へう幻もの

キィーン、ヒィーン、ヒョーゥ。

森からは、トラツグミの泣き声が響き、何処か物悲しげで不安げな夕刻。

「グァッ、グァッ、ギッ、ギェ〜〜ッ」

 夕陽の差し込む香霖堂。いつも通り雑多に拾い集められた商品が、所狭しと置かれており、埃っぽくあるが、赤く照らされたせいかじめっとした空気が感じられない。そんな店内に、とある奇怪な影が夕日によって投げ込まれていたが、霖之助は見て見ぬ振りをする。

「カッ、カカッ、グェッ、グェ〜〜ッ」

 香霖堂は魔法の森の外れにあるので、昼間出かけていた森に住む鳥達が帰巣していくのを毎日見ることとなる。

トラツグミの鳴き声をかき消すその騒がしさは、書物で知るところの帰宅ラッシュというものに近いはずだ。

「ぎょえ〜〜っ、ぐえ〜〜っ、くぁ〜〜っ、なべ〜〜っ!」

「いや、その鳴き声はおかしい」

 先ほどから店の扉の外で一人ブレーメンの音楽隊ごっこをしていた魔理沙に、霖之助はついつい突っ込んでしまっていた。

「いよう、香霖。飯食ったか?」

 にししと笑う魔理沙はその手に朱鷺を持っていた。さっきから店の扉に魔理沙とともに変なシルエットを映し込んでいたのはこの鳥だ。外の世界では絶滅が危惧されているが、幻想郷ではありふれた鳥に過ぎない。ゆえにしばしば食卓に上ることもある。

「晩酌は未だだよ。それよりまた勝手にうちに集合か?」

 無駄だとは分かっているものの、霖之助は魔理沙に釘を刺す。今日と同じ様に突然朱鷺を持って現れた、いつぞやの焼き増しのような状況だからだ。

 尤も、どれ程似通っていると言っても、全く同じ日というのは有り得ないし、おおよその出来事を言葉にすれば同じ様になるというだけなのだが。

 例えタイムスリップしたとしても、完全に同じ日を過ごすことは出来ないことを霖之助は分かっている。どんなにその日の行動をなぞっても、二週目という事実は誰が観測していなくとも存在し、誰も観測していない事実は被観測という誕生を手ぐすね引いて待ち構えているのだ。

 きっと、被観測のタイミングを逃して、誰の目も届かない闇の中に埋もれてしまった誕生を待つ事実は、今も闇の中から出番を窺っているのだ。

 それらが誕生の後に脅威となるかも知れないが、その代わりに実に好いものになってくれる可能性もある。

 多くの者たちの目は、好いものになってくれる可能性に釘付けだ。

「――闇の中にこそ、価値在るものが在るのかも知れないな」

「良いこと言ったぜ、香霖」

 糠に釘を打ち付けることを早々に諦めて思索に耽っていた霖之助だったが、ぼそりと呟いた言葉は見事に魔理沙に拾われてしまった。キャッチボールはしないが、置いてあるものを勝手に拾うのは得意な少女だ。

「そう、闇の中にこそ価値のあるもの、美味い物がある」

 更に拾った物を勝手に自分の物にしたり、好きに改造してしまう少女でもある。

「という訳で、鍋にしようぜ香霖。もうじきに霊夢の奴も来るからな」

 ますますいつぞやの焼き増しだ。

「それでまた味噌の色で争うのか?」

 以前は、赤味噌にするか白味噌にするかで魔理沙と霊夢が争った。確か、魔理沙は白味噌、霊夢は赤味噌と言って互いに譲らず、弾幕ごっこで勝負をつけていた。勝負の間、先に朱鷺を捌いておいてくれてと頼まれた霖之助は、結果を見越して赤味噌で鍋の準備をしておいたのだが。

「はは、私たちも日々成長しているんだぜ香霖? 今更そんなつまらない争いなんてするわけ無いだろ」

 どんと胸を叩いた拍子に、もう片方の手に掴んでいた朱鷺の首が締まったのか、追従するかのようにギエェと鳴いている。すると、それが合図だったかのようなタイミングで店の扉までもがギエェ、ヒョーゥと鳴いて開いた。

「こんばんは、霖之助さん」

 言葉と共に滑り込んできたのは霊夢。おまけにだが風の音の様なトラツグミの鳴き声も付いている。

ただし、霊夢は風呂敷包みを背負っており、結構な量の荷物を持っているようだ。この店にガラクタを持ち込むのは決まって魔理沙の方なのだが、どういうわけか今日は役割が逆転している。

「ちょっと、魔理沙。あんた自分の食材店の前に置きっ放しじゃないの。さっさと持ってこないと、誰かに持っていかれても知らないわよ」

 役割が逆転と思いきや、そうでもなかったようだ。どうやら二人ともに何か持って来たようで、それは店に並ぶガラクタの類では無いらしい。

「食材? 朱鷺以外にも持ってきたのか?」

「ええ、そうよ。色々持って来たんだから。って、ほら。魔理沙は朱鷺で遊んでないで、早く食材回収してきなさいよ」

 霊夢に急かされ、魔理沙は持っていた朱鷺を売り物の籠に閉じ込めると店を出て、またすぐに大きな風呂敷包みを両手に抱えて戻って来た。

「ほらよ、霊夢。食材は無事だ。しかし、別に私も横着やずぼらで店の前に置き去りにしていたわけじゃないんだぜ。丁度、店の前で朱鷺を縛ってた紐が切れちまってだな。朱鷺を捕まえたままじゃコイツを運べなかったんだ」

 ぽんぽんと、魔理沙が叩く風呂敷包みは、確かに両手を使わなければ持てそうにない。ここに来るには、箒にでも引っ掛けてぶら下げてきたのだろうと思われ、重量バランスの悪い状態で危険飛行する様が目に浮かんだ。

 案外、一度くらいは荷物を落っことしているかも知れない。

「そう都合よく紐が切れる訳ないでしょ」

「朱鷺に逃げられかけて、むしろ都合が悪かったんだが……所で香霖。表の、白髪の白髭で眼鏡で白スーツの人形はなんだ? あれを見て朱鷺が暴れだしたんだが」

「人形? ああ、カーネルのことだね。あれは外の世界の式神を制御するための重要な役割を担うらしいからとってあるんだ」

 霖之助はそれがどのように作用するかは分からないものの、外の世界の式神、すなわちパソコンを制御するOSにとってカーネルなるものが重要であることを突き止めていた。

 もちろんカーネル違いである。

「外国の安倍清明的な何かか。まあ店に入ったら静かになったからいいか」

 籠に入れた朱鷺を眺めつつ、魔理沙はひとりごちた。

「そいつ絶対状況分かってないわね」

「鳥頭だからなあ」

 ひょっとすると妖精よりも頭が悪いかもしれない。

「朱鷺は、親鳥がきちんと世話をしないと、警戒心が足りない鳥に育つらしいよ」

「ネグレクト問題は鳥類の世界にも及んでたんだな」

「きちんと周りとコミュニケーションを取らないと駄目な大人になるってことよね。妖怪だって同じよ。いくら歳をとっても、ちゃんと人の話を聞いて、話をすっ飛ばさない、コミュニケーション能力がないなら駄目な大人だわ」

「まあ、妖怪は基本的に頑丈だから、わざわざ手間をかけて育てなくても勝手に育つんだ。だからこそ妖怪は大体ネグレクトなんだが……」

「妖怪なんて、そもそもが人格に問題のある奴らばっかりなんだから、卵が先か鶏が先かって感じよね」

「だいたい親から生まれる妖怪ばっかりじゃないぜ。あいつら木の股からでも生まれてくるからな」

 幻想郷でも指折りの個体数を誇る妖精などがそうだ。妖怪だけではなく神であっても親から産まれない者は多い。

 しかしながら、幻想郷には神や妖怪以外にも人間という曲者がいる。その代表格ともいえる二人が何をいわんやだ。霖之助は正直に動こうとする表情筋を意志の力で押さえつけて、話の転換を図ることにする。

「それで、そのネグレクト鳥を引っさげて何の用なんだい?」

 霖之助がそう言った途端、魔理沙がその小さな額を叩いてみせた。

「かーっ、とうとう呆けたかネグレクト香霖よ? 一週間前に私は言ったはずだぜ。今やっている研究が終わったら打ち上げをやるってな」

 はて? と、首を捻って記憶の頁を漁ってみれば、自信あり気に断言された以上、そんな話をした気がしなくもなかった。

「そうか、研究とやらが終わったのか。おめでとう、魔理沙」

 一体何の研究をしていたのかは知らないが、霖之助は祝辞を述べた。のだが、霊夢は白い目でジトッと二人を見ていた。

「魔理沙、あんた適当なこと言うんじゃないの。一週間前って言ったら私も居たけどそんな事言ってなかったでしょ。嘘よ、嘘。霖之助さんも信じないでよ」

 霊夢が言うにはそんな約束をしていなかったようで、適当に返事をしてしまった霖之助への非難も含んだ眼差しだった。

「そもそも魔理沙。研究だって終わってないじゃないの」

「何だって? それじゃ打ち上げじゃないじゃないか」

 霊夢の暴露を信じるならば、魔理沙の言葉は両方とも出鱈目だということになる。流石にそれはあんまりだ。

 二対の非難の視線を向けられた魔理沙は、それでも悪びれずにへらりと笑う。

「終わらせるための打ち上げだぜ。実は研究が行き詰っててな、この一週間ろくに寝てないんだ。私が思うに打ち上げ=研究達成だから、打ち上げを先にすることで研究達成を呼び寄せるぜ。卵が先か鶏が先かは分からんが、用意できる方を先にやれば結果もついてくるだろ。ははは」

 笑い声を上げる魔理沙は、よく見ると目の下に隈があり、笑い声も何処か虚ろだった。

「とりあえず魔理沙の言い分は分かったが、それで君も乗ったのか?」

「私は理由なんてどうでもいいもの。それに魔理沙が材料を調達しちゃったのよ。勿体ないじゃない」

 そういって風呂敷をバシバシ叩く霊夢は、不可抗力と言いつつも気が進まない様子ではなかった。

「もしかして、それ全部食材なのかい?」

「そうだけど?」

「……いくらなんでも多すぎだろう」

 霊夢の風呂敷も、魔理沙の風呂敷も、どちらも一抱えはあり、その量はとてもではないが三人前ではない。葉野菜などが多ければ調理過程で意外とボリュームが小さくなるものだが、それにしても一食で食べきれる量には見えなかった。

「文句は魔理沙に言ってよ。森に居た九十九神の群れをとっちめて食材を一品ずつ集めさせたんですって。考えなしのおかげでこんな量になっちゃって、もう。なんで九十九品も要るのよ、十品くらいのが料理も楽なのに」

 頬を膨らませる霊夢に対し、半笑いの魔理沙が答える。

「ははは、何を言ってるんだ霊夢。さっきも言ったはずだぜ。こいつは研究の為なんだ。つまりだな、これは神の力を調べるためのものだぜ。サンプルは多いほうが良いし、九十九神が集めた九十九品とか意味ありげで良いだろ?」

 神の力。魔理沙は神の力を調べるのだと言った。

神の力と一口に言っても実に様々なものがある。旧地獄にいる地獄烏が得た強大で恒久的な炎熱の力も神の力であり、酒肴にも白米の供にもぴったりな漬物を作るのも神の力なのである。

 この国では八百万の神というほどに、あらゆるものに神を見出している。ならば、料理という食材の劇的変化、美味しくなったり食べても腹を壊さなくなったりすることには神が関わっているのだろう。

「神の力……か。まあ新発見のためなら協力も吝かではないけどね」

 知識を溜め込むことに執心の霖之助は、チャリーンと音がしかねないほどの現金さで協力の意を表明した。

「ふむ。では、この際朱鷺もあることだし、闇鍋というのはどうだい? 大量の食材に、逐次投入出来る鍋は丁度良いし。品数も多いから闇鍋ならぴったりじゃないか」

 確かに、調理しながら食べる鍋は、余るかもしれない大量の食材に向いている。そして食材の種類が非常に多く、各種一品ずつというのもくじ引きのような闇鍋に向いているだろう。

「それに、朱鷺は昔から闇鍋で食べるものでもあってね。煮ると煮汁が赤くなってしまうだろう? それを気味悪がった人間が、部屋を暗くして赤い煮汁も気にならなくしてから頂いたというわけだ。朱鷺自体は手に入れやすくて、味も栄養も申し分ないからね」

 霖之助の解説に、魔理沙も霊夢も言われてみれば成程と思う。二人とも朱鷺を入れた鍋が赤いのはまあ当然だと思っていたし、むしろ、あの赤みが食欲をそそるものだという認識すらあった。

 しかし、それぞれ思い返してみれば、そのように赤い鍋が美味しそうと言っていたのは妖怪たちであったように思われた。むしろ、朱鷺には赤味噌という定番を生み出したのは、朱鷺の煮汁の赤を赤味噌の赤で誤魔化そうとした人間の知恵であったのやも知れない。

「闇鍋じゃあ白味噌でも赤味噌でも分からんな」

「良いじゃない、味が分かれば。花より団子で、色より味でしょ」

「んー、まあいいか。食い物に働く神の力ってのは、明るい場所のイメージもないしな」

 発酵という幻想郷においては神の御業は、おおむね屋内で行われ、密閉容器などの遮光された中で進行する、見てはならない神事とも言える。

 鶴の機織、うぐいすの屋敷の最後の間、玉手箱、大きなつづら。

 開けてはならぬ、見てはならぬ。それらならぬ≠ノは超常の力が、霊力が宿っている。否、力を留める力なのである。

「天照大御神の威光が強すぎるのよ。上司がいちゃあ、仕事もしにくいってもんでしょう。あの紫だって、日の光はお肌の大敵だとか言って避けてるくらいだもの」

 それは日の光に含まれる紫外線である。まあ紫の範囲外という点ではそうなのかも知れないが。

「洋の東西を問わずに、酒も日の光が苦手だね。劣化が早くなる。やはり酒は夜と低温に属するものなんだ。まあ、陸で魚を焼くように、朝から熱燗というのも悪いことじゃない。醸造という仕事と宴会という行楽は別物で、上司のいない宴会は気楽だが、上司と部下の交流がないと下克上の温床になってしまう」

「日の光を浴びないといえば、お店に引き篭もりの誰かさんもね。吸血鬼じゃあるまいし。もしかして、直射日光以外ならレミリアの方が浴びてるんじゃないの?」

 またぞろ妙な理屈を捏ね始めた霖之助を、霊夢が牽制する。

「はいはい。それじゃ、いい加減に鍋の準備を始めましょうよ。風呂敷の中じゃいつまで経っても食べごろにならないわ」

 むしろ腐る。

「とりあえず鍋が必要だな。たしか寺の鐘を鋳潰して作った大鍋が……」

 店の片隅にあった大鍋を引っ張り出すものの、その鍋は大きく、霖之助の足取りはよたよたとおぼつかない。

「一応売り物ではあるから丁重に扱ってくれよ。と言っても、壊すほうが難しいか」

「随分でかい鍋だな。五右衛門だって入りそうだぜ」

「そんなもの入れたら私食べないからね」

 魔理沙がそう言ったものの、流石に五右衛門風呂というほどの大きさではない。しかし、飯屋で仕込みに使いそうな程度の大きさではあった。

「いくら九十九神に集めさせたといっても流石にそれはないさ」

 霊夢は変なものが入っていないかと気にしている様子だったが、九十九神だって、流石に食べ物とそうでないものの区別はつくものだ。

「だって、四百年以上も前の肉なんて古くなっていて食べられるわけないじゃないか」

「……それは確かにそうだけれど」

 古い古くない以前に、妖怪ではあるまいし人間など食べたくはない。半妖であり価値観的にも人間一辺倒ではない霖之助の言葉は、人間の少女ではなく妖怪に向けられる出来ではないだろうか。というよりもむしろ、妖怪と一緒くたに扱われたような気がして霊夢は言葉に詰まる。下手に突っ込んで、ある意味妖怪並みなどと肯定されてしまってはたまらない。

「ははは、違いないな。幽々子だって腹を壊すだろうよ」

 テンションがおかしなことになっている魔理沙は構わずに笑う。

「でもいくら幽々子だって料理してから喰うだろうぜ。だからさっさと料理だ。霊夢はこの朱鷺を捌いておいてくれ。私は他の食材の容易を整えておくから」

 魔理沙が出した指示に、霊夢はハイハイと生返事で返しつつもきちんと朱鷺を受け取って台所に向かっていく。

「僕も何か少し手伝おうかい?」

 場所の提供をしているという意識から、大して手伝う気もない霖之助だったが、待ってましたとばかりに魔理沙は笑みを浮かべた。

 早まったかと思い、はてどんな面倒な仕事を割り振るつもりなのか、さてどんな言い訳で断って逃げようかと考えていると。

「ああ、香霖はその有難くて小汚い鍋を洗ってきてくれ。いくらなんでも埃被ってたものをそのまま使う気にゃなれんしな」

 鉄で出来た鍋は重い。

「一応売り物らしいからな、私たちが迂闊に扱って壊したりしたら申し訳ない」

 上手い言い訳を思いつけず、霖之助は苦労して鍋を洗う羽目になったのだった。

続きは本編で

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