭』は真実この鳥妖怪に拾われ、本と引き換えにされるべく香霖堂へ巡って来たのだと言える。

香霖堂は古道具屋であり、役目を果たした器物がつかの間休み、次の役目を得るのを待つ場所である。

「……まあいいか、これと本を交換してあげよう」

「やった!」

喜ぶ鳥妖怪を尻目に、何冊かの本を見繕う。かつて霊夢がこの鳥妖怪から巻き上げた本は、気に入っているのでまだ売る気にはならないが、子供向けの本を三冊ほど渡してやった。

「ありがとう、アンタあいつらと違っていい奴なのね」

そう言って早く帰って本を読みたいらしい鳥妖怪は、うきうきしながら店を後にした。

 

続きは本編で

告知ページへ