東方風妖譚 〜galish goblin VS rumormonger

「アリスー! アリスー! 魔理沙だぞー! お前の魔理沙がやって来たぞー!」

 アリス亭のドアをドンドンと激しく叩き、魔理沙が大声を張り上げる。
何とも傍迷惑極まりないが、幸か不幸かアリス亭は魔法の森の中に建っているおかげで、魔理沙はご近所様に迷惑をかける心配無く、アリス亭に騒音公害を撒き散らすことが出来るのである。

「開けろ、アリス! お前は既に包囲されてる! 大人しく出てくれば良し。さもないと故郷の母親が泣くことになるぜ!」

 一人で盛り上がる魔理沙を、一歩引いた位置で霊夢と文が呆れきった顔で見ている。
珍しくカメラも構えず、文は頭痛でもするようにこめかみを擦りながら騒音を奏でる魔法使いに言う。

「それじゃあただの恐喝ですよ」

 その言葉に魔理沙がすかさず振り返った。しかし顔は振り向いていても腕は自動的にドアを強打し続けている。
何が何でも騒音を生み出し続ける気らしい。

「何を言う! アイツを引っ張り出さないと話しにならないだろうが! そのための手段を選んでいる余裕は、お前や巫女にはないのだ!」

魔理沙の暴論を聞いて文の頭痛がうつったのか、霊夢が「人の性にしないで頂戴」と言いながらまなじりを揉んでいる。

「最低限の手段ぐらい選びなさいよ。それに中々出てこないからって、魔法で家ごとぶっ飛ばすとか言い出さないでよ。
後でアリスに何を言われるか分かったもんじゃないから」

 そして「あの子もアンタと同じで、絶対に私の性にするに決まってるんだから」と付け加えた。
だが霊夢の苦言も笑い飛ばして、魔理沙はビッと勢い良く親指を立て威勢の良く啖呵を切った。

「何を言う霊夢! マスタースパークは最後の手段という奴だぜ!」

 そのどうしようもない発言に、文は「そこまで行くと中々面白いことになりそうですね」などと真剣に新聞のネタになるかどうか考え始め、霊夢は言葉もなく顔を引き攣らせた。

 勿論魔理沙が後ろで見ている二人の反応など意に介するはずもない。
ドアを叩き割りそうな勢いでノックを続け、「アリス〜! アリスや〜い! このドアを開けてちょうだ〜い! 狼のお母さんが帰ってきたよ〜!」などと、しゃがれた声色で意味不明なことばかり叫んでいる。
最早何がしたいのか、後ろの二人には理解できなくなっていた。だがもう何も言わなかった。面倒なので止めることを諦めたようだった。

その魔理沙の声色が功を奏したのかどうかそれは分からないが、ドアの向こう側で人の動く気配がした。
そして外を窺うようにそろりとドアが細く開けられ、隙間からニュっと七色の魔法使いことアリス・マーガトロイドの寝癖頭が現れた。
疲労の色が濃く現れた憔悴した顔色と、薄っすらと隈が浮いた充血した瞳で、騒々しい一人とそれを傍観する二人の顔を、順繰りに恨めしそうに睨んでいた。

「もう、五月蝿いわね…… さっきやっと寝ついたっていうのに…… 全く誰よ? 魔理沙?
……って、巫女にブン屋も一緒なんて、珍しく団体で来たものね。……で、団体で来て何の用よ?」

「ア〜リ〜ス〜!」

 アリスのつっけんどんな様子などお構いなく、魔理沙は開いたドアの隙間に爪先ごと体を無理矢理ねじ込む。
そして先程までベッドにいたのが一目で分る、寝乱れたパジャマ姿で驚いているアリスの胸倉を掴むと、そのまま状況を全く飲み込めていないアリスの華奢な体ごと力一杯前後に揺さぶる。
その有様はまるで癇癪を起した少女が人形に当たり散らしているようである。

「きゃっ! 何するのよ、魔理沙!?」

「『何の用?』じゃない! よくも私を捕まえてくれたな、アリス!」

「ちょ、ちょっと待って!? 何!? 何!? 何なのよ!?」

 アリスは寝起きのぼうっとした頭で訳もわからず、ガクンガクンと首を揺さぶられ、目を白黒させて悲鳴をあげる。
全くもって無理もない反応である。

 揺れながら言葉にならない悲鳴をあげるアリスを見るに見かねて、頭を掻きながら文が助け舟を出した。
自分たちが何故ここにいるのかという事情を説明するだけで、魔理沙を止めはしない。

「つまり貴女が魔理沙さんを手篭めにしたという件についてですね、ご本人に直接、事の真偽を訊ねようということになりまして……」

 文としては助け船をだしたのかもしれない。それとも元々そんな気などなかったのか、それともただ単に状況をややこしくしたかっただけなのか。

「……へっ!? て、ててててっ、手篭めっ!」

 おそらく文の狙い通りなのだろう、「手篭」という単語に反応して、頓狂な声をあげ揺さぶられていたアリスがピタリと止まった。
魔理沙の腕が止まったわけではない。魔理沙も今まで揺れていた相手が動かなくなったことに怪訝な顔をしている。
しばらくアリスはそのまま動かなかったが、しかし完全に動きを止めていたわけではなかった。
ごくわずかずつではあるが、アリスは揺れていた。それはほとんど気がつかないほどの揺れであったが、その揺れは三人の見ている前であっという間にアリスの全身に回り始めた。
魔理沙が驚いて茫然としていると、アリスは魔理沙の腕を見事な手際で振り払い、
(本人にその気はないのだろうが)お返しとばかりにガッチリと魔理沙の襟首を掴み、細腕からは考えられないような馬鹿力でもって魔理沙を人形のようにガクガクと揺さぶりはじめた。
その信じられない腕力は、どうやらアリスも意識しているわけではないらしく、見開いた寝不足の瞳には正気の光が宿っているように見えなかった。
どうやら、いわゆる火事場の馬鹿力というものを発揮しているようだった。

「ど、ど、ど、どどどどど、どういうことよ! て、て、手篭めって! 
私が、魔理沙を、て、ててててっ!」

「ま、ま、ま、まままままってっ! 待てアリス! 待ってってばっ! 
ちょ、ちょっと! 霊夢! 文! 見てないで助けてよ〜!」

 魔理沙も自分が振り回すことはあれ、アリスに振り回されるとは思っていなかったようで、思わずいつもの口調を忘れている。
しかし限りなく悲鳴に近い魔理沙の声にも、霊夢はいつものように全くあわてない。
とりあえず手始めとばかりに、となりで嬉しそうにファインダーを覗く文の頭を小突く。

「……全く……あんたが話をややこしくしくするからよ」

「……いやあ、まあ、こんな面白いことになるとは思ってなかったもので」

 本当に反省しているのかどうかなのか、キッチリ二人の写真を何枚か写真を撮ってから文が言った。
確実にネタになりそうなものを確保するのを忘れないその姿勢は、記者の鑑かもしれない。その内容や事実の婉曲・脚色は別にして、であるが。

 それから霊夢は未だにガクガクと揺れている魔理沙の助けに応じて、
何かの呪文なのか、壊れたように小声・早口で「手篭手篭……」と繰り返し、全力で腕を振るアリスの肩に手を置くと静かに諭すように言う。

「はいはい。アリスも落ち着いて」

 何処か遠くに視線をやっていたアリスが、声に応えて霊夢に顔を向けた。
無表情の上に寝不足気味のうっすら充血した瞳を見開いて、口は不自然にパクパクと動かしている様子は、まるで腹話術師の操る人形のようであった。

「だって霊夢聞いてよ私が魔理沙を手篭にしただなんてははっそんなまさか
でももしかしたら私のアレな妄想が独り歩きしだしてたりしてああだとしたら……」

 そして何も聞いていないのに独りでに話に筋が通っているような、
しかし良く聞くと支離滅裂に単語を口走っているだけのアリスの様子に、流石の巫女の口元も引きつらざるをえなかった。

「何かしらないけど、結構重症見たいね」

 思わず呟いてしまった霊夢であった。

「だからだからね決してそういう意味じゃなくてあそう言うことっていうのは私が魔理沙を……」

「分かった! 分かったから、はい、どうどう。
アリス、ちょっと深呼吸してみましょう」

 ガクガクと揺れている魔理沙を放り捨てると、今度は霊夢に掴みかからんとするアリス。
霊夢は自分に向けて延ばされる両腕を鮮やかに手首のところで掴み、幼子に言い聞かせるように優しく言葉をかける。
それからアリスの腕をとったまま、ほとんど無理矢理に深呼吸をさせる。
最初は抵抗していたアリスだが、グルグル腕を回している間に我に返ったのか、表情に血の気が戻って来た。

「……ち、ちょっと…… 人を……馬か……なんかみたいに……扱わないでよ」

 何度か深呼吸の動作を繰り返させてアリスの呼吸が落ち着いた頃合いを見計らい、霊夢がアリスの腕を放した。
アリスは激しい動悸を抑えるように、胸に手をあてながらも憎まれ口を叩くアリスに、霊夢が腰に両手をあてて呆れた声をあげた。

「何がよ? いつものアンタとは思えないような馬鹿力だったんだから。馬にでもなったかと思ったわよ」

「半馬半妖ですか? 記事としては面白そうですが、写真映えしませんねえ」

 放り投げられた魔理沙が起き上がるところを撮影しながら、文が茶化す。

「ほんと……アリスとは思えない馬並みさだぜ」

立ち上がりながら、魔理沙も乱れた息と振り回されてはだけた襟元を整える。
ただその様子にいつもの切れがなかった。目が少しだけ涙で潤んで、赤くなっていた。

 勿論、そんな『美味しい』シーンを目聡い天狗が見逃すはずがない。
いやらしい笑みを浮かべると、ゆっくりとカメラを構えて魔理沙に近づく。

「……もしかして、泣いてるんですか?」

 俯き加減の魔理沙の顔を、カメラのファインダー越しに覗き込みながら文がそっと尋ねる。
魔理沙を気遣ってというよりも、期待で胸が一杯で声が出ないだけのようである。

「違う! ちょっとお前のストロボが眩しかっただけだっ!」

 ぶっきら棒にそう言って、魔理沙はふいとカメラから顔を背けて帽子の唾を引き下ろす。
しかし、その程度では幻想郷最速を誇る天狗から逃れられるわけはない。

「ほんとですか〜? じゃあどうして顔を隠すんですか〜?
実は泣いてるんじゃないんですか〜? ……あっ、もしかして怖かった、とか?」

 魔理沙が顔を背けた所には、既にカメラを構えた文の姿があった。
喜びでキラキラと輝く文を見て、ピタリ、と魔理沙の動きが止まる。文もファインダーを覗いたまま、動きを止めた。

「……」

「……」

「……」

「はい、ちーず」

わずかな沈黙の後に、「パシャリ」とシャッターを切る音がした。その音で魔理沙の無敵時間も、切れた。

「だーっ! 違うって言ってんだろ! そんなわけあるかよっ! コラッ! 写真撮んなよ! バカァ!」

 眼の端に涙を溜めて顔を真赤にし、箒で思い切り天を衝くと終に魔理沙が吠えた。
羽虫を追い払うように矢鱈にブンブンと振り回される箒を、ギリギリでしかし全く危なげなくかい潜り、文は声高々と哄笑をあげて撮影を続ける。
その文の挑発(半分以上は本気で喜んでいるのだろうが)に、魔理沙がさらに必死になってバタバタと暴れ回る。

「放せ〜! あの天狗に一太刀! せめて一太刀を〜!」

「……はいはい。あんたも、ちったぁ落ち着きなさいな」

暴れる魔理沙を流石に放置しきれないと考えたのか、こちらも危なげなく箒の軌道を見切り、霊夢が後ろからはがい締めにする。
動きを封じられてからも魔理沙はジタバタと叶わぬ悪足掻きを続けていたが、一際立派な大樹の枝に腰かけ、余裕の表情でカメラの調子を確認している文を見て、
既に一撃を加える機会を逸したと悟ったのか、両肩を落として大きなため息をついた。

「……う〜、いつも飛んでる巫女には言われたくないぜ」

 そしてとりあえず近くにいる霊夢に憎まれ口を叩いた。

「おっ? 調子が戻ってきましたねー」

 フィルムも巻き終わったのか、ポケットから出した布でレンズを拭いていた文が耳聡く聞きつける。

「……戻りすぎるのも考えものだけどね」

 どっちも面倒だといわんばかりに、霊夢が答えた。
そして息が続かず場の流れに置いて行かれ、呆気にとられているアリスの肩に慰めるように手を置いた。

「イキナリだけど多分この話は長くなるから、できれば家に上げてくれると嬉しいんだけど。
それとあんたも絶対に落ち着いて話を聞けないと思うから、ここだとちょっと大変よ」

そして「今みたいにね」と付けて、肩を叩いた。
聞きたくもないことを聞かされて、さらにこれからもっと聞きたくないことを聞かされると言われて、アリスは汗で額に張りついた髪を鬱陶しそうに払って顔をしかめた。

「……ううっ……面倒くさいわねえ。これ以上の面倒はゴメンなんだけれど。
……ちょっとここで待ってなさい。今、部屋を片付けるから」

 そう言ってボサボサの頭を掻きながら、アリスが自分の足元を指差した。そして身を翻し、ドアノブに手をかける。
しかしアリスよりも早く、魔理沙の手がドアノブを握っていた。魔理沙の意図が掴めず怪訝な表情をするアリスに、魔理沙は言う。

「いやいやお構いなく。私は全く気にしないから」

 あっさりそう言うと、自宅のドアを開けるような何気なさで人の家に上がり込もうとする。
やっと魔理沙の意図を察すると、アリスが慌てて魔理沙の肩を掴む。

「……ちょ! ちょっと待って! 散らかり放題で、ホント、足場なんてあってないような状態なんだから!」

 グイッと魔理沙をドアの外に押し出しすと、アリスは両手を広げて家に上げないように通せん坊する。
だがそれぐらいで引き下がる魔理沙ではない。腰に手をあて、何故か偉そうに胸を張り、そして堂々と宣言する。

「大丈夫だ! 私の部屋なんてもっと酷い! だから私は気にせず入る」

 宣言が済むと、アリスの脇を抜けようとする。
いつもの通りの魔理沙の得意の、そして唯一の手段、絡めて無しの正面突破である。

「入ってくるな〜! 片付いてないっていってるでしょうが!」

 タックルと同義の魔理沙の突撃を、アリスはよろめきながらも必死に受け止める。そしてたちまち始まる魔法使いの肉弾戦。
そんな二人のインファイトを見ながら、霊夢と文が溜息をついた。息の合った吐息である。

「……呆れてものも言えませんよ」

「全くよ。……で、その言葉そっくりそのまま、アンタにも当てはまるんだけどね」

 肩をすくめて混戦模様の二人を尻目に、漁夫の利よろしく勝手に部屋に上がり込もうと、カメラをかまえて忍び足する天狗。
そして巫女はその天狗の襟首を掴み、二重に呆れて頭を振る。そんな傍観者二人の寸劇の間も、魔法使い同士の組み手は続いている。
いや、正確に言うならば、その寸劇が終ると同時に魔法使い同士の戦いにも決着がついていた。
魔法使いとは思えないほどの技の冴えを見せたアリスが、力任せに突撃を仕掛けた魔理沙の間接をしっかりと極めて動きを封じていた。

「絶対に入れるもんですか〜!」

「ギブギブっ! 何でこんな訳のわかんない技をできるんだよ〜!」

 歯を食いしばり全力で締め上げるアリスの腕をタップする魔理沙。
体中の間接という間接が、稼動範囲を超えて人体として曲がってはいけない方向に曲がり始めている。
既に魔理沙の目は兎の如く真赤。今度は誰がどう見ても完全に涙目である。

「しかし、本気で家に入れたくないのね〜」

 霊夢は目の前で助けを求めるように手を伸ばす魔理沙をさらりと無視した。

「きっと人に見られては困るものだらけなんですよ」

 アリスの神業に、文はアングルを何度か変えてシャッターを切る。フィルムを巻き上げる文は、ホクホクした顔である。
そして言うまでもなく魔理沙を助ける気など毛頭ない。

「人聞きの悪いこと言わないで!」

魔理沙に見事な関節技をかけながらも、アリスは文の言葉を否定することは忘れない。

「……グッ、グエッ! ……り、力むな…… ……し、絞まる……」

アリスの絶叫の響きに応じて、魔理沙の顔が赤くなり、青くなり、白くなる。
反論は覚えていても、自分の腕の下で冥界に旅立ちかけている魔理沙のことは頭の片隅に追いやられているようである。

流石にそろそろ止めねばなるまいと考えたのか、それとも此処に着いてから全く埒が開いていないことに気がついたのか、霊夢が動いた。
歯を食いしばり渾身の力を込めた、ある種神々しい姿のアリスに声をかける。

「は〜いはい、そこまでよ、アリス。ちょっと落ち着きなさい。じゃないと、ホラ」

「……? ……!? ああっ!? 魔理沙!!」

「そう、アンタの下の白黒が真っ白になっちゃうから」

 霊夢が指差した先、アリスの腕の下で、魔理沙がコンニャクのようにフニャフニャになっていた。
泣き腫らした瞳に虚ろな光しか残っていないのは、けして気のせいではないだろう。

「ちょっと魔理沙、大丈夫なの、こんなになるまで我慢して! 死んだらどうすんのよ!」

「……アンタがそれを言うか……」

 口の端から涎と一緒に何かが出かけている魔理沙の胸倉を掴むアリスの腕を、霊夢が押さえながら呻いた。
哀れにもその勢いで再び地面に放り出される魔理沙。正しく踏んだり蹴ったりである。

「私も今回ばかりは、貴女に同情の念を禁じ得ませんよ」

「……ううっ…… 一体何だというんだ……」

 そう言いながら文は生き生きとした表情で、固められていた手足を無意識に痙攣させる、魔理沙のあられもない姿にシャッターを切り続ける。
そのキビキビした仕事振りに同情の片鱗すら感じられない。

「今更ぼやかない。自業自得でしょ、魔理沙。それと、アリス?」

 霊夢は言葉の上ですら同情せず、ピクピクと悶えている魔理沙に白い目で見下ろし、バッサリと切って捨てると、アリスに呼びかけた。

「なっ! 何かしら?」

 何処からともなく取り出した手鏡で身繕いをしていたアリスが、急に話を振られたことに驚いて背筋を伸ばして答えた。
霊夢は人差指で自分のリボンの辺りを指し示しながら続ける。

「部屋の片づけはゆっくりで構わないから、ついでにその格好も何とかしてきなさいな。アンタ、髪ボサボサよ?」

 その言葉に慌てて四方に跳ねたブロンドの髪を両手で蓋するように隠し、アリスが霊夢を上目遣いで見る。

「……ううっ、ありがとう霊夢。今日の貴女は天使か何かに見えるわ。天使なんて見たことないけど」

 アリスの言葉に霊夢は呆れ顔で笑った。
アリスの賛辞の言葉など全く信用していない様子である。

「こんな時だけ調子がいいんだから。まあ本当にそう思うのなら、今度神社に来た時にお賽銭でも入れていって頂戴な」

 如何にも当てにしていないという心意が、あからさまなまでに込められた言葉である。
しかしいそいそとした様子でドアノブに手をかけるアリスは、霊夢の皮肉に構っている余裕はないようだった。ドア越しに振り向いて、愛想笑いを浮かべる。

「そうするわ。……どうせ次に神社行く時には忘れてるでしょうしね」

 そして最後はボソリと聞えない程度の小さな声で言った。

「ん? 何か言った?」

 未だ地面でピクピクとのたうっている魔理沙を爪先で突いて遊んでいた霊夢が、その呟きにアリスの方を振り向く。
反応するとは思っていなかったアリスは、誤魔化すように慌てて手を振った。

「えっ、ええっ! たっ、たまには神頼みも悪くないかもねー、って言ったのよ」

 右に左に瞳が泳ぐアリスを、霊夢は疑わしげな目で見やると、口の端をキュッと釣り上げた。お世辞にも天使に見えない邪悪な笑みである。
それどころか神に仕える巫女のするような笑顔にも程遠い。

「嘘ばっかり言ってないで、さっさと片付けて来なさいって。……聞こえてんだからね」

 威圧感をタップリ含んだドスの効いた声に、アリスが「ヒィ」と小さく悲鳴を上げると、天敵に狙われた小動物のように怯えた様子でそそくさと亭の中へと引っ込んだ。

巫女の恐るべき地獄耳と巫女とは思えない威圧感に、今正にその巫女の足元で脇腹に爪先をねじり込まれている魔法使いと、
傍らでその様子をフィルムに収めている天狗が、ピッタリと息の合った身震いをした。

「……恐ろしい紅白だぜ」

「……全く。天狗も履物きっちり揃えて空飛んで逃げ出しますよ」

「あんたらは、もうちょっと本人に聞こえないように努力しなさいよ」

アリスの呟きを聞き逃さない霊夢の耳が、すぐ傍で、しかも普通に会話している声を拾い落すはずもない。
ムッと顔をしかめると、見せしめとばかりに魔理沙の脇腹を爪先でグリグリと抉る。

「痛っ! ちょ、痛いっ! それ地味に痛いって!」

「当り前よ。痛くしてるんだから」

「や、止めてっ! ホント痛いんだって〜!」

「これは私の心の痛みよ。思い知りなさい」

 そう言って魔理沙の静止の声にも聞く耳持たず一頻り爪先攻撃を加えると、
脇腹を抑えて呻く魔理沙を霊夢は両手を組んで仁王立ちで見下ろす。

「……ううっ、酷いぜ……」

そんな巫女を見上げて魔理沙が泣き言を言うが、それで同情や憐れみを乞える相手ではない。

「自業自得よ」

傲然と見下ろし、霊夢がキッパリと言い放つ。その言葉は、いつものように微塵の容赦もない。

「ということは、貴女にも何時か今日の報いが来るということですね?」

 そんな二人の姿をフィルムに収めながら、ふと思いついたように文が言った。
文の疑問に魔理沙が片手で脇腹を抑えながらも、威勢よく親指を立てる。その親指の意味が分からずに、フィルムを巻きながら不思議そうな顔をする文に魔理沙は続ける。

「見えてねえぜ、ブン屋。こいつの場合、報いは先払いじゃないか」

 霊夢に踏みつけられながら、魔理沙がとびきり皮肉気な笑みを浮かべた。

「だから神社にゃ御賽銭が少ない」

「ああ、なるほど」

 文がポンと手を打ち、

「余計なお世話よ」

 額に青筋を浮かべた霊夢が、魔理沙の背をグリグリと踏みつけた。

to be continued?

東方風妖譚(1)

東方風妖譚(3)

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