6つの社

「お題編」

「狂気ですね、とにかく。それも風変わりな狂気です。今の時代に生きている者がナポレオンを憎むあまり、
その像と見れば壊してしまうなんて考えられますか?」

ホームズは深々と椅子にかけた。

「僕が手を出すことじゃないね」と彼は言った。

コナン・ドイル――六つのナポレオン

「ちょっと霊夢さん! 酷いじゃないですか! あんまりです! そりゃ以前は無理矢理神社を乗っ取ろうとしたり、八坂様や洩矢様が傍迷惑なことを
したけれど、こんな仕返しってないんじゃないですか!」

それは良く晴れたある日の博麗神社でのこと。

「アンタはホントなんでもいきなりね。何、今度はアンタがなんかしたの?」

境内を掃除する手を止め、博麗霊夢は山から下りてくるや否や唐突に自分を批難し始めた、守矢神社の巫女であり現人神であるところの東風谷早苗を
冷ややかに眺めた。ついでにいつかもこんなやりとりがあったな、などと考えていた。

「しらばっくれたって騙されませんよ! って本当に知らないんですか?」

そんなどこか他人事のような顔をしている霊夢に早苗が声を荒げたが、それでも霊夢に漂う白けた空気に気がついたらしい。肩透かしを喰らったように、
あるいは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、霊夢の呆れ顔を覗き込んだ。

「アンタもちょっとは落ち着くということを学んだみたいねぇ」

早苗から一触即発の空気が消えると、霊夢が息を吐いた。

「とりあえず話を聞きましょう。今お茶を入れるわ」

「社が壊された? どうせ誰かの悪戯でしょう」

「一つだけなら、あるいは人里だけなら、単純な悪戯で決着がつくんですけれど」

二人並んで縁側に座り、真剣に困り果てたといわんばかりに顔を曇らせ早苗が話し、茶飲み話のついでといった雰囲気で霊夢が聞く。

「他にも社があるっていうの?」

そこでようやく霊夢の口調に驚きが混じった。「そこにツッコむのかよ」という内心をあらわして早苗の一瞬眉根が曇ったが、直ぐに頷いた。

「ええ、全部で六ヶ所あります」

あっさりと返ってきた早苗の答えに、霊夢はしばし言葉を失った。まるで異国の言葉を聞いたようにキョトンとした顔をすると、ようやくその言葉の
意味が脳細胞の一つ一つへと染み渡り始めたらしい。ゆっくりと今日の日差しのような暖かな笑みを浮べ、良く晴れた真青な空を見上げ、茶を一口啜り、
それから何かに酷く疲れたような重い溜息を吐いた。

「何て言うか、真面目に信仰集めてんのねぇ」

「当たり前です。というよりも、貴女が信仰を集めなさ過ぎなんです」

早苗にしてみれば至極当たり前の布教活動にそこまで重々しいリアクションを返さなくとも良いだろうと、言葉に少し辛味を加えるが、霊夢は相変わ
らずのポーカーフェイスで湯呑の中の緑の水面に視線を落としている。

「そういうもんかしらねぇで、何処に社があって、何処の社が壊されたのかしら?」

ユラユラと手の中で湯呑を揺らして弄んでいる霊夢に、早苗はムッとしたように少し頬を膨らませたが、もったいぶった空咳をすると、再び話し始めた。

「六ヶ所というのは、紅魔館、白玉楼、永遠亭、妖怪の山の滝のそば、人里、そしてつい最近地霊殿に置かせてもらったもので計六ヶ所です」

それを聞いて霊夢がクスクスと笑う。

「神様を拝む吸血鬼や亡霊怨霊なんて聞いたことないわ」

拗ねたように早苗がソッポを向いた。

「何事も挑戦ですよ、挑戦」

「その前向きさは評価してもいいのかしらねで、そのうち何処が壊されていたの?」

臍を曲げる早苗の横顔を見て未だクスクスと笑う霊夢であったが、あまり真面目な相手を苛めるのも悪いと思ったらしい、笑うのを止めて話の続きを
促した。ただそれでも早苗の様子が可笑しいのは変わらないらしく、頬は緩んだままである。

「まず最初に壊されたのが人里の社です」

霊夢が何はともあれとりあえず話を聞く気にはなったのだと判断したらしく、早苗が話し始めた。話しながら指を立て壊された分社の数を数える。
まずは親指。

「次に壊されたのが永遠亭、といいますか迷いの竹林の社」

次に人差し指を立てた。

「そして三番目が妖怪の山、滝のそばに祭られていた社です。これは今日壊されているのが見つかりました。」

最後に中指。計三本。三箇所の分社が壊されたことを示した。分社は六ヶ所。つまり守矢神社の半分は誰とも知れない賊の手により破壊されたことにな
る。しかし問題は分社が破壊されたという物理的被害よりも、守矢の神社に対して何者かがその神徳を貶めようとしているのではないかということであ
る。それが何時もは比較的穏やかな性格の早苗が、ここまで真剣に怒りをたぎらせている原因なのだろうと、そう霊夢は想像した。だからこそ、岡目八
目を決め込めるからこそ、霊夢は冷静に状況を分析できる立場にある。ただし、霊夢が早苗の立場にあったとしても、今と同じく実に他人事のように冷
静でいられるであろうことは想像に難くない。

「単純に考えて、壊しやすい所から壊してるって感じがするわね」

とそんなことを考えながら霊夢は感想を述べる。早苗もそれに頷く。

「そうですね。まずは人里。これはタイミングさえ見計らえば誰でもできるでしょう。分社のあった場所は里から少し外れた場所で、昼間ですらあまり
人通りがありません。その気になれば辺りが暗くなるのを待たずに犯行を行えたでしょう。 次に迷いの竹林。ここも竹林で迷わず、妖怪を恐れなけれ
ば簡単でしょう。それこそ先の条件さえ満たしてしまえば、ほとんど人の来ない場所です。人里よりも簡単だったでしょうね。それにあそこの妖怪や永
遠亭の方たちは、大して信心深くもありませんでしたから。そして次に困難なのが妖怪の山。ここは先の二つよりも幾分難しいでしょう。常時天狗たち
が警戒線を張っていますし、本社とも近いので、変事があれば直ぐに私が駆けつけられますから」

「だけど壊されたと?」

霊夢が直ぐにツッコンだ。蛙が潰されたような呻き声をあげ、早苗が言葉に詰まる。うろたえたように視線を彷徨わせ、しどろもどろと必死に言葉を紡ぐ。

「うっ確かにそうですが、裏を返せばそれだけの危険を冒しても、分社を壊さなければならなかったと考えられます。それに幾ら警戒が厳しいといって
も、常時誰かが社に居るわけではなく基本的に無人ですから。それに天狗たちにしても山への侵入は警戒していても、無人の社への参拝者まで警戒して
いるのかというと疑問です」

慌てているとはいえ、それなりに筋の通った推理を述べる早苗に、霊夢は湯呑を置いて腕を組んだ。今の早苗の推理は霊夢も考えていたことである。
だからこそ霊夢には聞きたいことがあった。自分の考えを整理しながら、自分の考えを口にする。

「成程ね。何処の物好きか知らないけれど、矢張り確実に壊せる所から壊していってるってわけね。確かに冥界の白玉楼や、門番が立ってる紅魔館、地
の底の地霊殿なんて面倒臭そうだもの。しかし分社が壊されたってのに、当の神様たちは何にもしてないのかしら? 犯人だってすぐにわかりそうなも
のだけれど?」

 その問いには至極尤もなものである。そして霊夢の疑惑は早苗も感じていたらしい。霊夢に倣って腕を組み、早苗が首を傾げた。

「はあ。それが八坂様も洩矢様もこの件は乗り気じゃないんです。犯人に心当たりがあるのか、それとも自分たちが蔑ろにされたとお感じになられて、
気落ちしてらっしゃるのか、私にも皆目検討がつかないんです」

 早苗の心配は不埒者の悪行だけにあるのではないらしい。しょげている早苗を元気づけるように、霊夢がその肩をポンポンと叩いた。

「ふぅん。けれどあの二人に限ってそんなことくらいで気落ちするとは到底思えないけれどと、いうわけで、アンタは何かしらないかしら? そんな所
にいないでこっちにいらっしゃいな。今、お茶を入れてあげるから」

 そして言葉の前半を早苗に、後半を自分たちの頭上に向かって投げかけた。

「えっ?」

 自分と霊夢の他に誰かがいるとはついぞ予想もしていなかった早苗が、驚いて霊夢の視線の先を追った。そこには早苗の見知らぬ女性の姿があった。
ヒラヒラと微風に棚引く羽衣をまとったその人物は、自分を見上げる四つの瞳にさしたる感想をもたないポーカーフェイスを浮べていた。

「先に弁解させていただきますと、けして盗み聞きしようとしていたわけではないのです。ただ真剣に話すお二人の邪魔をするまいと配慮した結果、こ
のように一見して立ち聞きをしていたような状況になってしまいましてあっ、この場合は立ち聞きというよりも、飛び聞きと言った方がよいのでしょうか?」

 平坦な口調でスラスラと言い募り、最後には本筋と全く関係のないことまで言い始めた相手に、霊夢は深々と溜息をついた。

「んなこたぁ分かってるわよ。それに盗むったってうちから盗めるもんなんて何にもありゃしないんだから」

「せめて見栄でも賽銭くらいは盗まれると言いましょうよ。それより霊夢さん、こちらの方は」

 悲しげにそう言った早苗が無言でジッと自分たちを見下ろしている相手を見ながら、霊夢に尋ねた。早苗の言葉に霊夢は肩をすくめ、それから二人を
交互に見た。

「見栄張ったってしょうがないじゃない。あっ、あんたら初対面だっけ? ええと、あっちに浮んでるのが永江衣玖。妖怪で、天災とかを知らせるのが
仕事。で、衣玖。こいつは人間で東風谷早苗。山の上の神社の巫女よ。で、竜宮の使いは今日はどういった用件かしら?」

 早苗への返答と頭上の妖怪――永江衣玖――への質問の合間に簡単に二人の紹介を差し挟みながら、霊夢が言った。

「いえ、どうやら温泉が湧いたとうかがいましたので、もしや何かの異変の前兆ではないかと思いまして、つかりに参りました」

 フヨフヨとゆっくり二人の前に下りてきながら、冗談なのか本気なのか全く読みきれない平坦な口調と、いつぞや地震を告げにまわっていた時と全く同
じポーカーフェイスで、衣玖が答えた。

 霊夢が眉根を寄せ、こめかみを押さえた。

「つまりは暇だからフラフラしていると?」

 その答えに衣玖がほんの少し、分かるか分からないかほど眉間に皺を寄せた。

「まさか。私をただフラフラしているだけの妖怪とお思いですか?」

「ええ、割と」

 如何にも心外だといわんばかりの衣玖の発言に、霊夢は嘘偽りなく素直な気持ちで即答した。しかしそんな程度の反撃では、衣玖のポーカーフェイス
に僅かとも傷をつけることなどできない。

「まさかまた総領娘様の仕業でしょうか?」

 今までの話の流れをぶった切るように、あるいはこの場の空気を読んだ結果なのか、衣玖が強引に話を本筋に引き戻した。そんな話題転換にも馴れて
いるのか、あるいはそんなことなどどうでもいいのか霊夢は頷いた。話の展開についていけない早苗など置き去りである。

「そうね。あのはた迷惑な天人の仕業かどうか、アンタは調べる必要がありそうね。丁度良かったじゃない早苗。衣玖が貴女の調査、手伝ってくれるって」

「えっ!? へっ!?」

 何がどう繋がっているのか分からない話の流れに翻弄され、衣玖と霊夢の顔を交互に見ながら、早苗が素っ頓狂な声を上げる。そんな当事者のことな
ど何処吹く風と、勝手に協力することになった本人は意外と乗り気らしく、素直にコクリと頷いた。

「いいでしょう。総領娘様の犯行の可能性がある以上、私が面倒事をおうのが筋ではあります。及ばずながらお手伝いさせていただきますよ」

 そう言って早苗に片手を差し出した。早苗はその滑らかな手と、自分を見つめるポーカーフェイスをかわるがわる見つめ、それでも無表情の下の真摯
な態度を信じ、その手を強く握った。

「それでは、改めてよろしくお願いします。永江衣玖と申します」

 握られた手の強さに、衣玖の表情が優しく綻んだ。

「こちらこそ。東風谷早苗と申します」

 その笑みに答えるように、早苗もはにかみながら笑み返した。

「ま、私が手を出すことじゃないわね」

 霊夢はそう言って、茶を一口啜るのだった。

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