東方風妖譚〜galish goblin VS rumormonger

「で、さっきの続きだけど ……私が? 何? 魔理沙を何とかしたとかしないとか?
それって一体全体何の冗談? それとも新手の嫌がらせかしら?」

 そして喜劇の舞台はアリス亭の居間へと移る。

いつものように隙なく身だしなみを整えたアリスが外の三人を部屋へと招き入れる頃には、
文はカメラのフィルムを新しいものに交換し、魔理沙と霊夢は何か目覚めてはいけない世界に足を踏み入れかけていた。

 巫女達を客間に通し紅茶を振舞うと、アリスは自らも深々と椅子に腰を掛けた。そしてしばらく痛みに耐えるように俯いて、
瞼をギュッと強く閉じていたのだが、やおら顔を上げ棘のある視線を三人に向けた。
向けてはみたものの、三人の内の誰に事情を尋ねたものか図りかねるのか、その攻撃的な視線は三人の間を彷徨うばかりで一向に焦点が定まらない。

 そのアリスの視線の意味を察したのか、霊夢がアリスの問いに答える。
もしかしたら残り二人も気がついていたのかもしれないが、一人は事態が紛糾すればいいのにとでも考えているのだろう、
そしらぬ顔で口を閉ざし、もう一人は茶請として出されたクッキーを頬張るのに夢中で、発言する余裕もその気もないようだった。

「まあ、私から何か説明するよりも、これを読んだ方が分かりやすいと思うわ」

 そう言って霊夢はアリスに件の新聞を手渡した。
新聞が差し出されるや、アリスは飢えた野良犬が差し出された餌に飛びかかるような勢いでそれを奪い取ると、貪るように読み始める。
霊夢はあっという間に空になった手を意味もなくニギニギと開いたり閉じたりしていたが、そのまま何事もなかったかのように自分の分のティーカップに手を伸ばした。
一方アリスは新聞を読みながら人目もはばからず「ちょっ!」や、「うおっ!」ととても淑やかとは言えない声をあげていた。
文は一人紅茶に手をつけず、わななきながら新聞を食い入るように読んでいるアリスの姿にシャッターを切り続ける。ファインダーを覗く表情にはずっと満足そうな微笑みが浮かんでいた。

「いやあ、自分の新聞がこんなに熱心に読まれているのを見られる日がこようとは
……新聞書いててよかった〜」

「全然良かぁないわよ! 何よこれ!」

 感極まった文の言葉に、アリスがキレた。そして当の新聞記者に握り潰した新聞を突きつける。
その問いに慌てず騒がず文は小首を傾げ、さも当然と言わんばかりに答える。

「何って? それは新聞ですよ?」

「そんなの見りゃあ分るわよ! そうじゃなくて内容よ、内容!」

 当然の返答に、当然の反応を返すアリス。
二人の漫才のようなやりとりを傍目に、頬張ったクッキーを紅茶で流し込みながら、魔理沙が小馬鹿にしたように言う。

「またやってるぜ」

「その前にやったのはアンタでしょ」

 魔理沙の不遜な態度に呆れた霊夢が横からツッコミを入れる。
ついでに魔理沙の前で空になりかけているクッキーの皿を自分の前に引き寄せた。

「ちょっと! これはどうゆうことよ霊夢!」

棒状に丸めた新聞でテーブルをバンバン叩きながら、アリスは澄ましてクッキーを齧る霊夢に何故か話を振った。
文では話にならないと判断し、さらに魔理沙では話すら聞かないという消去法的思考が働いたのだろう。

「私に訊かないでよ。それ、書いたの私じゃないんだし。目の前にいるでしょ、書いた本人が」

 霊夢が当然の返事をする。そして自分の隣でヒステリックなアリスの姿を撮影している文の肩を突く。
無心にファインダーを覗いていた文が、どうやら自分に話が振られているらしいことを察し、何かを宣誓するように軽く右手を上げた。

「どうも本人です」

「書いた本人が話になんないから貴女に訊いてるんじゃない!」

 さらに激しくアリスはバンバンと新聞で机を叩く。
「もうちょっと大切に扱ってくださいよ〜」と言う文の言葉などお構いなしである。

「そんなの余計に話にならないじゃない」

 ポリポリとクッキーを齧りながら霊夢が言う。あくまでアリスに取り合うつもりはないらしい。
それでも恨めしげな視線を送り続けるアリスが不憫に見えたのか、それとも偶々クッキーがなくなったからなのか、霊夢が溜息を一つついて口を開く。

「つまり、そこのインチキ記者と魔法使いは、この新聞に書かれた事の真偽を確かめに来たってわけ。
ちなみに私は巻き込まれただけ。こんな茶番はさっさと終わらせて、神社の掃除をしたいの」

 それを聞いて今まで話に入る素振りも見せず、茶請と紅茶と格闘していた魔理沙が頓狂な声をあげる。
クッキーを喉に詰まらせたわけではないらしい。

「そりゃないぜ霊夢。一番乗り気だったのはお前じゃないか」

「……!? ぐっ! ゲホッゲホッ……!」

 代わりに霊夢が飲んでいた紅茶を吹き出しかけて、激しくむせた。
文が刹那、物凄く悪そうな笑みを浮かべた。何か善からぬことを思いついたらしく、素知らぬ顔をして魔理沙に便乗する。

「そうですよ〜。ここまで来て私達をダシにするのは少々人が悪すぎます」

 霊夢は懐紙で口元を拭いながら、澄ました顔で紅茶を味わう文と魔理沙を順繰りに鋭い目で睨みつける。

「……あんたらぁ!」

「……ちょっと本当なの、霊夢?」

 差し込むような霊夢の視線を受けても全く堪えることなく、ふてぶてしい態度を崩さない二人の様子に、アリスがもしやといいたげな目で霊夢を覗き込む。
霊夢はまとわりつくその視線を振り払い、きっちり抗議する。

「んなわけないでしょ!? あんたが魔理沙をどうしようとこうしようと、私には関係ないでしょうに!」

 アリスに噛みつかんばかりの霊夢をよそに、魔理沙はティーカップを静かにテーブルに置いて、「オホン」とわざとらしくも、勿体ぶった咳を吐いた。
その音に険しい顔のままで振り向く霊夢とアリス。魔理沙は二人の視線が自分に向いた事を確認すると、可愛らしく両頬に拳を当てて、何故か照れた。

「いやあ、そんな風に公衆の面前で熱愛宣言されると、流石に照れるぜ」

 わざとらしく恥じらう魔理沙に、文はすかさずファインダーを向ける。
魔理沙もノリノリにカメラアングルを考えて、上目づかいをしてみたり、色々とポーズをとる。

「モテモテですねー魔理沙さん」

「んなわけないでしょうに……アンタらは一体どんな脳味噌してんのよ」

 じゃれ合う馬鹿二人を、毒気を抜かれた霊夢が半眼で睨む。
そんな姦しい三人組に、同じく毒気を抜かれたアリスが頬杖を突き呆れた顔を向ける。そして喉が渇いたのか、ティーカップを傾ける。

「ピンク色の脳細胞なんでしょ。しかし、書いた本人が今頃事の真偽を確かめに来るって、それって取材してないんじゃない……」

「そうだそうだ。アリスの言うことは尤もだ」と魔理沙が囃したて、
「取材したところで記事の内容が今よりマシになるとは思わないけどね」と霊夢が冷静に言った。
それを聞いて文が「何と失礼な!」と叫んで、ようやくファインダーから目を離した。そして拗ねたように口を尖らせ、アリスに抗議する。

「だって前に来た時に、何にも話してくれなかったじゃないですかー。だからとりあえず記事にしてみました」

 そんな自分勝手な論理に、アリスが呆気にとられたように、「ズズッ」と音を立てて紅茶を啜った。
そして信じられないと言いたげな座った目で文を見る。

「何が『とりあえず記事にしてみました』、よ。それであの時、タイミング良く来たって分ね。
……全く何処で見てたのよ。……ほんと油断ならないわね」

「あの時?」

 何気ないアリスの言葉尻を霊夢がとらえる。
ようやくアリスもこの場の状況を飲み込み始めたのか、納得したように頷いた。
ただまだ何か納得しかねるところがあるのか、表情は曇りがちではあったが、話を始める踏ん切りはついたようだった。

「……分かったわ。そういうことなら隠しててもしょうがないものね。……ま、実際、そんな大したことでもないし」

「教えてくれんなら、あの時教えてくれれば良かったのにー」

 まだ拗ねているのか文がそっぽを向いて言うが、アリスは顔を手であおいだ。
文の言葉がまとわりついてくるのが鬱陶しいのかもしれない。

「アンタに話すとロクなことにならないからよ」

 それを聞いて魔理沙が「やれやれ」と、仰々しく肩をすくめた。どうやらまるで分かっていないと言いたいらしい。

「ま、話さなくともロクな事にはならなかったがな」

「全くよ」

 アリスも文に倣ってそっぽを向きながら答える。
二人のやりとりを聞くと文は拗ねた表情からパッと営業スマイルに切換えて、ピンと人差し指を立てた。

「というわけでこれからは積極的に情報提供していただけると助かります」

「それは御免こうむるわ」

 片手を広げ突きつけて、アリスは文の要請に即答した。
こんな状況にしておいて、虫がいいにも程があるというものである。

「で、アリス。そろそろ本題の方にもどりましょう。コイツら相手にしてると時間なんてあってないようなもんよ」

またしても話が本題からそれつつあるのを感じとってか、アリスと同じように霊夢も場の流れを片手を上げて制した。

「確かにそうね」とアリスが頷いた。
「酷いぜ」と魔理沙が言った。
「まあまあ。所詮、私達は賑やかし要員ですから」と文が笑った。

 文の言葉に霊夢がニヤリと笑う。

「良く分かってるじゃない。けれどチンドン屋はしばらく開店休業にしといて頂戴。今からはちょっとばかり真面目な時間よ」

「はーい」と魔理沙が幼子のような素直さで手を挙げた。
自分から率先してこの場所に来たことなど、すっかり忘れているようだ。それとももう飽きたのかもしれない。

「そもそも私も事の真偽を確かめに来たんですから、話していただける分には邪魔する気なんてないですよ」

 文は腰に手挟んでいた文化帖を開き、矢立から筆を抜いて構える。
三者三様、話を聞く態勢を整えたのを見計らい、アリスはテーブルに両肘を突くと両手を顔の前で組んだ。
そして少し硬くなった空気を感じると、アリスは話始める前に肩の力を抜くように自嘲気味に笑った。

「折角真面目な顔をしてもらってなんだけど、この話はそんな大層なものじゃないからね。
むしろ笑い話ぐらいに思って頂戴。それぐらい大したことのない話なんだから」

「じゃあさっさと始めろよー。勿体つけすぎだぜ」

「アンタは黙ってなさい」

 魔理沙がつまらない茶々を入れると、すかさず霊夢がそれを窘める。
出鼻を挫かれて、組んだ手から頭をずり落ちそうにさせたアリスが、おもむろに空咳を吐いて間を空ける。そして空気が程良い硬さに戻ると本題を話始める。

「最近ね、この家に鼠が住み着いたらしいのよ」

 それを聞いて文が白い歯を輝かせて笑う。そして手をパタパタと振った。

「今更何を言ってるんですか。魔理沙さんなら、前から住みついてましたよ?」

「おいおい。私は白黒だぜ。鼠なら灰色だ」

魔理沙が心外だと言わんばかりに眉根を寄せて、指を一本ピンっと立て舌打ちしながら振った。

「混ぜれば見事に鼠色ですね」

 魔理沙を真似て文が筆をピッと立てて左右に振る。そして二人顔を見合せて、意気投合したように爽やかに笑い合い妙な同族意識を育む二人。
その二人の傍若無人振りに我慢も限界に達したのか、霊夢がこめかみ辺りに青筋を浮かべる、左右に控える野放図の化身達に切りつけんばかりの睨みを利かせる。
想像以上のその視線の鋭さに、巫戯化ていた二人も顔を引きつらせ、身を竦ませ、思わず姿勢を正した。それは正しく「シャキン」とでも効果音がつきそうな勢いである。
背筋を伸ばした二人に、霊夢がドスを利かせた声で釘を刺す。

「……だからアンタら、ちょっとは黙ってアリスの話を聞きなさいよ! あんまりしつこいと叩き出すわよ!
……アリスが」

「……って、私が!?」

 言いたいことだけ言うと、霊夢は語尾でもって厄介事全てをアリスに放り投げた。
アリスもここで自分に話を振られるとは思っていなかったようで、返事するのに僅かな間が生じる。
その隙に乗じて、畳みかけるように霊夢がさも当然とばかりに言う。

「当り前じゃない。ここはアリスの家だし、話をするのもアリスでしょ? さっきのアンタの勢いならすぐよ、すぐ。
それにこの二人を叩き出すなんて面倒なこと、私がやるわけないでしょ?」

「今のはアンタがキレたんじゃないの!?」

 アリス[の当然のツッコミに、霊夢は澄ました顔で紅茶を啜る。

「あれはアリスの心中を代弁しただけよ」

 そして、霊夢はこともなげに言った。

「ま〜た、巫女が難癖つけてるぜ」

 口をアングリ開けたまま動きを止めているアリスに代わって魔理沙が言う。

「まあ、巫女の無茶と魔法使いは横暴の代名詞ですからねぇ」

 大げさに肩を竦める魔理沙に合わせて文も肩をすくめた。

「何を人のせいにしてんのよ。元はと言えばアンタらが騒ぐからでしょうに」

 二人の言葉に霊夢が眉をピクリと吊り上げた。

「……結局、アンタら都合の悪いことは人のせいなのね」

 呆れて動きを止めていたアリスが再起動して尤もなことを言いう。
それからしばらく口を開けっ放ししていたので喉が乾いたらしく、音を立てて紅茶を啜った。
そしてティーカップ越しにいがみ合う三人を冷めた瞳で見つめていたが、一段落つく頃合いを見計らい口を開いた。

「……さて、そろそろ本題に戻っていいかしら?」

そして「ズズッ」と音を立てて、温くなった紅茶を啜った。
その言葉に、睨み合っていた三人(主に睨んでいたのは巫女であるが)が一斉にアリスの方を見た。

「そうよ、さっさと話し始めなさいよ」

 霊夢が目を剥いて、ドスの効いた声を出した。

「全くだ。これでも暇じゃないんだぜ」

 魔理沙が心底呆れ果てたとでも言いたげに、皮肉たっぷりに言った。

「まあ、いつも人形としか話していないから、会話のタイミングが掴みにくいというのは分かりますが……」

 文が嘲笑を浮かべて、同情するようにアリスの顔を見た。

三人の罵倒と嘲笑と同情を受けても、アリスは俯いてティーカップの中を見ているだけで、何も言わなかった。
ただ、アリスの持つティーカップの取っ手から「ピシリ」と異様な音が鳴り、その異音とともにアリスの手元から、ゆっくりとティーカップが落ちていった。
落ちて行く取っ手の部分が指の形に欠けたティーカップは、ティーテーブルで待ち受けたアリスの操る人形が見事に受け止めてた。

「……話を続けて、いいかしら?」

「「「どうぞお願いします」」」

 ティーカップの砕ける音の代わりに、アリスの声が響いた。その声は普段と変わらなかったし、俯いたままの姿勢にも変化はなかった。
ただその普段と変わらぬ様子が、何かとてつもないものを抑え込んでいるようで
、三人(そのうち一名は、忘れかけていた恐怖を思い出したのか、目の端に涙を浮かべている)は素直に頭を下げた。

「で、どうも鼠がね、そこいらをうろついてるらしいのよ」

 人形が運んできた新しいティーカップを受け取ると、アリスは変わらず顔を伏せたまま、上目づかいに三人の表情を見ながら話を続ける。

「はあ。左様ですか」

 文がらしくない相槌を打つ。しかし今度は誰も茶々を入れなかった。余計なことをする代償がようやく骨身に染みてきた雰囲気である。
しかし無頓着を絵に描いたような三人のことである。大人しくしているのも、おそらく気の迷い程度の間に過ぎないのだろうが。

「巣を作ってるのか、それとも外から侵入してるのか、それは分らないんだけど、時々魔道書とかお菓子とかが食い荒らされてるのよね」

 そこで文がこっそりと魔理沙の方を窺う。
それに気付いた魔理沙はその視線の言いたいことを否定するように顔の前で手を振った。
口を開けば戯言しか言わないことを自覚しているのか、二人ともジェスチャアだけでやりとりする。
それでも何故かお互い意思疎通が出来ているように見える。いや、そう見えるだけなのか実際のところは分らないが、二人の間で激しいジェスチャの応酬が繰り広げられる。
そんな二人を無視して霊夢は話を聞いているというように頷き、アリスもそれに応えて頷いた。
こちらの二人も残像が見えるほどの速さで腕を動かしている二人を無視して話を進めることで互いに了解したようである。

「で、鼠捕り用の人形を作ったのよ」

「おっ! その面白そうな奴は何ですか?」

「一個私にもく……否、貸してくれ!」

 ブンブン腕を振り回しながら、器用に顔だけアリスの方に向ける文と魔理沙。
二人とも互いを見ていないのだから腕を振る意味はないのだが、二人とも何故か止める気配がない。

「私が寝てる時とか、留守の間の侵入者排除用に用意しておいた人形の感知度を上げただけなんだけどね」

「あれ? そんなのあったのか?」

 既に怪しげなダンスと化した腕の動きのままで、魔理沙がアリスに訊ねる。
その問いに、アリスが一瞬言葉に詰まる。わずかに目がウロウロと宙を泳いでいたが、そのまま視線を明後日に向けて言う。

「一応、不審者除けだからね」

「良かったですねー。一応不審者のカテゴリには入ってないらしいですよ〜」

 動揺するアリスの姿を、文がすかさずカメラに収める。
魔理沙を放っておいて、いつのまにやらジェスチャを止めていた。

「まあ、そこら辺は察してあげなさいよ」

 手で口元のニヤニヤ笑いを隠し、霊夢が嬉しそうに言う。
笑い合う文と霊夢に何かを言おうとして、アリスはその言葉をグッと呑み込んだ。
今の状態で何を言おうがこの二人に散々茶化され、挙句に全く話が進まないというオチが見えているからである。
だからアリスは二人の反応を無視して、その二人の影で密かに照れている魔理沙も見えていないふりをした。

「……いいかしら。話を続けるわよ。
で、その鼠捕り人形なんだけど、要は外部からの侵入者やら鼠やらがあるとそれに反応して、その侵入物を捕獲する仕組みなのよ」

「どうやって捕獲するんです?」

「人形がタックルしてそのまま抱きつきます。さらに相手によって、そのまま関節を極めます」

 文が手を上げて質問し、アリスが答えた。

「……アンタ、自分の動きを人形にトレースさせてんじゃないわよ」

「……何か今日一日で随分アリスの印象が変わっちまったぜ」

 霊夢が半眼で、魔理沙が額に冷や汗を浮かべて、アリスを見た。
二人の畏怖の籠った視線が痛いのか、アリスが怯み、ヒシヒシと迫る視線を遮るように両手を突出す。

「だって仕方ないじゃない! 家に変質者とか鼠とかいたら嫌じゃない!
それに魔法とかでぶっ飛ばしたりするより、大分良心的じゃない!」

「……まあ確かにそうではあるけど」

 少し考えて霊夢が同意した。

「いやー、そもそも侵入する奴が悪いんだから、問答無用でぶっ飛ばしてやればいいじゃないか」

「全くですね。そういう不逞の輩は一度痛い目に逢えばいいんです」

 文と魔理沙が自分のことを棚に上げ、自信満々に胸を張る。その様子から、自分達を棚に上げている自覚があるのかすら怪しい。
勿論、霊夢もアリスも二人にツッコミを入れない。
霊夢が無言で手で話の続きを求め、アリスがその意を汲んで三度話を再開する。

「で、ついこの間、件の鼠捕り人形を仕掛けて寝てたの。そうすると、どうやら何か引っかかったらしくてね」

 そこで一人を除く全員の視線が、示し合わせたようにある一点に集中する。

「ほう。で、一体何が関節を曲がってはいけない方向に曲げられてたんだ? 天狗か? それとも巫女?」

 魔理沙が全員の注目を一身に受けながら、しれっとアリスに訊ねた。
ツッコミを期待するような魔理沙の質問にも、アリスは反応しなかった。
ただ今までのように故意に無視しているというより、他の事に気を取られているようなそんな様子である。

 しばらくアリスは黙ったまま、気だるげにティースプーンで紅茶をかき混ぜていたが、スプーンをくわえ苦々しげな顔をした。

「……人形よ」

 その言葉が苦くて堪らないのか、アリスはそう吐き捨てた。

「「「人形?」」」

 三人の声が重なる。アリスの様子に霊夢が、恐る恐る話の続きを促す。

「……誰の人形よ」

 頬杖を突きくわえたティースプーンを上下させながら、アリスが不愉快そうに言う。
言葉を吐き出したことで少し楽になったのか、先ほどよりは表情はやや和らいでいる。それでも良い表情とは言い難いのではあるが。

「……私の人形に決まってるでしょうがっ!」

 プクっと頬を膨らませて不貞腐れるアリスに、魔理沙が訊ねる。
何故かその片が微妙にプルプルと震るえているのを見て、アリスの表情に再び凶悪な色が戻る。

「……つまり、何だ、その、……鼠と間違えてだな、自分の人形が、自分の人形を……?」

「間接メキメキに決めてったってわけですかぁ!」

「そうよっ! メキメキよ! これ以上ないくらいメキメキに極めてたのよっ! 何よ!何か文句あんのっ!」

 文が口から唾をルナティック弾幕の勢いで撒き散らし、シャッターを切るのも忘れて盛大に吹き出した。
どうやら文の笑いの壺に嵌ったってしまったらしく、腹を抱えてひきつけを起こしたようにヒーヒーと息を切らせてのたうち回る。
魔理沙も笑いを堪えるように口元を覆い、「まあ、そういうこともあるさ」と抑えきれずに漏れる忍び笑いの音を背景に、全く慰めになっていないことを言う。

 羞恥で顔を真っ赤にしながら拳を強く握りしめたアリスに、霊夢が椅子から立ち上がり、わななくアリスの肩にそっと手を置く。
アリスが見上げると、そこに霊夢の優しい眼差しがあった。その表情は幼子をあやすような、そんな慈愛に満ちた穏やかな笑みを浮かべていた。

「落ち着きなさいって、アリス。大体話は分かったから。ね?」

 その笑みが自分を笑うものではないことが、アリスの心をゆっくりと静めていく。
しばらく霊夢の笑みに見惚れるていたが、ふと我に帰るとアリスは恥ずかしそうに顔を伏せた。

「……そ、そう? 少なくとも貴女にだけは伝わったみたいで嬉しいわ」

 そしてもう大丈夫だというように霊夢の手を柔らかく握り、アリスがはにかむように言った。
その様子に安心したのか、軽く息を吐くと霊夢はどっかりと椅子に座りなおした。
そして自分の隣で悶絶している天狗を見て複雑な表情をした。

「……まあ約一名、伝わりすぎて再起不能に陥ってるみたいだけれど、あれは気にしなくてもいいわ」

「ああ、確かにそれは言うとおりね」

 笑い過ぎてピクピクと痙攣している天狗を、アリスも生暖かい目で見守る。

「つまり、侵入者を防ぐどころか身内をバッキバキにしていたと、こういうわけだな」

 意外と回復の早かった魔理沙が、ここぞとばかりに話をまとめた。
魔理沙の言葉に、アリスが黙って歯を食いしばった。
その悪気がない故に鋭さを増したその言葉の痛みに耐えているのか、
それともできれば忘れてしまいたい現実を突きつけられた板挟みで、思わぬ言葉が口にしてしまう自分を抑えているのか、
そこまではわからないが、そうして少しの葛藤の間の後、アリスは嫌そう顔で渋々頷いた。

「全くもってその通りよ。人形遣いが自分の人形を操れないなんて、笑い話にもならないから黙ってたんだけど……」

「実際は、笑い話には十分過ぎたみたいだけどね」

 隣で咳き込む文の背中をさすってやりながら、霊夢がアリスの言葉に続いた。

「どうやら、その話をどっかから聞いたそこの天狗が勝手な推測を巡らせたか、ネタを面白くしようとしたかで、
私がアリスに捕まってやんごとなきことをされているという風に記事にしたのが、今回の事の真相みたいだな」

 腕を組み、魔理沙がようやく復活しつつある文を半眼で見ながら言う。

「事実しか記事にしないとか言いながら、デマ書いてんじゃないわよ。アンタは」

 憎まれ口をききながらも、霊夢は文の背中を甲斐甲斐しくさすってやる。
その甲斐あってかようやく笑いの渦から抜け出した文が、霊夢の言葉を否定するように首を左右に振った。

「イヤイヤ、何をおっしゃいます。ねえ、アリスさん。私の書いた記事、あながち出鱈目だというわけじゃあ、ないでしょう?」

 文がアリスの瞳を覗き込む。
その目はまるで獲物を狙う鷹のような、そんな相手を射竦めるような目である。
文の目と言葉に不穏な気配を感じたアリスが、その真意を探るように訊ねる。

「……何が言いたいの?」

 僅かな反応も見逃さないと豪語している瞳で自分を見つめるアリスに、
文は余裕綽々で筒状に丸められた自分の新聞を指で突いて、アリスの方へと転がす。

「おやおや。私の言いたいことは全てその記事に書かれているじゃありませんか?」

 アリスは忌まわしいものを見るように目の前で転がる新聞を睨んでいたが、そこに書かれていた文面を思い出したのか、
何かに気がついたようにハッと顔を上げ、薄く笑う文の顔を睨みつけた。
しかしその視線には、先程まで込められていた強い敵意の光が陰っていた。そして敵意が存在していた場所に、別の感情がたゆたっている。
それは、底の知れない水面を覗き込む時に人が感じるものに似ていた。

「……アンタ……本当に何処で見てたのよ?」

 少し震える指で文を指差すアリス。
文は、得意げな表情を浮かべ、落ち着いた動作で愕然としているアリスの表情に向けてシャッターを切った。

「私は何も見てませんよ。私は情報提供があったから記事にしただけですから」

 そう言うと文はパタンと音を立てて文化帖を閉じ、「さて」と呟き席を立った。

「それでは私は今日の取材を記事にしないといけませんので、ここいらでお暇させていただきます。
今日は貴重なお話の数々、誠にありがとうございました。それでは」

 ペコリと頭を下げた文に、呆けていたアリスが敏感に反応する。
思わず自分も席を立つと、文の肩を捕まえようと腕を伸ばす。

「ちょっと! このまま帰らせるわけにはいかないわ! アンタにはその情報提供者とやらについて喋ってもらわないと!」

 アリスの言葉に腕を振り回すことに夢中で話すタイミングを逸していた魔理沙も、我に返った。

「そうだ! すっかり忘れてたぜ! そいつの名前を話すんだ天狗!」

 魔理沙は椅子諸共に文の腰辺りにタックルを敢行する。
しかしアリスの手は空を掴み、魔理沙のタックルは文の立っていた場所を飛び越し、その向こうのアリスに組みつき、
そのままの勢いで二人ともティーテーブルの向こう側へと倒れ込んだ。

「なんでアリスが押し倒されてるんだよ!」

「変なこと言わないでよ! アンタが飛びかかって来たんでしょう!」

 無茶なことを言う魔理沙と、顔を赤らめ駄々っ子のように手足をばたつかせるアリス。
当の文といえば、その姿は既に椅子の傍になく、アリスが座っていた椅子の背後にある窓の傍に立っていた。
窓枠に手をかけ、二人の醜態を得意げに見下ろす。

「ふふん。幻想郷最速の天狗を、人間や魔法使い如きが捕まえられるとでも思っていたんですか?
それでは私は失礼しますよ。皆様ご機嫌よう……っ!?」

威勢の良い口上を置き土産に、開け放した窓から空へと飛び立とうとしていた文の動きが、そこでピタリと止まった。
そして窓枠に足をかけた姿勢のままで、身動き一つせずに固まってしまった。その様子に、逃げられたと覚悟していた魔理沙とアリスが首を傾げる。
二人には一体何が起こったのか理解できていないようである。
その二人の反応から、文は自分に何が起き、何が原因なのか、その全てを悟った。そして文は額に冷や汗を浮かべ、ゆっくりと振り返る。
その視線の先には、この場でただ一人何が起きているのかを知る者の姿があった。

「……やってくれましたね、霊夢? 私の羽根に何をしました?」

 アリスと魔理沙の視線も文に続く。
霊夢は素知らぬ顔で自分のティーカップにゆっくりと紅茶を注いでいた。
霊夢は立ち上る紅茶の湯気の越しに、苦笑いを浮かべている文の顔を可笑しそうに見た。
それは見つめられた者の背筋を凍らせるような、そんな冷え切った笑みである。

「……保険をかけておいて正解ね」

 そうして懐から一枚の符を取り出した。それをヒラヒラと揺らしながら、頬杖をついて言う。

「ここまで来て逃がすと思ってるの? 霊符『夢想封印』。さっき背中をさすってあげてた時に施しておいたの。
これでアンタは空も飛べない。お得意の高速移動も、その様子じゃ無理見たいね」

「そのようですね」

 自嘲気味に笑うと、文は両手をあげた。どうやら降参したらしい。

「じゃあ、何で私たちは何でこんな有様なのよ!」

霊夢の言葉を聞くと、未だに床に転がっているアリスも片手を上げた。こちらは頭上に疑問符が浮かんでいる。
その質問に、霊夢はもみ合ったまま床に転がっている魔理沙とアリスを白い目で見下ろしながら言う。

「それはアンタらがトロいだけでしょ」

 同じように二人を見下ろし、文が肩をすくめた。

「ええ、蠅も止まりませんでしたよ」

 それを聞いて、アリスの膝の上で魔理沙がポンと手を打った。頭上に何やら明かりが灯っているイメージである。

「成程」

「納得するの!?」

 膝の上から魔理沙の頭をどかしながらアリスが声を上げた。
しかし改めて自分と魔理沙の有様を見下ろして悲しそうに首を振ると、それ以上そのことについて何もいわずに立ち上がった。
あまりに雄弁に語る現実の前に、用意していた言葉は尻込みしてしまったようだ。
そして体をはたいて埃を落とし身だしなみを整えると、空咳を吐いて無理矢理話を元に戻した。

「……では、改めまして。
……流石よ、霊夢! さあ観念しなさい天狗! 今日までの屈辱、兆倍にして返してあげるんだから!」

 指をワキワキと動かし良からぬことをする気マンマンのアリスに、
しかし霊夢は手をかざし、その気勢を削ぐように静かな声で話しかける。

「おっと、ちょっと待ってアリス。誰もアンタに引き渡すとは言ってないわよ?」

「ちょっと! 何言ってるのよ、霊夢!」

 話が違うと言いたげなアリスの非難の声に、霊夢は恍ける。
クルクルと指に髪を巻きつけて、少しだらしない感じで続ける。

「いやね、引き渡すのはやぶさかではないのだけれど、その見返りが何にもなしっていうのは、あまりにつれないじゃない?」

 そして気を持たせるように紅茶を一口含んだ。その余裕の霊夢の態度に、アリスはギリギリと悔しそうに歯を軋らせる。
しかしこの場の主導権が誰にあるのかを考えると、尊大な態度の巫女に要求を訊ねざるをえないのであった。

「……ああっ! もうっ! 何が言いたいのよっ!」

 指で髪を弄びながら、アンニュイな雰囲気を漂わせ霊夢が満足そうに微笑む。

「うん。大したことじゃないのだけれど、神社の御賽銭、最近めっきり減っちゃったのよねえ。
だからね、今度来た時でいいから、心ばかりでもお賽銭を入れてくれたら嬉しいなあ、なんてね」

「……ちっ! 仕方ないわねえ」

 霊夢の言葉にアリスはかなりムッとしたが、一度舌打ちすると、渋い顔で頷いた頷ずいた。
露骨に嫌そうな顔をするアリスに、霊夢が鼻で笑う。
一瞬にして表情がきつくなったアリスに先んじて、霊夢は鼻にかかったような甘く気だるげな調子で続ける。

「まあ、嫌なら嫌でいいんだけどね。私も無理強いしたくないし。あくまで感謝の気持ちあっての御賽銭だしね。
……そう、時にアリス、さっきの文の話を聞いている時、妙に慌ててたわね。どうしてかしら? 件の事件の時に何か見られて困るものでもあったのかしら?
……例えば、関節を極められていたっていう人形の事とか?」

 怒鳴りつけようとしていたアリスが、霊夢の最後の言葉に凍りついた。
そして、その時アリスは見た。
霊夢の瞳が先程の文の瞳と同じ、冷たい水底色をしているのを。それは人の弱みを握っているだけでなく、相手の心中までも見通しているような怜悧な瞳。
言葉を変えるならば、イジメッ子特有の目である。

「な、何のことかしら? 何を言ってるのかさっぱりわからないわ?」

 アリスは思わずその視線から目を逸らした。
しかし逸らしたところでその視線が消えるわけでもなく、背けた頬に視線がチクチクと突き刺さる。
明後日を向いて脂汗を垂らしているアリスに、ツイッと霊夢が部屋の片隅を指差した。

「誤魔化しても駄目よ、ほら、あそこ、黒いのがはみ出てるわよ? あれ、帽子の端かしら?」

「ちょ! 嘘! ちゃんと仕舞っ!? ……った!」

 驚いてアリスが振りかえり、そして振り返ったまま驚愕の表情で凍った。
そうして油の切れた発条仕掛けのように、ギリギリと首だけを霊夢に向ける。
そこには実に意地悪く笑う霊夢がいた。

「嘘よ、う・そ。そんなの見えてないわ。
ただ、部屋はこんなに片付いているのに、其処だけ全然片付けられてないから、もしかしたらと思っただけよ」

 乗せられたと気がついた時にはもう遅く、アリスは拳を震わせて、砕けるほどに奥歯をきつく噛みしめることしかできなかた。

「くっ! なんて嫌な勘してんのよ!」

 何とか悪態ぐらいはをつくことができたのだが、その程度では幻想郷の住人は揺るがない。
そして、そんな煮ても焼いても食えない連中の筆頭とも言える霊夢である。
我関せずと涼しい顔をしながら、いかにも面倒だと言わんばかりの気だるげな脅迫する。

「妖怪にも色々あるからね、詮索はしないでおいてあげるけど。
まあしかし、明日、賽銭箱が空だったりしたら、私、悲しすぎて何を言い出すかわかったもんじゃないけどね」

「鬼! 悪魔!」

 叫び、アリスが地団駄を踏むが、そんな必死なアリスにも、霊夢は全く調子を崩さない。

「勘違いしないで、私は巫女よ?」

 霊夢はサラリと否定して、紅茶を飲んだ。

そんな二人の攻防を、魔理沙は腕をまくら代わりに床に寝転がったままのんびりと観戦していた。
完璧に霊夢にしてやられた悔しさを全身で表現しているアリスを見上げ、
続いて窮地に立たされても忘れず撮影をしている文を見上げる。

「アリスはいいこと言った。巫女なんかと比べたら、鬼に失礼だぜ。なあ、天狗」

「同感ですね。巫女に比べれば鬼も天狗もかわいいもんです。
……まあ、悪魔ぐらいならいいんじゃないでしょうかね」

 ファインダーを覗きながら文が言い、魔理沙が起き上がった。
しかし何故か立ち上がらず、そのまま胡坐をかいて座り込む。

「意外と辛口だな。ま、わからんでもないが」

 ファインダーを覗くのをやめると、文は困ったようにポリポリと頭をかいた。
記憶を辿るように少し遠い目をしながら文が言う。

「だってあそこのメイドさん、何時行っても写真を撮らせてくれないんですよ?
……実際はばれないように、こっそりと撮ってますけど」

 寝崩れた帽子の形を整え、埃を落として被りなおし、魔理沙が文の言葉を訂正する。

「あのメイドは、多分、人間だぜ」

「じゃあ、巫女と人間は似たようなものですね」

「ひどいぜ」

 そう言って魔理沙が歯を見せて笑った。それに応えて文も頬を緩める。

「アンタら! だから声は聞こえてるんだから」

 何か通じ合っている様子の二人を見て、霊夢がピシッと魔理沙を指差し言うが、

「分かってるよ。聞こえるように言ってるんだから」

 そう言って意地悪げな視線を送る魔理沙。
。魔理沙の挑戦的な態度に、霊夢はキッと睨むだけで何も言わず、
怒りと悔しさでプルプルと震えているアリスに向きなおる。

「まあ殊勝な心がけでいてくれるなら、少しぐらいサービスするわよ。なんせ私は巫女だからね。
……アリス、そこの天狗に口を割らせるより、その情報提供者とやらに直接出てきてもらった方が早いとは思わない?」

 その言葉にアリスがパッと顔を上げた。
魔理沙も帽子の鍔を持ち上げる。
そして文が苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。

「霊夢! 貴女、情報提供者が誰か知ってるの!?」

 そのアリスの質問にすぐには答えず、飲み干したティーカップを丁寧に置くと、霊夢はスッと立ち上がった。
そして三人の視線を受けながら、時が止まった部屋の中をただ一人、まるで巫女のように凛とした姿でゆっくりと部屋の外へと歩いて行く。
そしてドアノブに手をかけると、霊夢はアリスの質問に実に何でもないことのように答える。

「大体予想はついたわ。それで、早速今からソイツも締め上げるから神社に戻ろうと思ってるんだけど、どうする? ついてくる?
ついてくるなら、そこのブン屋も抱えてきて頂戴」

 そう言うと霊夢は急展開に口をポカンと開けたまま立ちつくすアリスと、座り込む魔理沙の返事も待たずに、一人で部屋を出て行った。
ドアの閉まる音で、静止した部屋の時間が動き出す。置いてきぼりを食ったのが不満なのか、アリスが霊夢の消えたドアに向かって金切り声をぶつける。

「神社ですって!? 何で神社に犯人がいるのよ! ちょっと! 待ちなさいよ! 無視するな〜!
もー! 追いかけるわよ、魔理沙! ほら、グズグズしてないで! 早く!」

 そしてアリスは床に座り込んだまま根の生えたように動かない魔理沙の腕を掴んで、無理矢理立たせる。
そしてわざわざ魔理沙の服についた埃を落とし、部屋の片隅の書物机の上の魔導書を手に取ると、スカートの裾を翻し霊夢を追って部屋から消えた。

 突風が過ぎ去った後の部屋に取り残された魔理沙は、部屋の真ん中でポツンと立ちつくしたまま苦笑いを浮かべて、帽子の唾を引き下げた。

「……やれやれだぜ。そう急かすな、アリスよ。全く、仕方ない奴らだぜ。
ま、なんだ、それじゃあ、天狗は私の箒の後ろにでも縛っていくとしようか」

 そう言って窓枠に腰かけて、三人の様子をうかがっていた文にキュッと唇を上げてみせた。

「いやあ、お手数かけます」

それに答えて、文は頭を掻きながら、恐縮したように笑った。

 そして舞台は再び博麗神社の境内へと移る。

「じゃあ霊夢。私はお茶と、
……そうだな、戸棚に紫が持ってきた羊羹があったよな? あれでいいや」

「ちょっと! 何を速攻でくつろいでんのよ! そんなことより、犯人探しの方が先でしょ!」

 早々に本来の目的を忘れた魔理沙に、頭に血が昇りっぱなしのアリスが過剰に反応する。
顔を近づけるアリスを暑苦しそうに追い払いながら、魔理沙が呆れたをする。

「いや、そう言ったってアリスよ。私は二人分飛んで疲れたんだ。ちょっとぐらい休ませてくれてもいいだろうに。
それに犯人ってお前、正確には情報提供者らしいぜ?」

「アンタが二人分飛ぶのなんていつものことでしょうに!
それに呼び方なんて何だって良いのよ! とりあえず私を係る羽目に陥れた不逞の輩に血の粛清を……」

「……アリス……怖いぜ……」

 腕をブンブンと振り回していたかと思うと、顔に影を落としてブツブツと呟き始めるアリスに、
痛々しげな目をやり魔理沙が一歩、アリスから離れた。

「……ということは、既に私は粛清決定ですか。
……とほほ、初めてなんで痛くしないでくださいね」

 その傍らで同じようにアリスを見ていた文が、引きつった頬を掻きながら不安げに言う。

「痛くなければ覚えないぜ?」

 ツツっと文の隣にやって来て魔理沙が肘で突ついた。
顔には意地悪気な笑みを浮かべている。良い気味だと言わんばかりの、満面の笑みである。

そんな風に姦しくしていると、一人神社の奥へと姿を消していた霊夢が境内の前に姿を現した。
霊夢の右手には何か和紙に包まれた花瓶のようなものが握られている。

「さて、ご歓談中申し訳ないのだけれど、そろそろ始めてもいいかしら?」

「おやおや。いつになく仰々しいじゃないか? 何だ? 憑物落としでも始めるつもりか?
それとその手に持ってるのは何だ? 羊羹じゃなさそうだが?」

 いつもと違う霊夢の清澄な様子に、魔理沙が忘れず茶々を入れる。
しかし霊夢は魔理沙に取り合わず、あっさりと受け流す。

「そうね。似たようなものかもしれないわね。ちなみにこれは見ての通り、羊羹じゃないわ」

「ほほう、それは興味深いですね。憑りつくのは得意ですが、落とされたことは中々ありませんから」

 今の自分の状態など頭の隅にも認識されないのか、妖術を封じられた天狗がいつもと変らぬ様子で文化帖を開く。
そんなどんな時でも取材を忘れない文に、霊夢は突き刺さるような冷笑で応じる。

「あらそう? それじゃあ、見事に落としてあげましょう。
ではまず、文、アンタ、裏の取れないネタは新聞にしないとか言ってなかったかしら?」

 霊夢が文の出鼻を挫くように、抑制された冷やかな声音で告げる。
それはまるで小言の多い閻魔のような威厳すらも漂わせている。

「……あっ、あっれー? 私、そんなこと言いましたっけ?」

 霊夢の静かな迫力に気圧されたのか、文が口籠る。そんな文に霊夢は舌鋒を緩めることなく、見えない弾幕を放つ。

「そんなアンタが記事にしている。つまり記事の裏は概ね取れているということじゃないかしら? 
実際、裏さえ取れてれば、脚色やら婉曲なんかはお手の物だものね」

「確かに。いつも色々と酷いことを付けたすからな、この天狗は」

 霊夢の言葉に、魔理沙が続ける。それに魔理沙を除く三人が何か言いたそうな顔をしたが、それについて誰も深く追求することはなかった。
先に思い浮かんだ言葉を飲み込み、代わりの言葉をアリスが言う。

「けど、なぜそんなことを?」

 霊夢が冷やかな目で文の一挙手一投足を注視しながら、淡々と追い詰めて行く。アリスの問いへの答えも、文を包囲する結界の一部を形成する。

「さあ、ここのところ五月蠅い連中が揃って大人しくしてるから、面白いネタがなかったからじゃないかしら?
今日はさぞやいいネタが取材できたことでしょうねえ。……あんたがサンザン引っ掻きまわしてくれたおかげでねえ」

「……そ、そうですねえ……」

 三人の視線に堪らず顔を逸らせる文。いつもの飄々とした表情が崩れて、引きつった笑みが貼りついたきり、顔から剥がれなくなっている。
霊夢の放つ言葉の弾幕が、ゆっくりと文の動きを封じていく。霊夢は酷薄そうな笑みで、猫撫で声で文へと語りかける。

「それになんでアリスの家の中のことまで知ってるのかしら? そういや情報提供者がいたんだっけ? 人のうちの中まで覗き見できる情報提供者がねえ」

「……あははっ。何のことやら……」

「多分、いろんな所を盗み見できるんでしょうねえ、その情報提供者さんは」

「……さ、さあ、どうでしょうか……」

 纏わりつくような霊夢の言葉と張り付く視線から、文は目一杯首を捻って逃げ続ける。
往生際の悪い文の態度に、霊夢は視線を外すと呟いた。誰にともなく呟いたようで、それは間違いなく文に向けられたものである。

「そう言えば最近萃香の姿を見ないんだけど、知らないかな? かな?」

「……さあ、存じ上げませんねえ?」

「どうしてかなって二回いうんですか」とは突っ込めなかった。霊夢の言葉を聞いたその一瞬、文の表情が固まったからである。
その時間は本当にわずかだったが、霊夢にはそれだけの時間があれば十分だった。文の反応で自分の勘が正しい方向に働いているのを悟ると、霊夢 は冷やかに続ける。

「……絶叫してあげましょうか? ……まあ、いいわ。本人に訊くのが一番早いでしょうし」

 そういうと、霊夢は傍らの包みを解く。そして中身を全員から見えるように、高々と掲げた。

「さて、ここにとりい出したるは、酒々が満ち満ちた徳利が一本」

 それは表面に大きく「酒」と書かれた大徳利だった。アリスと魔理沙はまるで巫女の意図が掴めず首を傾げるばかりだったが、ただ文だけは違った。
初めは他の二人と同じように要領を得ない表情だったが、霊夢の狙いに気がつき突然弾かれたように声をあげた。

「それをどうしようと? ……まさか!?」

 文の動揺を霊夢が冷やかに笑うと、口に手を当てて中空に向かって声を張り上げた。

「そのまさかよ。……おーい、すいかー。天狗から酒をかっぱらったから、一緒に飲みましょー」

 空へと吸い込まれるように放たれた言霊は、程なくその効果をあらわした。

「ほんとー! 飲む飲むー」

 良く晴れた空の元、何処からともなく怪しげな霧が集まってきたかと思うと、それは凝り固まり形を成し、アッと言う間に四人の目の前に伊吹萃香が姿を現した。
元気よくピョンピョンと霊夢の周りを飛び跳ねる萃香に、驚き言葉を失うアリスと何もかも見抜いたように笑う魔理沙、
そして完成した霊夢の結界に囚われた文は終に頭を抱えてうずくまってしまった。
そしてしばらく一人で悶々として唸っていたが、ふっ切るようにガバッと立ち上がると、嬉しそうに跳ねまわっている鬼娘に情けない声をあげる。

「すいかさ〜ん、出てきちゃ駄目ですって! 話聞いてたでしょ!」

 その声に萃香が振り返る。泣き笑いの文とは対照的に、赤い顔に満面の笑みである。

「……んー、聞いてたけどー、難しい話は酒が不味くなるから聞かないことにしてるのー」

「……って、もう酒が回ってたんですか!」

「にゃははー」と笑うと萃香が軽く手をあげる。その手には何時の間にか霊夢が持つのとは別の徳利が握られている。

「前に文からもらった奴だよー。駄賃の分―」

「だーっ! だから、そんなに余計な事をいっちゃ……」

 勢いよく立ち上がったのと同じ勢いで文が再びうずくまってしまた。
どうやら藪を突くと漏れなく大蛇やらツチノコやらが出る流れらしく、文の言葉に萃香が答える度、文が自分の墓穴を深くしているようであった。

「ほほう、その話、ちょっと詳しく聴かせてくれるかしら?」

 額に青筋を浮かべながらも、あくまで冷静を装いアリスが萃香に訊ねる。
程良く酒精が回っている萃香は、アリスの様子に違和感を感じることもなく、口元に指を当て素直に頷く。

「いいよー、実はねー、この前……」

 萃香が話始めると、堪らずそれを遮るように文が声をあげた。
動けばボロが出ると分かっていても、座したままというのはどうにも我慢できないらしい。

「……そ、そうだ! 私はちょっとお山の方で用事があったのを、今思い出したような気がしますので、これにて失礼お……」

 そう言うとシュッと片手を上げ、それを別れの挨拶代わりにその場を辞そうとしたのだが、それを阻むように「ポン」と文の肩に優しく誰かの手が置かれた。
その予想していた感触に、しかし緊張を隠しきれないのか、文が音をたてて唾を飲み込む。そのまま文は直立不動で微動だにしない。
まるでそうしていればその手の感触は消えるとでも思っているかのようである。しかし肩に置かれた手はそれを許さない。急かすように、その手は文の肩をもう一度、軽く叩いた。
手の主が誰だか文には分かっている。だが肩に置かれた手は、その答えを確認することを強要しているのである。
額に玉の汗を浮かべ、その手の重さから逃れたい一心で、文はゆっくりと後ろを振り返る。
それが絶望を具現化させると知っていても、文は後ろを振り返らなければならないという義務感にも似た衝動、そして未確認の恐怖を抑え切ることはできなかった。

「まあまあ、もうちょっとゆっくりしていきなさいよ。
お茶か、もしくはそれ以外のものを御馳走してあげられるかもしれないし」

 文の想像の通り、それは霊夢の手だった。
自分の予測が間違いなかったことに、文はガックリと項垂れた。いつのまにやら目から涙を滝のように垂れ流し、口から魂が頭を覗かせている。

「ああ、できればお茶のほうが嬉しいのですが、きっと別のほうなんでしょうねえ、この展開だと」

「……ねーねー文ー、何かアリスが怖いんだけどー」

 萃香のその言葉の通り、怒りながら笑った顔のアリスが萃香の二本の角をシッカリと握って、逃がさないようにしていた。

 やがて始まるであろう悲しい宴を前にして、一人魔理沙は境内に腰かけて、空を見上げる。
今日の幻想郷の空は雲一つない快晴。ポカポカと暖かい陽気は暑すぎず寒すぎず、実に過ごしやすい日和である。

「いやあ、今日もいい天気だなあ」

 帽子の鍔を押し上げて眩しそうに空を見上げる魔理沙の呟きは、誰の耳にも届くことなく、ぬけるような青い空へと落ちていった。

追記 後日、博麗神社の賽銭箱に、最近人里の女性を中心に人気沸騰中の「貴女の秘めた想いがあの人に届く藁人形(五寸釘セット)」が供えられていたとか、いないとか。

Fin.

東方風妖譚(2)

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