三人の箱庭(2)

 その日を境にある違和感が少しずつ私を侵食していった。
彼女たちとのお茶会でも、一人の少女との睦言の最中でも、
私たち三人の間にできた見えない腫瘍はゆっくりとではあるが確実に私たちの間に致命的な事態を引き起こす時を狙っているという感覚を、私は感じていたのだった。
だが私はこの感覚を双子の少女たちには告げなかったし、またそんな感覚を覚えていながらそれに対処しようとも考えなかった。
確かにこの感覚を頼りに私が何らかのアクションを起こしていれば、私が現在陥っているこの事態の原因、つまり双子の少女の殺し合いという最悪の結末を回避できたかもしれない。
だが私はそうしなかった。果てにあるのが、この微妙な均衡の上に成立している歪な関係の崩壊であることを予期しながら、
そしてその果てがこの甘美で淫靡で糜爛な私たちの秘事の終幕であることを感じながら、私は何もしなかったのである。

 何故だろう。

 私は今になって、双子の少女の骸を前に、私は自身に問いかける。

 何故だろう。

 今更自らに問うまでもない。それは初めから、彼女たちに出会ったその時から確かに私の裡に存在した感覚なのだから。

 私は彼女たちの全てを知りたかった。

 自分のものとしたかった。

 自分を彼女たちのものだけにしてほしかった。

 つまり、私は私たち三人をこの世界に、この彼女たちの箱庭に閉じ込めたかったのだ。

 彼女たち、月光を浴びる夜の妖精のような彼女たちに付随するもの、彼女たちのあらゆる全てを此処に封じ込めたかった、この時の流れが澱んでいるような、硝子の伽藍の底に。

 そうして私は私の命も体も、私の全てを捧げて、彼女たちと共に消えてしまいたかった。

 倫理も、そして時の流れすらも及ばない、虚無という名の永遠に沈んでしまいたかった。

 彼女たちと過ごしたあらゆる時間、あらゆる空間で、浅ましくも私はその欲望が叶う時をを今か今かと待ち構えていたのだ。

 私の欲望が、彼女たちを死に至らしめたのだとしたら、シンメトリーの少女たちを無残な血肉に帰したのは私であるのかもしれない。
もしそうであるならば、私は後悔と自責と、興奮と愉悦とを同時に感じる。

 仲の良い姉妹に殺し合いを演じさせ、その白い体を互いの血で真っ赤に染め上げるように仕向けたことを悔い、その幼い命を知らぬ間に弄んだかもしれぬことを責めた。

 私を愛していると言ってくれた美しい彼女たちにお互いの骸を私に差し出させたことに滾り、紅い湖にたゆたう彼女たちの屍に抑えきれない昂りを感じた。

 終わりの日を無自覚に待ち望む私は、それゆえにその日がやって来る足音をはっきりと聞いていたのだろう。だからこそ『今日』が私の待ち望んだ日であることは明らかであった。

 私が植物園に入った時、何時ものように噎せ返る緑の臭いの中に嗅ぎなれない紅い臭いを嗅ぎ取ったのだった。

 私の最悪で最上の予感が的中している感触に私の足は自然と速くなった。焦燥に身を焦がし、歓喜に心を奮わせ、何時しか私は駆け足になっていた。
その時間の多くを彼女たちと私の三人でゆっくりと歩いた場所を、私は全力が駆け抜けた。走る私の視界の隅を夜の黒と木々の緑が飛び過ぎていく。
彼女たちのいる場所に心当たりがあったわけではない。ただいつも三人でお茶会を開いた場所へと走っていただけである。

 そもそも私は自分の妄想に従って、つまり彼女たちが殺し合いをしていると考えるに足る根拠も無く動き回っているわけである。
嗅ぎ慣れぬ血の臭いなど本当はしておらず、それは私の頭の中だけに漂う芳香なのかもしれないのである。
理性が私の精神の異常を疑うべきだと主張するが、その奥底に潜む何者かは、一刻も早く彼女たちを見つけるべきだと囃し立てている。
どちらの声に耳を貸すにしても、とりあえず彼女たちに会えば全て解決する。

 そう考え私は走った。走りたかった。何も考えず、何も感じずにただ足を前へと出すことだけが自分の全てであると思いたかった。
私の中に黒々ととぐろを巻く邪まな蛇から眼を逸らすことができるのならば、私は世界の果てまででも走っていくことができるだろうと思った。

息が切れ、足が鉛のように重く感じるようになった頃、私は音を聞いた。

 水音がした。規則正しく水を叩く音がした。

 いや、『水音』と表現するには、その音はあまり鈍い音であった。

 否が応にもあるものを連想させる、鼓膜に粘りつくような音であった。

 私はその音に導かれるがままに歩みを進めた。

 音源に近づけば近づくほど、その音の感覚は短くなり、その音の粘度も増していくように感じられた。

 そして私は辿り着いた。

 音源は箱庭の中心に作られた、ささやかな水場からであった。わたしたちがお茶会を開いていた場所である。

 そして私の想像通り、少女は其処にいた。天に夜の黒、地に木々の緑を従えて、少女は確かに其処にいた。
自らこの舞台のスポットライトの役目買って出たかのように、降りかかる雲を振り払い、冷たい月光が顔を覗かせていた。
滝壺から舞い上がる水の飛沫は月の光を細かく反射させ、光の粒子となって舞台上の少女をこの現世からかけ離れた存在へと昇華させているようだった。

 そこに、彼女たちはいた。

 いや、正確に言うならば、一人は其処に居て、一人は底にあった。

 真っ赤な血は水面一杯に広がっていた。その紅い海に少女が一人、仰向けに倒れていた。
美しい黒髪は紅い水面に広がり、少女が着ている真っ白なミルクドレスは血と水を吸い、少女独特の凹凸の少ない体に張り付いていた。

 水面に、あるいは浮かび、あるいは沈み、少女の小さな体に納められていた、少女を生かすためのものは、まるで幼子がぶちまけた玩具のように辺りに飛び散っていた。
そんな無惨な姿になっても、夜を写すガラスの空を見上げる少女の瞳が虚ろな光のみを宿すことになった今でも、確かに少女は美しかった。
不思議なことに、動かなくなった少女の表情には僅かな苦痛の影も見えず、それどころか楽しげでさえある、ある種の晴れ晴れとした笑みが張りついていた。

 まるで長きに渡る念願を果たしたもののような、何かが満ち満ちた笑顔であった。

 そしてもう一人の少女も、同じように満たされた笑みを顔に張りつけていた。
自分の体の下で息絶えている少女に、恐らくその呼吸を止めたものと思しき大きく無骨なナイフを、何度も何度も突き刺しながら、幸せそうに笑っていた。
まるでお気に入りの玩具で夢中になって遊んでいるようにすら見えた。それほど嬉しそうに笑っていた。

 何度も何度も、腕を振り上げ振り下ろす。その度に赤い飛沫が、蒼ざめた月光の中で舞った。

 何度も何度も、同じ調子で水音がし、刃物が肉に埋まる鈍い音がした。

 何度も、

 何度も、

 何度も、

 何度も、

 少女はナイフをもう一人の自分に突き刺した。

 私は言葉もなかった。いや、言葉だけではなく私を構成する全てが凍りついたといっても過言ではなかっただろう。

 凶行に恐怖したのではない。凶刃に怖気づいたのではない。狂気に怯えたのではない。

 私は圧倒されてしまっていた。

 そこにある常軌を逸脱した美しさに打ちのめされていた。

 少女は、少女たちは美しかった。幾ら言葉を並べても、その美しさを私ごときには表現できるものではなかった。
だからこそただありきたりで、手垢のついた、最早何の感情的色彩も含めない表現を用いるしかなかった。

 美しかったのである。

 私は『筆舌に尽くしがたい』という表現が、こういうことをあらわすのだと、この時初めて知った。

 気がつくと、私はいつの間にか跪いていた。まるで神々しい何かを崇めるように。

 そうして彼女たちの、いや少女と少女だったモノの血みどろの遊戯を惚けたように眺めていた。

 幾度ナイフを己の片割れに突き刺した頃だろうか、少女は漸く私が其処にいたことに気がついた。

 少女は私を見るなり、

「……あっ」

 と、口をまん丸の形に空けた。そうして恥ずかしいところを見られたように慌てて立ち上がると、自分のスカートの裾の皺を伸ばし、乱れた服装を整えた。
その動作の途中で初めて自分が手にナイフを握っていることに気がついたらしく、その無骨な刃物を私から見えないように背中に隠したのだった。

「……どこから見てました?」

「……え?」

 いつもと変わらぬ穏やかな声で少女は私に尋ねた。
しかし血霞のかかった私の頭では、少女が何を言わんとしているのか即座に理解できずに、間の抜けた声を出すことが精一杯だった。

「もうっ! しっかりしてください。何時からそこでみてらしたんですか、とお聞きしたんです」

「……あ、ああ。そういうことですか」

 察しの悪い私に、少女は呆れたようだった。白磁の肌を真紅の染みで斑に染めた頬を、三人でいた時と変わらぬように年相応にプックリと膨らませて不満を表現した。
真っ白いキャンパスのような全身に自分と同じ赤を浴びた姿とは、その仕草はあまりに不釣合いだったが、少しも少女の魅力を損なうことはなかった。
それどころか匂い立つような妖しさをまとうその姿は、少女の美しさをより一層引き立てていた。

「そうですね。少なくとも足元の貴女は既に動かなくなっていましたね」

 私は漸くそれだけを言葉にすることができた。しかしそこからさらに言葉を紡ぐことはできなかった。結局それだけを言うと、私はまた押し黙ってしまった。

 少女はそれを聞いて、胸を撫で下ろした。

「そうですか、よかった。どうやらお見苦しいところをお見せせずに済んだようです。」

 真っ赤な血は未だ水面一面に広がり続けていた。美しい黒髪も、少女が着ている真っ白なミルクドレスも、水面に浮かぶもう一人の少女の血で真っ赤に染まっている。

 そしてそれだけではなかった。赤は返り血によるものだけではなかった。少女のドレスには、遠目にも分かるほどの切れ込みが幾つか入っていた。
その中でも少女の腹部に開いた裂け目からは、滾々と溢れ続ける血で今なおその身を真っ赤に染め続けていた。

 私は呆然とこの光景に心を奪われるばかりで、眼を逸らすことも、言葉も発することもできずにいた。

 魅入っていたのだ。魅入られていたのだ。月光を浴び、紅い泉に立つ血みどろの白い少女の美しさに。

 私がずっと願い続けていた最後の風景が、其処にはあった。

 幻想の風景の中の少女は、いつの間にか双眸から月光に輝く雫を溢れさせていた。

 涙だった。

 少女は泣いていたのだ。

 その涙の意味が、痛みのためか、悲しみのためか、それとも嬉しさのためか、私には分からない。

 ただ少女は確かに泣いていた。

 そして少女は私に向かって微笑んだ。少女は血みどろで、泣きながら、笑った。

 その笑みは嬉しそうで、悲しそうで、満足げで、不満げで、まるで万華鏡のように狂狂とその色を変える。

 ただ一つ言えることは少女の笑みはどこまでも綺麗で、ただ純粋に奇麗で、恐ろしく鬼麗だった。

「どうです? 上手にできたでしょう?」

 少女は涙を流しながら、微笑みながら、私に言った。
少女には不釣合いな大振りなナイフを持った右手は背に隠したまま、空手の左腕を大きく広げ、舞台女優が滔々と独白のシーンを演じているように言った。
少女はもう一度、「どうです?」と私の反応を待つように言い、それでも私が放心して少女の言葉に反応できないのを見て取ると、仕方が無いとばかりに少女はため息をついた。

「どうです? 貴方が望む通りになったでしょう? 貴方はこの光景がずっとずっと見たかったのでしょう? だから私と姉さんで叶えてあげたのです。」

 そこで一度私に向かって小首を傾げた。それでも、私の内面の黒い蛇を見透かしていた少女の言葉を聞いても、私は言葉を発することが出来なかった。
何とか少女の言葉に答えようとするのだが徒に喉が痙攣するだけで、結局呻き声のような音しか出せなかった。

 少女はじっと私を見つめて言葉を続けた。

「それに貴方の願いは私と姉さんにも丁度よかったのです」

「……丁度、良かった?」

 少女のその言葉を聞いて、やっと私は声を出すことができた。それだけ血みどろの少女の言うことが不思議でならなかった。この光景は私の望んだ結末である。
それが如何して彼女たちにとって都合がいいのか、それが疑問だったのだ。少女は玉虫色に変化して見える虚ろな微笑みを張りつかせたまま答えた。

「ええ。これで私と姉さんは一つです」

「……一つ、ですって?」

 少女は「ええ」と答えると、ゆっくりと紅い水面を私の方に歩いてきた。ゆっくりと水面が波立つか波立たないかというような、ゆっくりとした歩みで。

「ええ。私と姉さんは貴方も知っての通り一卵性双生児です。つまり私と姉さんは元々一つだった。だから私と姉さんは私と私、二人の私だったというわけです。
だから私と姉さんは何とか一つに戻ろうとした。体が解けて、心が融けて、私と私が混ざって元の一つに戻ることをずっと望んでいた。
……でも当然そんなことは不可能だった。そんなことは私も姉さんも理解していたし、納得もしていた。
だから私と姉さんがお互いを求め合ったのも、その時の名残で、満ちない自分をもう一人の自分に触れることで慰めていただけの、
……そう、決められた儀式のようなものだった。行ったところで何も生まれるわけではないけれど、そうしないと不安が募って仕方がなかったというところでしょうか?」

 そう言って少女は俯いて、沈黙した。暫くそうしていたかと思うと、ゆっくりと顔を上げ私を見て、いつもの私と彼女たちと三人でいる時に見せてくれた優しい笑みを浮かべた。
それからまるで糸の切れた傀儡のように全身の力が抜け、水面を割って膝を水底に着いた。握っていたナイフはその重みに耐え切れなくなった小さな拳から滑り落ちた。
少女はナイフを握っていた手で自分の腹部を押さえ、もう一方で水面に倒れこまないように体を支える。

 その時になり私は漸く少女自身も深い傷、それも致命傷と思しき傷を負っていることを理解した。慌てて駆け出し、今にも水面に倒れこみそうな少女を抱きかかえた。

 ズボンが水浸しになったが、無論そんなことなど全く気にならなかった。
傷の具合を確かめようと少女に断って手を退かそうとすると、いつもとは違う病的な白さになった顔に無理矢理笑みを浮かべて少女が遮った。
首を振ると、ゆっくりとした動作で私の手を押しやった。

「いけません。貴方のシャツが私と姉さんの血で汚れてしまいます」

 確かに少女の言うように、私の白いワイシャツは少女の血と、少女が浴びた返り血で真っ赤に染まっていた。
しかしそんなことは今心配するべきことではないということは明らかなはずだった。だからそんな軽口を言う少女が、自分がもう助からないことに気づいていることを悟った。
だから私も、無理に少女に言うことをきかせることはしなかった。かわりに全く心配していないように軽口を返した。

「構いませんよ。私のシャツはこの通り地味ですから、これ位の血糊があった方が冴えるでしょう?」

 私はそう言った。少女は「そうかもしれませんね」と言って、掠れた声で笑った。そうして血で真っ赤に染まった手を伸ばし、私の頬を優しく擦りながら、ポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。

「私と姉さんはそうして、二つに別れたまま死んでいくものと思っていました。……そう、貴方が来るまでは」

「私が、来るまで?」

 自分が彼女たちの物語に現れて、思わず少女の話の腰を折るようなタイミングで声を上げてしまった。
だが私の腕に抱かれた少女は嫌な顔一つせず、一度頷いて血塗れの手で私の顔をさすった。まるで眼の見えぬ人のように。

「そう貴方がきっかけ。貴方が私と姉さんだけだったこの箱庭にやってきてから、私は、少なくとも私は変わった。
……いえ、姉さんも変わってしまったの。先程本人に確認したから、これは間違いのないこと。
貴方は、一つに戻ることだけを妄想して何度も何度も身体と精神を重ねるだけだった私と姉さんの世界を貴方は変えてしまった。
貴方は私と姉さんの、この箱庭の世界を侵食し、陵辱し、征服してしまった。何時しかこの箱庭は、貴方のモノになってしまった。貴方の世界になってしまった。
勿論、それは私と姉さんも同じ。貴方に心を奪われてしまった」

 そうして少しの間を置いて「所謂一つの一目惚れっていうやつです」と、照れたように続けた。

「その時から私は、そして姉さんもでしたが、貴方を恋し、やがて愛し、そして私だけ、姉さんではなく、私だけを見て欲しいと思うようになったのです。
元は一つの存在だった私と姉さんが貴方という人を欲し、自我を持った。そうして二人の私だったものは、私と姉さんになった」

 ねっとりとした血を私の顔にぬりつけながら、語り続ける。

 その声は少しずつ小さく細くなっていく。

 言葉と言葉の間の息を継ぐ時間が僅かずつ長くなっていく。

 眼の焦点は随分前から私の顔に合うことなく、頼りなげにあちらこちらと泳いでいた。

 呼吸が次第に浅く、長くなる一方、少女の薄い肉と皮を裂いて生まれた傷口から血が止まる気配はなかった。

 それでも少女は言葉を止めることはなかった。そして私も少女の言葉を止める気はなかった。

「きっと貴方は気づいていないでしょうから、一応言っておきますが、」

 と、前置きして、

「貴方に告白したのは私なんですよ?」

 と、言ってはにかんだ。

「うん。知っていましたよ」

 私は平気な顔で嘘をついた。

「嘘ばっかり」

 少女は間髪いれずに私の嘘を見破った。そうして「ありがとう」と言った。血に染まった人差指が私の唇をなぞりながら、少女は言った。

「そうして私と姉さんは代わる代わる貴方と愛し合った。そうして貴方と時間を重ねるうちに、私と姉さんは確実に二つの固体へと変化していった。
……傍で見ていた貴方でもきっと分からなかったでしょうね。それはきっと私と姉さんにしか分からない、微細だけど決定的な差だった。
貴方に私と姉さんの悪戯の種を明かした日があったでしょう? あの日が決定的だった。あの時私と姉さんは、これ以上ないくらい完璧に別々の個体へと変化を遂げてしまった」

 だが私は気がついていた。彼女たちが決定的に違うことに、彼女たちが少女と少女に別れた瞬間を私は気がついていたのだ。
だが私はそのことを目の前の少女に告げることはしなかった。

「だからこそ私と姉さんは、今まで以上に交わり続けた。別々に分かれてしまったがために、一層私と姉さんはお互いの中にある欠けた自分を求めた。
けれど、もう今までのように一つに戻ることはできなかった。だって最早私と私は完璧に二つに分かたれてしまったのだから。だから私と姉さん、二人で決めたの。それが……」

「それがこれ、というわけですか」

「そう、そしてこれが貴方の黒い夢」

「さしずめ死によって統一が果たされるといったところですか」

「そう、その通り。肉体の枷を離れた魂は、再びもう一つの肉体に宿り、絡めとられ、定着し、一つの魂として再生する。そうして私と姉さんは、本来あるべき私に戻る、……はずでした」

 そう言って少女はもう一方の手で自分の傷口をさすった。血は止まっていた。いや、それとも、もう全て流れつくしたのかもしれない。

「そう、これはジャンケンみたいなものでした。どっちが死んでも恨みっこ無しの、そんな決死で、必殺の。確率は二分の一。どちらが残っても、生き残った方が元に戻る算段だった。
それが、真逆こんなことになるなんて。本当に予想外でした」

 そう言って少女は声無く笑った。少女にしては珍しい自虐的な笑みだった。それから少女は私の顔のあたりを見た。瞳は私の遥か頭上、月を見ているようだった。

「それにこちらの結末の方が貴方好みではありませんか?」

「私好みですか?」

 私は鸚鵡返しに聞いた。不意を突かれたわけではない。正しく少女の言うとおりだったからだ。

「ええ、きっと貴方にお似合いですよ。だって、私は貴方の望むことなら何でも分かるのですもの。
だから二人の私は、貴方への愛を示そうと思い、貴方が望むものを差し上げようと思ったのです。それは私が私へと戻る過程で得られるもの。
ならば、何も恐れることはないではありませんか。
その狂気の果てに、一つに戻った私と貴方がいるのなら、私と姉さんは躊躇することもなく、一つになるため互いの身に白刃を突きたてあったのです」

 そこで少女は私を見た。その光の宿らぬ瞳で、はっきりと私の瞳を見た。

「貴方のために、私は姉さんを殺した。貴方のために、姉さんは私を殺した。貴方のために、私は私となって此処で死ぬ。貴方のために、私と姉さんは箱庭の其処に眠る」

 そうして少女は私に笑いかけた。優しく穏やかだが、力のない笑みを。

「そう貴方が姉さんを殺し、私を殺し、私たちをこの箱庭に閉じ込めるのです。どうです、貴方の妄想が現実を侵食し、真っ赤な実を結んだお気持ちは?」

 ぱしゃり、と一つ水音がした。少女の手が水底に沈んだ音だった。

 眠たそうにゆっくりとした瞬きを繰り返しながら、それでも少女は眠そうな、甘えるような声で私に呼びかける。

「……だから、だから、私と姉さんに、……ご褒美を、くだ……さい」

「……ご褒美、ですか?」

 私は尋ねた。少女はうっすらと微笑みながら、一つ、頷いた。

「……そう、……ご褒美、です」

 少女の言葉に続いてくぐもった音がして、私の腹部に何か冷たい物が当たった。
不思議なことにその冷たい物を強く感じるごとに、腹部全体が熱を持ったかのように熱く熱くなっていった。

「貴方を、……貴女の命を私にください。私が貴方のために、二人の私の命を捧げたように。貴方の命を私と私に捧げてください」

 腹部で何かが捩れた感触がした。

 私は自分の腹部を見た。

 少女の握った大振りのナイフの刀身が私の腹部の皮を破り、肉を裂いていた。

 腹部を圧迫されたような感じを受けて、私は咳き込んだ。そうすると私の口から驚くほどの量の血が吹き出した。

 咳は一向に止まる様子もなく、咳き込むたびに血を溢れさせた。

 ナイフを握った少女の手は固まってしまったようにナイフの柄を握ったままであったが、私の顔を弄んでいた細く白い腕は力無く水音を立てて水底に沈んだ。
浅くとも弱くとも上下していた胸の動きが一度だけ大きく動いたかと思うと、やがて止まった。その瞳はもう二度と瞬くことなく、その唇が私を呼ぶこともないのである。
その愛らしい耳が私の声を聞くこともないと分かっていながら、私は少女の最後の言葉に答える衝動を抑え切れなかった。

 気を抜くと倒れこんでしまいそうになりながらも、私は言葉を紡ぐ。

 咳きこみそうになりながらも、私は言葉を紡いだ。

「ごめんなさい。幾千幾万の言葉を尽くしても、貴女たちを殺したことが許されるものではないと分かっています。……それでも、ごめんなさい」

 そこで一度咳き込んだ。血はほとんどでなかった。

 私の胸にはとめどなく後悔が溢れ、私の目から涙と成って腕に抱く少女の頬に落ちた。

「ありがとう。幾千幾万の言葉を紡いでも、貴方たちを殺せたことが嬉しくて仕方ないのです。……何度でも言わせてください、ありがとう」

 私の脊髄を性的快感にも似た電流が走り、私の顔の筋肉は自然と引きつり笑みの形を成した。顔面がピクピクと小刻みに痙攣し、それは喉に伝播し、肩、胸、腹へと伝わっていった。
始めは小さくゆっくりと、しかし震えは少しずつ大きく短くなっていった。

 私は嗤っていた。知らず知らずのうちに嗤っていたのだった。眼を見開いて涙を流し、裂けんばかりに口を開け、声帯を震わせ到底自分の声とは思えぬ奇妙な音を発していた。

 それは私の慟哭であり、歓喜の咆哮だった。そしてそれは私の断末魔の叫びでもあった。

 何時の間にか声は枯れていた。口からは声の変わりに、血泡を吹いていた。

 気がつけば私の目は水底を写していた。そしてやがて何も見えなくなった。

 自分の嗤い声すら聞こえなくなった。そもそも私が嗤っているのかすら分からなかった。

 水の感触も感じられなかった。私は本当に水の中に没していたのだろうか。

 あんなに熱かった体が、水に浸かったせいか歯の根の合わぬほど凍えた。やがてその寒気もなくなった。

 私の意識が暗い闇の底に沈んでいく。泥のような眠気に似た別の感覚が、私の意識を支配していく。

 恐ろしくはなかった。きっとその泥の底にある硝子でできた箱庭では、私が抱く少女たちが、いつものように優雅にお茶会を開いて、私を待っているだろうから。

 あまり待たせてはいけない、せっかく入れてくれたお茶が冷めてしまう。そう思い、私は意識を手放した。

     

 そう、これからはずっと一緒なのだ。闇の底、三人の箱庭の中で。

 ならば私は、喜んで底に沈んでいこう。

 美しい双子の少女たちのように。

―終―

web拍手を送る
(ご意見、ご感想などいただければ幸)

三人の箱庭(1)へ

小説のページへ