フォーエバー、シューティングスターズ(2)

トンネルを抜けると、そこは異世界だった。

 と言っても、見た目には何処が如何変わったか実感が持てない。取り立てて変な生物がいるわけでもなし、奇妙な鳴き声が聞こえるわけでもない。

 時は夜。辺りは変らぬ夜の闇に覆われ、見上げる空には変わらない数の数多の星が瞬いている。

 場所は人里。そしてことここに至り、私たちはここが異世界であることを実感した。

「夜なのに、何か賑わってるなぁ!」

 魔理沙が声を弾ませるのも無理はない。日もとっぷり沈んだというのに、人里には煌々と灯りが灯っていた。ただそれだけのことなのに、闇を吹き散
らすかのように活気に溢れた夜の人里は、僕たちが「別の」幻想郷にやってきたのだと実感させるに十分だった。

「さて、まず何処に向かおうかね?」

「そんなもの、まずは酒場に決っているだろう?」

 即答した魔理沙に、妖夢が疑わしげな目を向ける。

「まさかただお酒を呑みたいだけじゃ……」

 ねめつける妖夢に、怯む事無く魔理沙が小馬鹿にしたように笑う。それは何も知らない子供を大人が嘲笑うような、実に大人気ない笑みだ。

「さては何も知らないな、妖夢。冒険者の情報収集の基本は酒場と、太古の昔から相場が決っているんだ」

「それは何処の太古の、何処の相場ですか……」と、プウッと頬を膨らませて不満を示す妖夢に、魔理沙がポンポンと気安くその頭を撫でる。

「太古からの霧雨家伝来の家訓さ。知りたいことは酒場のジョッキの底にある、ってな。ついでにこんなのもあるぞ、油断するな。迷わず撃て。弾を切
らすな。ドラゴンに手を出すな」

「こらこら。嘘をつくんじゃない。妖夢が信じてしまう」

「……いえ、流石に今のを信じろというのは、ちょっと無理があるのでは……」

 妖夢が抗議をしたが、念には念を入れるに限る。

 勿論、そんなやりとりなど当の魔理沙は何処吹く風である。既に私たちのことなど無視して、誘蛾灯に群れる羽虫の如く、それでいて引き絞られた弓
から放たれる矢の如く一直線に、眩い灯りに向かって突き進んでいた。

「二人とも、とりあえずここは魔理沙に任せた方が、最終的に面倒は少ないんじゃないかしら?」

 振り返る事無くズンズン進む魔理沙の背を見ながら、アリスが肩を落とす。僕も頷く。

「そうだね。ここは彼女一人に全責任をおっかぶせるのがいいだろう。確かに此処に関する情報が何もないのでは、行動するしかないだろうしね」

「とはいえあそこまで無防備、無計画に動くのはどうかと思うのですが……」

「アレが無防備・無計画・無頓着・無警戒な分、私たちが何とかするしかないでしょうね。アレは強硬偵察係、あるいは陽動、または切り込み隊長だと
思うことにしましょう。そうしないと、この先にもたないわよ?」

 憐れむように、同情するように、アリスは妖夢の肩を叩いた。妖夢はそれに答える代わりに、これからどれだけのストレスに晒されるのかを想像した
のか、ドンヨリと表情が暗く沈みこむのだった。

「おお〜、これは見事な酒場だ。酒場らしい酒場だ」

「……今、適当に選んでましたね」

「気にしたら負けだよ」

「しかも看板すら確認してなかったわ。ああ、そういえば私も見てなかった。アレの大雑把さに感化されてるのかしら? 気をつけないと……」

 三人三様目の前を行く傍若無人に思うところがあるようだが、多くは語らずただ顔をしかめ、あるいは吐息を吐き、あるいは見てみぬ振りで黙って後
に続いていく。

 夜もすっかり更けているにもかかわらず、否、すっかり更けているからこそだろうか、酒場には酒と肴と煙草と人いきれのムッとするような臭いと熱
気と喧騒に満ち満ちていた。あちらのテーブルでは筋骨隆々の男たちがジョッキを呷り、こちらのテーブルでは旅馴れた装いの男女が料理の皿を前に死闘を
繰り広げている。彼らは勢い良く入店した新顔――言うまでもなく僕たちのことである――の方を一瞥すると、また再び談笑に戻った。恐らく見ない顔だが、
自分たちの同類だとでも思ったのだろう。ここではそんな新参者も珍しくないようだ。

 さて我らが切り込み隊長殿はというと、そんな周囲の反応などやはり意に介した様子も、その場の雰囲気に呑まれたり恐れたりする様子もなく、ただ
ただ一直線にカウンターを目指して、狭い店内を横切っていく。そしてどっかりとストールに腰をかけると、ドンと音を立ててカウンターに肘をつき、

「マスター! スピリット一つ! 後適当につまみを4人分! 大急ぎで頼む!」

「まいど〜あり〜」

 と音速で注文を済ませている。膝を突き合わせるほどの賑わいを見せる店の中を突っ切って僕たちが魔理沙の席へとやってきた時は、丁度魔理沙の元
にマスターが酒とつまみを運んできた所だった。

「おま〜ちどぉ〜さまぁ〜」

「お、お前はっ!」

「アンタっ!」

「ミスティアじゃないですか! こんな所で一体何をしているんです!?」

「……どうやら知った顔みたいだね」

 三人の様子を見るにどうやら彼女たちはこの酒場を切り盛りしている少女のことを知っているらしい。そして、その女将はというと料理の皿を並べな
がら、キョトンとしている。女将の方はこちらのことを知っているわけではないらしい。

「どうして私の名前を知っているのかしら〜、見ない顔のお客さん〜」

「こっちは良く知ってるけどな」

 おちょくっているように笑う魔理沙の前に、八目鰻のパイ生地焼きとスピリットの注がれたグラスを並べながら、少女が歌う。

「そっちは見るからに魔法使いぃ〜」

「残念。私は盗賊だ」

 八目鰻の蒲焼を置き、アリスを見る。

「そっちは見るからに人形師ぃ〜」

「違うわ。私は魔法使いよ。私は赤ワインをお願い」

ネギとごぼうタップリで汁気の少ないかやきの鍋をを妖夢の前に置く。

「そっちは見るからに戦士ぃ〜」

「すいません。庭師です。あっ、私は飲み物は結構ですので」

 そして僕の前に八目鰻をカリカリに揚げたものを置いて、マスターは小首を傾げた。

「そしてそっちの貴方は見るからに良く分からない、怪しい人ぉ〜」

「何故僕だけ怪しい人なんだ?」

 何故僕だけ怪しい人になるのか、むしろ僕以外がそう見られるべきではないのだろうか、そういう気持ちを込めて反論するが、マスターは既に僕に興
味などなかった。狭いカウンターの中で手を広げ、クルクルと独楽のように回っている。

「ここは「真夜中の歌姫」亭〜、無知で無謀な無一文な冒険者が集う場所〜、む〜む〜む〜、むざんのむ〜」

「知ってるよ。酒場は情報収集の基本だからな」

 一息スピリットを呷ると、魔理沙が得意気に言う。勿論クルクル回るマスターは聞く耳は持っていない。

「そして私がここの女将のミスティアよ〜。常連はみすち〜とも呼ぶわ〜」

「知ってるわよ。そして時々食べられる」

「良くご存知ね、見知らぬ人〜」

 クルクル回りながら、アリスに答えるミスティア。そのまま私たちの分の注文も取ると、クルクル回ったままグラスやら酒瓶やらの用意を始める。

 危なっかしい動きで、それでも何故かテキパキと良い手際で酒を用意しているミスティアの背を見ながら、魔理沙が僕たちの方に顔を向ける。酒精で
わずかに上気した顔で、眉間に深い皺を刻んでいる。

「しかしこれは一体どういうことだ? 何でこいつがここで酒場なんて開いてるんだ?」

 私たちの前に徳利とグラスワインと水を満たしたグラスを並べているミスティアが小首を傾げている。自分が話題の中心にいるとは思っていないだろ
う。そんなミスティアを横目に、アリスがワインを一口飲むと、「これは推測なのだけれど」と前置きし、説明を始めた。

「つまりこれは別の幻想郷のミスティア、私たちの住んでいる幻想郷のミスティアとは異なるミスティアなのね。この幻想郷のミスティアはこの幻想郷
の私たちと会ったことがないから彼女は私たちのことを知らない」

「つまりこの幻想郷にはこの幻想郷の私たちもいる可能性があると?」

 抜く手も見せず八目鰻のパイ包みに手を伸ばし頬張っていた妖夢が尋ねた。流石、不思議なことよりやその解明よりも食欲を優先する所など、あの主
にしてこの従者ありという感じである。まさかの食卓の刺客に、アリスも早くも皿の上から消えつつあるパイ包みに危険を感じたのか、小皿に自分の分を確
保する。

「そういうことね。ただ同時に私たちがいない可能性もある。もし紫が気を利かせていてくれたなら、混乱をさけるために、私たちがいない幻想郷に飛
ばしてくれたって可能性もあるけれど……」

「そんな面倒臭いことをアイツがするとは思えないぜ」

「同感です」

「右に同じ」

 妖夢が油やタレで汚れた指と口元を拭いながら、僕も魔理沙の言葉に同意する。しかし今僕の心中には、今の話題よりも魔理沙が咀嚼しているパイ包
みに向いていた。どうやら今魔理沙が咀嚼している分で、最後らしく皿は綺麗に平らげられている。僕は一口たりとも口にしていないのである。手を伸ばす
間も無くきれいさっぱりなくなっていたのだ。とりあえず食べ損なわないように、僕はしっかりと他の料理を確保しておくことにした。

「……でしょうね。私もそう思うもの。だから自分たちと遭遇しても不必要に慌てないように。どうやら基本的な正確とかはそれほど変わっていないよ
うだから……」

 八目鰻の蒲焼を丁寧に一つ一つ櫛から外しながらアリスが説明しているのだが、その側で魔理沙はそんな話など何処吹く風と、ぼんやりと天井を見上
げていた。

「同型機対決か〜。中々燃える展開だな! 一号機は汎用型、二号機は戦術核搭載型だな!」

 どうやら自分勝手な妄想を逞しくして楽しんでいるようである。どんな妄想なのか、物騒なことこの上ないので聞きたくはない。

「……無益な争いごとに、間違いなく発展するから」

 今正に脳内で無益な争いに興じている隣の席を見ながら、溜息混じりにアリスが説明を締めくくった。

「……分かりました」

「ほら。君に言ってるんだよ、魔理沙」

 私が魔理沙の肩を揺すって、一先ず現実に帰らせる。とりあえずここで一言宣誓させておかねば、三人とも不安で仕方がないのだ。いや、口に出させ
た所で、実際いとも容易く反故にされるのだろうけれど。

 ハッと我に帰ると、魔理沙は私に親指を立てて見せた。

「任せておけ、香霖。私が一番上手くミニ八卦炉を扱えることを教えてやるぜ!」

「……駄目だこりゃ」

 結局不安が募るだけの結果になってしまった。予想通りと言えば、予想通りでもある。

 呆れる僕たちを尻目に豪快に蒲焼にかぶりつく。口の周りがタレでベトベトになるが、舌と手で拭う。テーブルマナーもへったくれもない食べ方である。

「そんなことより、香霖。どうせならここで必要な材料を揃えるには、どれくらい何が必要か、聞いておくのがいいのじゃないか?」

 指についたタレを舐めとり、魔理沙が的確な発言をする。全く、話を聞いているのかどうか周囲にわかるようなポーズをとってもらいたいものである。

「確かにそうだね。君にしては珍しい真っ当で建設的な意見だ。ミスティア、済まない。これが欲しいんだが、ここでの相場はどのくらいのものだろう?」

 話を引っ掻き回していた本人の言うとおりに動くということに些かのわだかまりを感じながらも、僕は懐から帳面を取り出し、一人で気持ち良さそう
に歌っているミスティアに材料と必要量が書かれたところを見せた。

 帳面に並ぶ名前を一通り歌詞にして歌い上げると、帳面と僕の顔を交互に見た。

「は〜、高級素材をこんなにも〜、一体何をするつもりかしら〜。もしかして怪しい貴方は行商人〜?」

「おしい。僕は商売人は商売人だが、店舗持ちさ」

 その様子に少しばかり得意になり、僕は軽く胸を張って、お猪口の酒を一息で呷った。すかさず酒を注ぎ足すミスティア。何だかんだでしっかりした
接客をしている。

「成程〜。それで自分で仕入れに来たってわけね〜。ちょっと待ってて〜。ここいら辺に、今の相場の早見表が〜……、っと、あったあったわ〜」

 カウンターの下に潜り込んでしばらくガサゴソとやって帳面を一つ取り出し、バタバタと叩いて埃を払うと、空になった皿を退かして私たちの前に広
げた。グラスを、小皿を片手に、両手に蒲焼の櫛を、思い思いのものを持ちながら、僕たちが雁首揃えて帳面を覗き込む。

 それは市場に出回っている様々な材料のおおよその相場を記したものだった。しばらくその表と睨めっこを続けていたのだが、誰からともなく椅子に
深く腰掛けて、重苦しい息を吐いた。

 帳面から顔を離してからしばらく、誰も口を開かなかった。それは決して酒の御代わりを頼んだり、追加で料理を注文していたからだけではない。

「ふむ、結構するな。手持ちで足りるのか?」

「……駄目だね。手付けくらいにしかならない」

 妖夢とアリスの視線を受けながら、僕はそれでも落胆した表情を浮かべてしまう。今目の前で見た相場から、今の手持ちでは到底足りない。まさかこ
こまで高級品だとは思っても見なかった。

「ではどうしましょう?」

 妖夢が心配そうに言う。それはそうだろう。クエストを達成しない限り、僕たちは帰れない。それはつまり僕たちに雇われている妖夢も同じだ。そう
なると幽々子の我侭を誰も御することができないということ。そしてその後始末を誰がするのか、考えたくたくないだろう。

 僕がなんとか彼女の気を紛らわせようと口を開こうとした時、良い感じに酔いが回ってきていた魔理沙が大声で笑った。驚く僕たちに構う事無く、魔
理沙はひとしきり呵々大笑すると、妖夢の肩をバシバシと叩いた。

「何を言っているんだ、妖夢! ここを何処だと心得ている! ここは一攫千金を夢見るならず者の巣窟じゃないか! 金になる話の一つや二つや三つ
は必ず転がっているもんだ! 金はあるところから奪う! これは冒険者の基本だ! そうすりゃこんなくだらないお使いなんて、あっという間にミッショ
ンクリアだ!」

 酔っ払いに絡まれて妖夢が眉をしかめたが、魔理沙を見た瞳には刃の鋭さが宿っていた。

「先に言っておきますが、あまり人様の迷惑になるような仕事はお断りですよ」

「同感だね。後味が悪いのは、別世界だとは言え気持ちの良いものじゃない」

 鋼の硬度を帯びた妖夢の声に、僕も同意する。それと同時に諌めるように妖夢の肩に手を置く。……やれやれ、喧嘩っ早いのは魔理沙だけで十分だと
いうのに。

「ですってよ、魔理沙? それともアンタは、そんなに畜生仕事がしたいのかしら?」

 とどめとばかりにアリスが嘲るように言って、グラスを呷った。先程までのお返しとばかりに皆から意地悪を言われた魔理沙はというと、本人も勢い
で言った言葉にここまで辛辣に反撃されるとは思っていなかったらしく、顔を真赤にしてモゴモゴと口ごり、櫛でカウンターを意味も無く突いていた。

「……べ、別に私だって押し込み強盗まがいのことをしたいわけじゃないさ……だっ、だからって元でがなけりゃ、仕事を選り好みしている暇もないだ
ろう! それに誰も無辜の民を襲うって言ってないじゃないか! そう、私たちはそんな無力でか弱い、そしてお金を持っている人たちから仕事を請け負い、
その分け前に預かろうっていう、高潔な無頼漢なんだよ! 正に冒険者の鏡! サクセススートリーの第一歩だぜ!」

 と、打ちひしがれていたのも何のその、一席打って自分の言葉に清々しい笑みを浮かべている魔理沙。そんな言葉など柳に風と、心の琴線に触れるこ
とも無かったらしいアリスが、冷静な声で答えた。

「ま、そうね。それは正しいわ。正しいけれど、そこまで考える前に、一度どんな仕事があるか実際に見てからでも構わないのではないかしら? マス
ター、今どんな仕事があるかしら?」

「仕事はそっちの壁に貼ってるわ〜」

 クルクル回りながら、僕たちの右手の壁を指さすミスティア。よくあれだけ回ったり踊ったりして目が回らないものと感心する。それどころか、その
状態で歌い、なおかつかなりの手際のよさでこのごった返す酒場の注文をさばいていく。それは既に神業と呼ぶに等しいだろう。否、もしかしたら歌って踊
って回らなければ、仕事ができないということかもしれない。

「沢山ありますね〜」

 そんな風に僕が妄想を逞しくしている間に、三人とも人波を掻き分けて依頼が張られている壁まで行ってしまった。一言言ってくれてもいいだろうと
思ったが、それを言うと何だか構って欲しいみたいに聞こえてしまうので言わない。

「そうね。けれど出来るだけ少ない仕事で用が足せるようにしなくちゃ。楽そうで、なおかつ報酬がいいもの」

 壁の依頼書を胡乱気に見ながら、わざわざ持って来たらしい、ワインのグラスを傾ける。どうやら彼女にとってこの手の面倒事は、頭を悩ませること
などない、酒の肴程度の事案らしい。

「そんな都合の良い仕事があるかな?」

 三人の後から壁を睨み、僕はそう言った。縁がよれたもの、すっかりすすけてしまったもの、誰かがいたずらがきしたもの、そんな依頼書の山を見な
がら顎に手を当てる。恐らくタイミングの問題なのだろう、どうやら見る限り割のいい、あるいは多少危険でも報酬のいい仕事はなさそうに思える。どれこ
もこれも賞味期限切れのようにしか見えない。

「諦めが早いのが、香霖の悪い所だな。例えばこんなのはどうだ? 正しく一石二鳥だぜ?」

 そう言って魔理沙はふちの寄れた皺くちゃの依頼書を壁から引っぺがして、僕の眼前につきつけた。「勝手に取っちゃっていいのかい?」と言おうと
して、その依頼書に書かれたデカデカとして原色でケバケバしいイラストに目が惹かれ、僕はその依頼書を手に取った。そこには背中に羽根をもつ太った四
足獣が描かれている。もしこのイラストが性格に現実を書き写しているとすれば、僕は自分の現実認識能力を疑わなくてはならない。

「……これは大した画伯ね」

 横から覗きこのんだアリスがイラストを見て呟いた。どうやら僕の脳髄は正確に外界を捉えていたらしい。

「『街道に現れる巨大猪婆竜討伐。報酬要相談。馬借ギルドその他』……何このデス・ミッション……」

 アリスはイラストを一笑にふし、依頼内容に溜息で答えた。用は物語の王道のドラゴン退治である。よもや幻想郷に住まう龍神が街道を襲うはずもな
いので、恐らく害獣の類だろう。それでも猪が田畑を荒らすのとは訳が違う。まあ、この面子ならば物語のドラゴン程度なら互角か、それ以上で戦えるだろ
う。勿論、僕は戦力外である。どんな英雄譚にも、それを紡ぐものが必要だからだ。

「そういうがアリスよ。今私たちは、これくらいの仕事を何個かこなさにゃならないぞ?」

 魔理沙が渋面を作る。それは依頼を円滑に進めるのが不安かとアリスをなじっていると言うよりも、どうして自分の遊びを邪魔するんだとそんな感じ
である。

 その両方を感じたのだろう、アリスは冷静に切り返す。少し頬が赤いが、酒精はその怜悧な思考を鈍らせるまでには至っていないらしい。

「確かにそうでしょうけれど。いきなりこんなキツイ仕事から始めなくてもいいんじゃないかしら? 私たちはついさっきこの幻想郷に来たばかりで、
ここがどんなところかも良く分かっていない。もう少しこの世界の情報を得てからでも遅くはないと思うわ。そんな命の危険しかないような仕事、そうそう
なくなるわけないわ」

「正論だね。魔理沙、まだそんなに慌てなくてもいいだろう。引き受ける仕事やその順番は、もう少し他の仕事も見てからでもいいだろう」

 僕もアリスに同意する。依頼書が依頼書を隠してしまって、一度に全部の依頼を見ることができないのだ。魔理沙も軽く肩をすくめたが、そんな状態
の壁を見て苦笑を漏らした。

「だな。私としたことが功を焦り過ぎた……っと、さっきから熱心に壁を見詰めているが、何か言い仕事を見つけたか、妖夢?」

「い、いえっ! な、何も見てませんよ!」

 魔理沙の言葉に目をやると、何時の間に壁から引き剥がしたのか、妖夢が一通の依頼書を読んでいた。表情から察するに、どうやら魔理沙にだけは見
つけられたくなかったらしい。そしてそういう機微を見分けるのは、魔理沙は大の得意なのである。

「……おぉ! ダンジョン探索じゃにあか!」

 妖夢の手からガキ大将よろしく依頼書を取り上げると、その文面に魔理沙が歓喜の声をあげた。

頭痛を抑えるようにこめかみに指を当て、心底うんざりした顔でアリスもその依頼書に目を落とす。

「『鉱山資源採掘のための調査 鉱山ギルド』……報酬もソコソコいいのが問題よね」

「何が問題なんだ! 報酬もよいダンジョンなんて、潜らにゃ損ってもんだろうが!」

 クワッと目を見開いて魔理沙が一喝するも、アリスの頭痛は止みそうにない。否、余計に余分なものを注入されたらしく、ますます表情を曇らせた。

「いいえ、こっちの話。けれど現状を鑑みるに、今のところその依頼だけが条件にあう唯一のものみたいね」

「だ、大丈夫ですよ、アリス! この依頼を終えている頃には、また新しい依頼が舞い込んできてますよ。きっと私たちの眼鏡に適うような素晴らしい
依頼が!」

「ありがとう妖夢。けれどそれは希望的観測に過ぎるわ。あまり期待していると裏切られた時つらいわよ?」

「……みょん」

 重ね重ね憂鬱の度合いを増していくアリスを妖夢が励ますが、何故か二人とも沈んだ表情で俯くという皮肉な結果になっている。出来ることなら僕も
その輪に加わりたいのであるが、栗色の髪の黒白盗賊の兼業魔法使いが、ミスティアからかっぱらってきた購入素材の費用早見表と首っ引きで何かを考えて
いることのほうが、より建設的でのちのちの危険を回避することが出来そうだったので、その姿を静かに見守っていたのである。

 当の魔理沙はスカートのポケットから取り出した小指ほどの長さの鉛筆を舐め舐め、依頼書の裏に何かの計算式を書き連ねていた。その真剣な眼差し
から、チラシの裏に書くには勿体無いような利便性がある数字の列に見えるが魔理沙は頓着しない。しばらくカリカリと一心不乱に計算していたが満足でき
る結果が算出できたのか、並んだ計算式の下、魔理沙が大きな丸で囲んだところを指し示しながら、僕に見せた。

「香霖よ、ここの相場と今の状況を鑑みるに、その定期的に街道沿いに現れるっていう巨大猪婆竜一匹仕留めて、チンの卵と蠍と霊亀を交換してもらう
ってのが、一番効率いいんじゃないか?」

 魔理沙の言葉と指し示す数字、そしてそれをはじき出した計算式と睨めっこして検算しながら、僕はその言葉が正鵠を射ていることを知る。ただ不良
ドラゴンと一戦交えたいだけではないらしい。

「他のはどうする?」

 僕は当然の疑問を口にする。早見表には「時価」、つまり需要と供給のバランスを量り、価格の書いていない素材が幾つかあるのである。

「残りは結局自分たちで狩りに行くのが一番でしょう。幸いラミアやら大女郎蜘蛛やら大蝙蝠やらは洞窟に住んでるから一時に集められるでしょう」

 何時の間にか鬱状態から脱したアリスが、私と魔理沙の間から首を伸ばし、計算式を見ながら頷いている。流石憂鬱のプロである。気が滅入るのも早
ければ、鬱状態を操る程度の能力もあるらしい。どうやらスッパリ鬱状態から戻ってきたらしい。

 その言葉に魔理沙が声をあげる。鬼の首を取ったというのは、こういうことだろう。正に勝ち鬨である。

「ダンジョン探索! シーフが役立つだろ!」

「問題は腐海蟲(ヘビケラ)と薄馬鹿下郎ですね」

「聞けよっ!」

 しかしそんな雄叫びなど何処吹く風と、サラリと妖夢が流した。流石魂魄流の使い手である。どんな激しいツッコミと勢い殺さず左から右へ。

 勿論流した厄を沈着冷静な人形遣いが拾うわけがない。魔理沙の発言自体が無かったように妖夢に答える。

「そっちはまた狩りに行かなきゃなんないでしょう。そもそもこの早見表を見るに、まともに市場にすら出回ってないんだから。どうやらそれほど需要
もなさそうだし、面倒なことね。まあ有難いのか、こっちも生息地域は重なってるみたいだし、一時に必要な分だけ確保すればいいでしょう。……と、そう
だ。香霖堂さん」

「何だい、アリス?」

 そこまで言って、アリスが僕を見る。何事かと目を瞬かせる僕に、アリスの操る人形が一体、スッと僕の胸元へと寄ってきた。僕はそれを受け取る。
一見してアリスが今も操っている人形と何ら違いは無かったのだが、その人形に触れるや否や、その人形の意義、つまり「名前とその用途」が流れ込んできた。

「これ、持ってて下さい。使い方は……、説明しなくても分かるんでしたね。便利だわ、その能力」

 説明中に僕の能力を思い出し、アリスが微笑んだ。

「香霖のインスピレーションはチートがかって回数制限がないからな……って、何だその人形? 闇に惑いし哀れな影よ、ってやつか?」

 僕の手の中の人形をシゲシゲと眺め、魔理沙が好奇心を剥き出しにする。それでも人形に触れようとしないのは、用心深いというのか賢しいというべ
きなのか。

 妙な視線を投げかける魔理沙に、アリスはやや拗ねたように人差し指を立て、左右に振って説明を始める。その姿は寺小屋で何度説明しても理解して
くれない学童を相手にしている教師のようである。

「そんな物騒な代物と一緒にしないで。これはスケープドール。いわゆる身代わり人形よ。これに髪の毛や爪なんかの自分の体の一部を埋め込むことで、
自分に被るダメージやらなんやらをこの人形に移し変えることができるの。限度は自分が耐えうるダメージまでだけどね。本来なら妖夢辺りに持たせてダメ
ージ無視で吶喊させるのが戦術上効果的なんでしょうけれど、この面子で荒事に慣れてない香霖堂さんが流れ弾に当たって死なれたりしても困るしね」

「むっ……仰ることは最もだが、もう少し歯に衣を着せていただけると嬉しいね」

 実に冷静且つ的確に現状を分析しているのだが、ただ一つ、その僕がまるで足手まといであるかのような言葉だけは、もうすこし柔らかい表現を使っ
て欲しかった。しかし私の意図がアリスに伝わることはなかった。というのも、予想通り私の意図をアリスが汲んでくれる前に魔理沙が口を開いたからである。

「なぁ、その人形二つ持ってるとかないか? もう一つあるなら、そっちは売っ払ってしまってだな……」

「残念ながらこれ一つよ。ゲームバランスを壊すような発言をしないように」

 そろりそろりとまるで腫れ物に触れるかのように切り出した魔理沙を、アリスが言下に一蹴した。余計なことをいうな、ということらしい。

「ちぇ、つまんない奴だぜ。ちょっとくらい楽してもいいじゃん……」

そう言って魔理沙が膨れた。

「……あの二人、一体何を話しているのでしょう?」

 取り残されたように佇む妖夢が、話について行けなくて悲しいのか、それともホッとしているのか良くわからない泣き笑いのような顔で僕を見た。

「気にしたら負けだよ、妖夢」

 そう言って僕は妖夢の肩を叩いた。その通りである。知らなくても良いことは、世の中に沢山あるのである。それは例えば魔法アイテムの販売価格だ
ったりするのだが、それは全く別の話。

 閑話休題。そんな風に僕と妖夢が、アリスに同情しながら魔理沙に涼やかな視線を送っていたのだが、二人の話も一通り終わったらしく、魔理沙が依
頼書を握りつぶしてスカートのポケットに入れ、空いた片手を握り締め頭上に振り上げ、何やらとんでもないことを宣言した。

「方針も決ったし、さぁ後はひたすら呑むぞ!」

「「「なんでそうなるの!」」」

 僕とアリスと妖夢の声が綺麗に揃った。明日からが本番だというのに、この黒白少女は何を言っているんだとそう思うのは当然だ。しかし矢張り僕た
ちの言い分など知ったことではないと、魔理沙が声を張る。

「ハモらせて何を言ってる! 三人で騒がしくやるのは騒霊チンドン屋だけで十分だ! 明日から忙しくなるから、今日騒ぐのは当たり前だろう!」

 そう言うや否や僕たちの制止の声も聞かず、ミスティアに向かって4人分の酒を注文しているのだった。

 まさか酒代で元の幻想郷に帰れなくなるなんてことにはならないだろうかと、僕は今まで祈ったことのない神様に祈らずにはいられなかった。

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