カードマスター慧音

「賞金ですか? さて、そういえばお金については全く考えていなかったですね。……そうですねぇ、……古くなった座布団を買い換えたり、
障子を張り替えたり、寺小屋の修繕費に回すかなぁ」と慧音選手は照れ臭そうに笑って答えた。

 てのひらが汗ばんでいる。慧音はスカートの裾にこすりつけて汗を拭った。

 もう少し、もう少しだ、あと一勝、あと一勝だと、頭蓋のうちでもう一人の慧音が急き立てる。

 緊張で自分のものではないように小刻みに震える腕を、爪を立て強く握りしめた。

 慧音は一歩を踏み出した。最後の戦いのテーブルに向かって。戦友が待つ決勝卓に向かって。

 幻想郷最強のカードマスターの名を勝ち取るために。

「こら! そんなんで遊んでないで、ちゃんと人の話を聞け!」

 慧音の声が狭い寺小屋を跳ね回る。襖を外して二間をぶち抜いたそこには、長机が二つずつ二列に並び郷の子供たちが一つの机に二人ずつ座っている。
その前から数えて4列目、丁度襖を取り払った辺り、庭に面した側に座っている二人の子供の前に慧音は立っていた。腰に両手をあて、「怒っている」とい
うことを明確にアピールして。彼女の前で項垂れる二人の少年の前には、教科書を立てて慧音の目につかないようにして何かのカードが広げられていた。ど
ちらが裏でどちらが表かは分からなかったが、片面は茶色の地に黒く楕円が描かれ、もう片面には美麗な女神が、醜悪な妖魔が、屈強な戦士が描かれたイラ
ストと、文章が数行に渡って書かれていた。

「……全く。こんなカードで遊んでばっかりで。ちょっとは勉強をしなさい」

 慧音がその内の一枚を取り上げる。それには分厚い黒雲を断ち割る戦装束の天使のイラストが描かれていた。不思議そうな顔でカードをヒラヒラと振
る慧音に、遊んでいたことを見咎められた少年の一人が恨みがましげな目で見上げた。

「そんなこと言うけどさ、先生。これ結構難しいんだぜ。勉強が得意だって言っても、先生だって中々憶えられないよ」

 そう言って坊主頭の小童が、自分よりも何倍もの年月を生きているであろう慧音に向かって、さも馬鹿にしたように肩をすくめた。その仕草に慧音の
こめかみが引きつったが、体の中で高まった圧力を逃がすように、長い溜息をついた。

「……成程、そうやって先生を巻き込もうとしたって駄目だぞ。さっ、ここにいるちょっとの間くらいは勉強に集中する」

 そうして二人の悪童の頭を軽く小突いた。

「……というようなことがありまして……」

 時と場所は変わり、授業が終わってからの稗田邸でのこと。

 うららかな陽射しの差し込む座敷には、三人の人物(?)が座り、穏やかな午後の一時を満喫している。

「はぁ、それは大変ですねぇ。しかしそれだと、もう少ししたらもっと大変になると思いますよ?」

 一人は上座に座って暖かな日の光を全身に受け、今にも蕩けてしまいそうなゆるい表情をしている少女。この屋敷の主である、稗田阿求である。

「どういうことです?」

 阿求の穏やかではない発言に柳眉をひそめたのは慧音。湯呑を持つ指が少しばかり筋張った。

「これだよ、慧音」

 慧音にチラシを渡したのは、藤原妹紅。どうやら阿求に珍しく用事があったらしく、慧音が来た時には既に座敷で胡坐をかいていた。

「……何だこれ?」

 険しい顔を崩さず、慧音は受け取ったチラシに目を通した。そしてその表情をそのまま言葉にしたような、不可解を煮詰めた声で尋ねた。慧音のそば
まですり寄って来た阿求が慧音の手からチラシを抜き取ると、文面に目を通すことなく、チラシの意味する所を説明する。

「このカードゲームを作ってるところがですね、賞金かけて大会を開くって言う、そのお知らせです。……懐かしいなぁ……ふふっ、前世の記憶が疼く
なぁ」

「……懐かしいって、阿求殿、このゲームやったことあるんですか? それにその話、一体何時の話です?」

 遥か遠く前世の記憶を眺めているかのような目をする阿求に、慧音が驚き半分呆れ半分に尋ねたが、そんな質問に答える気などないのか、それとも過
去に浸りきって聞こえていないのか、阿求は不気味に指を蜘蛛の足のようにワキワキと動かしている。

「……一体何時からあるんだ、これ……」

 一色刷りのチラシの片隅に描かれた件のカードのイラストを眺めながら、呆れて慧音が唸った。

「どの時代にも時々出てくるんですよ、この手のカードゲームは。大体企画は、妖怪の賢者が言い出すんです。で、カードの作成は香霖堂さん辺りが中
心になってやってますね。郷の方々も絵を描いたりされてますよ」

「ということは……」

「今回の主催者は、八雲紫だ」

 阿求が説明し、慧音が先を促すと、妹紅が後を継いだ。三人を代表するように慧音の溜息が聞こえた。

「……で、大変になるってのはどういうことなんだ?」

「どういうこともこういうことも、皆この大会に向けて、練習ばっかりするだろうってことですよ」

「練習? たかがカードゲームだろう?」

腕を組む仕草で「何をそんな必死になることがあるんだ?」と問う慧音に、阿求からチラシを受け取って妹紅がある箇所を指さした。

「たかがカードゲームじゃないんだ。見たか、賞金の額」

 妹紅の指の先を捉えた慧音の瞳の瞳孔が開いた。それから自分が見間違えたのではないかと、目を擦ってもう一度白い指の先を見てから、信じられな
いと妹紅と阿求の顔を代わる代わる見た。

「……本当か? 何でこんな額が動くんだ。たかだかゲームだろう?」

 驚く慧音に阿求が自嘲気味な笑みを浮かべる。それは同病相哀れむような自嘲の笑みである。ただ阿求が誰と同じ病なのか、慧音には分からなかった。

「それだけ儲けてるってことですよ。子供から大人まで夢中のゲームですからね。ですからこれだけ利益を還元してもまだ儲けが残るんですよ。
ね? 猫も杓子もこの大会に全てをかけるのも頷けるでしょう?」

 その問に答える声はなかった。答えるべき相手は、正座したまま前のめりに畳に突っ伏して、自らの悲嘆に沈み込んでいたからである。

「……そ、そんなぁ……只でさえ授業は全然進んでないって言うのにぃ……」

 瞳に溜めた涙を零さないように、喉に声を詰まらせながら慧音は心の中で号泣していた。

「まぁ、幻想郷じゃ、そんなものですよ」

 慧音の嘆きなど知らぬげに、阿求があっさりと言った。

一人愁嘆にくれる慧音をよそに、のほほんと茶を啜る妹紅と阿求。そんな時、縁側の向こう、垣根の向こう側から甲高い声が飛んできた。

「阿求〜、もこ〜、来たよ〜!」

「ああ、いらっしゃい」

「……応」

 垣根の向こう側で左右に揺れる小さな掌に、阿求と妹紅が答えた。勝手口にまわるのももどかしいとばかりに、ガサガサと無理矢理垣根の隙間を潜り
抜け姿を現した子供たちに、慧音が怪訝な顔を向ける。

「……お前たち」

「先生〜。何、先生も練習に来たの〜」

 頭や肩についた木の葉を払っているのは、今日寺小屋で授業中にカードを広げて慧音に叱られていた二人の少年だった。お互いこんな所で鉢合わせす
るとは思いもしていなかったらしく、開いた口を閉じることも忘れてお互い見合っている。

 先に我に帰ったのは、慧音である。二人が手にしているカードの束に気がつくとそれが鍵になり、慧音が感じていた違和感の全てがピッタリとあるべき形をなした。

「練習? ……ま、まさか」

 手元のチラシに視線を落とし、恐る恐ると慧音が座敷の中を振り向いた。そこには変わらず、よく知る友人二人が茶を啜っている。

「だから言ったじゃないですか。大変だって」

 そう言って微笑むと、阿求は「スチャッ」と小気味良い音を立て、懐から少年たちと同じカードの束を取り出した。

「珍しく阿求殿の家にいるなと思ってたんだ。妹紅、お前も……」

 すがりつくようにさし伸ばした慧音の手は、妹紅まで届かなかった。

「……これで結構プレイ暦は長い」

 申し訳なさげに首を振ると、妹紅は胸ポケットからカードを取り出した。

 慧音の手は力なく、畳の上に落ちた。

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