命蓮寺ダーティーズの大海戦

 妖怪を保護する命蓮寺。
妖怪を保護するとは即ち、その権利を保護するという事である。それは生存権であったり、言論の自由であったり、移動の自由であったり、不当な拘束や弾圧といった人間に劣る扱いを受けないという、基本的人権の妖怪版とでも言うべきものだった。
そして、それらは妖怪と人間のみならず、妖怪同士においても適用される思想であった。
妖怪が被害を被る、あらゆる問題の解決。
しかしながら、野生を失っては妖怪は妖怪たり得まい。徒な保護は妖怪を脆弱にし、己で生きる力を奪い、遂には衆愚へと変えてしまうだろう。
ならば、一歩引いて保護ではなく監督する事が必要であると、命蓮寺の聖は結論付けた。
守りもするが、導く事が必要だと。
その思想の下に命蓮寺メンバーを使い、とある組織が設立された。

 

 

 

Myorenji
Monsterright
Management
Association
ヨウカイノ モメゴトヲ カイケツ イタシマス

 

 

命蓮寺妖怪権利監督協会。
いわゆるMMMA(スリーエムエー)である。


「ああもうっ、たまの休みだと思ったらまた仕事! 千年分の使命を果たそうなんて、姐さんもガンガン行き過ぎだわ」
そう言って不平不満をぶちまけているのは命蓮寺の尼、雲居一輪という少女であった。
頭巾の隙間からはみ出した前髪を揺らし、一輪は自身が寝転がっている白いソファに何度も拳を叩きつける。
「本当、聖もいくらなんでも張り切りすぎです。これでは休日の予定もろくに立てられない」
疲れたように同意したのは寅丸星。
黄絹にも勝る鮮やかな黄色と、烏の濡羽よりも深い黒で出来た不規則な縞模様の髪。そんなご自慢の髪も、まるでつい先程まで豪風に吹き晒されていたかのような乱れぶりだ。
四方の白い壁に切り取られつつも、天井のない、真っ青な頭上をまぶしげに見上げながら、櫛で手早く髪を整える星。
「え、貴女予定なんてあるの?」
意外そうに聞き返してしまった一輪の顔には、まさかまさか、いやそんな、まさか先を越されるなんて、いやでもまさか、などといささか長めの言葉が書いてあった。
それは驚きと、恐れと、不安と、そして期待だった。
「毘沙門様の揮下の者たちでちょっとした、その、交流会をする話が持ち上がっているのですが……」
「ちょっとナニそれ、合コンじゃないでしょうね!?」
気色ばんだ一輪の言葉を受け、星の目がついと泳いだ。
「……ああ、いや。そういうのではなくて――」
訂正しようとするも、一瞬の仕草を見逃してくれる一輪でもなかった。
「嗚呼! 合コンなのね!? そうなのね! 貴女、抜け駆けするつもりっ?」
一輪の目がぎらりと光ったのは、現在位置が陽光を遮るもののない雲上である故の光の反射のはずだ。
「そんな、抜け駆けだなんて人聞きの悪い……」
両手で以ってどうどう落ち着けと押さえてはみるが、効きはしない。
「だいたい、一輪は美人なんですから言い寄る男性の一人や二人……」
「命蓮寺に男っ気なんてあるわけないじゃないの! 星だって知ってるでしょう? 縁起が良いって言ったって、参拝してくる檀家は年寄りばっかり。そもそも人間の男はすぐに年とって死んじゃうじゃない」
「ええ、まあ……」
星の目が再び雲海を泳ぐ。
「いいオトコが少なすぎるのよ、幻想郷は。星は命蓮寺以外にも伝手があるから良いでしょうけどっ」
拗ねた目を向けられ星は答える。
「そうは言っても、私よりナズーリンの方が……」
「私だって姐さんの方が……」
間近に自分よりも異性に人気のある仲間がいるこの二人。
ビッチというなかれ、尼僧妖怪だって仏道妖怪だって独り身は寂しい。
そんな二人は異性を敬遠するわけもなく、むしろ望むところであったが、悲しいかなお眼鏡に適う相手がいなかった。
そんなとき。大きく溜息をつく二人の足元、真っ白な床からにょきりと、これまた真っ白な棒が伸び上がった。もこもこして柔らかそうなそれは、良く見れば雲であることに気付くだろう。
その棒状の雲の先端が、まるで百合の花のように開いて、先程もチラリと話題に上った人物の声がした。
――ご主人方、今しがた法界に入ったよ。じきに到着するから今回の依頼をきちんと、いいかい? くれぐれもきちんと、理解しておいておくれよ? ――
噛んで含めるように、若干の嫌味も込められたナズーリンの言葉が伝声管から伝わって来た。
それに対して一輪は、伝わるはずもないのにべーっと舌を出して応えた後、白い雲で出来たソファにごろりと横になる。
「雲山、今回の依頼内容を出して頂戴」
一輪がそう呟くと、伝声管と同じように、にょきりと一枚の紙切れを乗せた棒が伸び上がった。星はそれを受け取って軽く黙読。
「依頼は単純。法界の一部にある海、法海――まんまですねコレ――で起きている妖怪たちの縄張り争いを調停、解決して欲しいとのことですが」
「海の妖怪かぁ……ねぇ、依頼者って好い男かしら?」
男ではなく好い男と聞くあたりが、一輪のこの仕事におけるモチベーションを表していると言っていいだろう。
「残念、依頼者は女らしいですよ。蜃の類らしいですが、詳しいことは帰ったら聖にでも聞いてください。細かな依頼内容を決める前に連絡が取れなくなったそうなので」
素っ気無く不穏な事を言う星に、一輪は腹筋で起き上がって聞き返す。
「何よそれ、兎の悪戯じゃないの? 休暇もなしで仕事に来て無駄足なんて嫌よ、私」
「そんなのは私だって嫌です。ですが、現地も相当な混乱状況にあるらしくて。それが原因らしいですね。最悪、もしかしたら既に死亡している可能性もあります」
「ちょっと、それってよく分からないまま行って、私たちだけで状況を調べて何とかしろってことなの?」
「そうとも言えます」
「一から手探り? 重労働過ぎるわ、姐さん」
ここにいない聖への恨み言を思わず呟く一輪。だが、一輪とて労働を厭うているわけではない。ただ、千年ぶりの妖怪保護活動に聖が費やす熱意は、地霊殿の鳥娘の核融合にも匹敵するものであっただけだ。
「まず、ナズーリンは別行動で鼠を使って、法海全体から情報収集してもらいましょう。私たちは依頼主に代わる現地協力者を見つけるのが吉ですね」
「巷の読み物や劇なんかじゃ、最初にもめた相手が現地協力者になるのよね」
星の述べた妥当な案に対し、一輪も冗談で以って同意した。なにせ少しでも現地に詳しい者がいないと、何をしたらいいいか分からない、などという身動きが取れない状態になりかねないのだ。
「ええ。ですが、現地協力者も捕まえられずに立ち往生してしまったら、その間だけでもバカンスでも堪能しますか」
「それは良い考えだわっ! 現地は海だもの。泳いだり日光浴したり出来るわね」
これはナイスアイデアだと二人してはしゃぐ。
実際、もしもにっちもさっちも行かずに、法海で立往生する羽目になったとしたらば、そこは焦らずに心身を休める方がいい。
妖怪である二人はタフウーマンだが、バブル期の日本のサラリーマンほどではないのだ。もしも日本の企業戦士が妖怪であったなら、時計のような働きぶりで二人など足元にも及ばないだろう。
「ふふふ、私たちもここしばらくは働きづめでしたからね。たまには少しくらい骨休めしても罰は当たらないでしょう」
だが、そんな二人の言動が次の事態を招き寄せたのか、都合よく足止めを喰らった未来を想像している二人を、轟音と激しい振動が引き摺り戻す。
「な、何事!?」
「分かりません! ナズーリン、何がありました!?」
ともすれば床へと転げられそうな体を、そうならぬように注力し、星は伝声管を引っ掴んで声を荒げた。
――砲撃だ、ご主人。現地の縄張り争いに巻き込まれたみたいだね。奴ら、対空砲まで用意しているみたいだよ――
伝声管から返って来たのは、軽い舌打ちと面倒ごとへの忌々しさがにじみ出た声。
「……ええ、そう。分かったわ。このまま出るから、雲山は回避を続けて。援護が必要なときには指示するわ」
それと同時に、一輪が真っ白な床と。いや、一輪と星、船橋(ブリッジ)にいるナズーリンまでも乗せた大きな形状を取っている雲山との会話を終えていた。
「聞いての通りです」
「ええ、聞いての通りだわ」
互いに互いの会話を横で聞いていた。だから、いちいち説明は要らない。
一瞬見合ってこくりと頷く。それだけで阿吽の呼吸だ。ツーといったらカーなのだ。
「じゃ、行きましょう」
「そうしましょう」
二人の少女は快活に、僅かに蟲惑的に笑って天井のない上部から船外に飛び出す。
これが、法海の底において後に語られる、雲の船と二人の女の逸話の始まりであった。
その逸話の最初から最後まで目撃する羽目になったとある呑んだくれがいる。彼はいつも酒場でこう語り始めては、語り終わる前に目から塩水を流しながら寝てしまうのだ。
――どっかの馬鹿が、よりにもよって、よりにもよった相手に、よりにもよりまくったあいつらの船に流れ弾をぶち当てやがったでやんす! それさえなけりゃ、こうはならなかったかも知れねえでやんすのに。畜生、誰か知らねえでやんすか? 見つけたら絞め殺してやるでやんすっ! 触らぬ神に祟りなしって言いやすのに、よりにもよって、あの……あのペアにッ!――
真相を知る酒場のマスター。和尚魚という妖怪は、酔いつぶれた彼の前にいつも通りそっと鏡を置いてやるのであった。
彼が目を開けば、彼自身の顔がよく見えるように。

 

『あー、あー、あーッ、本日は晴天なり、本日は晴天なり』
星は手に持った拡声器の調子を確かめていた。たとえ流れ弾を受けて巻き込まれたとしても、即応戦などMMMAのやることではない。
「ああ、面倒くさい。こんな呼びかけ誰も聞きやしないのに、やらなきゃボーナス査定に響くんだもの」
「ぼやいても仕事は減りませんよ。一輪は流れ弾を警戒して置いてください」
即応戦のできない即物的な理由を愚痴る一輪をたしなめ、星は再び拡声器を使う。
――ピー、ガーー、ピー――
『我々はMMMAから派遣された者です。みなさん、直ちに戦闘を中止してください。繰り返します、直ちに戦闘を中止してください』
甲高いノイズの後に続く星の呼びかけにも、目前の妖怪たちは応えようとはしない。
それどころか流れ弾が飛んでくる始末だった。
「完全に紛争状態ですね」
「しかも、見たところ三つ以上の陣営がぶつかり合ってるみたいね。ほら、あの辺とこの辺がぶつかり合ってて、その両方の横っ腹を突いてるのがいて……」
「ああ、これは酷い。もう味方以外は全部撃てといわんばかりの乱戦ぶりで――」
そこで、味方以外である星の言葉を遮るように飛んできた流れ弾が一つ。しかし、雲山が飛んできて難なく拳骨で叩き落とされた。筋肉隆々の雲山には全く応えた様子はない。
「え、何? ふんふん? ――あぁ、成る程――今のが最初に雲山にとぶち当たった弾らしいわ」
雲山から事情を聞いて一輪が先ず行ったのは、星の手からスピーカーをもぎ取って、ノイズもハウリングもお構いなしに叫んだ。
『そこの集団、即刻戦闘を中止して解散しなさーいっ!』
しかしというべきか当然というべきか。スピーカを向けられていた妖怪たちには逆に怒鳴り返すものまでいた。

――やかましい、誰だテメエら!
――横から出てきてふざけたことヌカしてんじゃねえ!

 などという、要約すれば『黙れ』という反応などはまだマシな方で。

――……よく分からんが的が増えたぞ?
――とりあえず味方以外全部倒しとけ!

 といった様に、構わず星と一輪を巻き込んで乱戦を継続しようとする者たちもおり。

――鱗も生えてねえ不細工が上から目線で命令すんな!
――打ち落としてブス専の奴に売っ払ってやらあ!

 二人の琴線に、あるいは赤外線に触れるような言葉が弾幕に等しく投げかけられ、二人の額には見る見るうちに井桁が浮かび上がってくる。
「ぶ、ブスっ!? この美しい寅縞の私が……」
「落ち着きなさいな、星。所詮は美的感覚が違うのよ。鱗とか鰓に女の美しさを見出すような輩の言う事。仏門らしく菩薩様の心の如く、広く深く受け――」

――ちょっと待て。実は俺、前々から鱗も鰓もないのに興味があってだな。
――カカカッ、あんな卵も産めないような哺乳クセェのにかぁ!? ド変態だな、オイ!
――好いじゃねえか、キモカワってやつよ。よく見てみろ、そこはかとなく不細工なりの愛嬌ってモンが……

 とまあ、好き勝手言った挙句に、積極的に二人を打ち落とそうとする者までが混ざっていた。
流石に仏門と謂えども、菩薩の心を見習おうとも受け入れがたいものはある。
『あんたたち神妙にしなさい! 私たちはMMMA(スリーエムエー)から派遣されたエージェント、命蓮寺エンゼルズよ。痛い目見たくなかったら、両手を頭の後ろで組んで海面に伏せなさい!』
だから一輪がそう怒ったのも、いまだ悟りを得ぬ身であれば無理らしからぬ事であろう。

 命蓮寺エンゼルズ
それが星と一輪の名乗るコンビ名であった。

そしてその名の知名度はいささか芳しからず、皆口を揃えて言うのである。

――知らん。
――てゆーか何で寺なのにエンゼルズ?
――女子供に何が出来るってんでぇ。
――ちょっと待て、聞いたことあるような、ないような……?

 至極尤もな反応ではあるものの、それで凹まされて逃げ帰るような子供の使いではない。
返される野次には、更なるもので以って返すのが幻想郷の流儀。
「ば、馬鹿にしてくれちゃってぇぇ! 雲山っ!」
青筋を浮かべた一輪の声に応え、雲山はその身をもたげ、まさしく入道雲と化す。
もくもくと青空に広がる雲山。
その勢いは爆発的で、あっという間に天を衝くほどの巨体になり、上半身のみの筋骨隆々な時代親父が身長5kmほどの逆三角体型で海妖たちを見下ろす。
まるで閻魔大王か鐘馗の睥睨だ。
――……ぉあ?
その余りの威容に、海妖たちは先程まで飛ばしていた野次を続ける事も、争う事も忘れてぼけっと口を開けて見上げていた。
海に棲む海妖達には比較的見慣れた筈のものでもある。
雲の正体とはとどのつまり、大量の水蒸気の集まりだ。それらは陽光に温められ、水蒸気と化した海水であるので、発生場所である海では殊によく見るものなのだ。
急速に成長し、積み重なり、天高く聳え、膨大な上昇気流と下降気流のエネルギーを有する雲。
積乱雲である。
――用意できましたよ、一輪。いつでもいけます――
洋上の海妖達を炯炯とした双眸で睨みつける雲山の頭上から、伝声管を使って胸前で組まれた腕の上に立つ一輪に星の声が届いた。
遅まきながらヤバいと気付いた海妖たちが、及び腰になって洋上を転進し始める。
「遍く照らす法の光。功罪の秤に乗りなさい!」
宝塔の力を注ぎ込まれた雲山の右腕が、一輪を乗せた左腕からそっと離れて高々と掲げられた。
筋肉のラインが浮かび上がったその太い腕の中では、上昇気流と下降気流がぶつかり合い。更にそれらに乗った極小の氷の粒同士がぶつかり合っては、莫大な静電気を生み出して筋肉の上にパリパリとスパークを起こしていた。
また、掲げられた雲山の巨大な拳は上空にあって極低温へと冷却される。極当然の理として、冷たい空気は下降し、温かい空気は上昇する。上昇気流という支えで溜め≠轤黷ス冷たい空気は雲山の巨大な拳の中ではち切れんばかりに解放の時を待っている。
そして、ピカッと雲山の双眸が光り、ゴロゴロと右腕が雷鳴を轟かせたのを合図に。
時代親父の拳が振り下ろされた。
その正体こそは、雷を伴うダウンバースト。
天を衝く雲の巨人が、巨大な拳を海面に叩きつけた。その拳は周囲の空気を巻き込んでダウンバーストの範囲を更に広める。
加えて、雲山を支える上昇気流と入り乱れる下降気流によって、入り乱れる真逆の大気の流れは漏斗上の竜巻を拳腕の周りに幾つも生み出した。
5kmを超える逆三角に筋骨隆々な禿頭髭親父。
海面を爆破する雷を帯びた拳骨。
爆ぜた海面から生まれ、そのまま襲い来る竜巻。
映画のクライマックスのような光景である。
時化などの海難の化身たる海妖達も、これでは堪ったものではない。
突然すぎる大嵐が過ぎ去って、木片と化したかつて船であったものにしがみ付いた海妖が口を開いた。それは『命蓮寺エンゼルズ』との名乗りに妙な胸騒ぎとともに記憶の引っ掛かりを感じた海妖だった。
エネルギーを吐き出して、嘘のような晴天を背に浮かぶ小さくなった雲山。その両肩に乗った星と一輪を見上げる。

――命蓮寺ダーティーズだ。

 呟いた言葉が、凪いだ海を行くさざ波のように、密やかに、しかし他に紛れようもなく広まった。

 あらゆる揉め事を土台から吹き飛ばす。

 つわもの集う幻想郷からやって来る、二人組の女達。

 通った後にはぺんぺん草妖精一匹残らない。

 妖怪たちの間で、そう噂される存在があった。
その二人組には上司が決めた別の正式名称があるのだが、どうしようもなく有名な通称があった。

『命蓮寺ダーティーズ』

「違うっ、命蓮寺エンゼルズよっ!!」

 命蓮寺エンゼルズのそんな通称を前に、海妖達は一人残らず白旗を揚げた。

 

続きは本編で

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