塵塚怪王

それ森羅万象におよそかたちをなせるものに、長たるものなきことなし。
麟は獣の長、鳳は禽の長たるよしなれば、このちりづか怪王はちりつもりてなれる山姥とうの長なるべしと、
夢のうちにおもひぬ。

   ―百器徒然袋 上

 どうしてこんなことになったのか、私こと香霖堂店主である森近霖之助は溜息をついた。
今日何度目になるだろう。気がつけば溜息ばかりが漏れている。

私が立っているのは、香霖堂の裏手にある蔵の前である。蔵には仕入れてきた古道具を仕舞っている。
否、今となっては「仕舞っていた」、と表現した方がいいだろう。

 昨日まで有象無象がひしめいていた蔵の中は、今はまるでそれが夢か幻だったかのように空っぽ。
そしてお世辞にも綺麗とは言えなかったが、それなりに見苦しくない程度には手入れをしておいた裏庭には、
蔵に収められていた古道具たちが所狭しと雑然に並べられていた。その有様は露天のようである。

「まるでお地蔵様が恩返しに来たみたいだな」

 私の隣で霧雨魔理沙が言った。全く暢気なものである。

「お礼参りの間違いじゃないのかい? それに恩返しにしろ何にしろ、地蔵がこんな酷いことしないよ」

 私は事の主犯である彼女に向かってそう言った。しかし魔理沙は何時ものように全く堪えた様子はない。
やれやれと肩をすくめると、

「そうカリカリしなさんな。ここまでくれば、後半分じゃないか」

 と言った。その言に私はムッとするやら呆れるやらで、結局また肺腑の奥から吐息を搾り出した。

「それは認識の違いだ。まだ半分もある。それにその残りは萃香の能力で上手く集まらなかったものばかりだ。
それに彼女も、もう僕たちを手伝ってはくれないだろうし……」

 私はそう言い、後で既に酒盛りを始めている呑んだくれの姿を見る。あれでは酒と肴とそれ以外ぐらいの区別しかできないだろう。

 魔理沙もチラリと背後の酒宴を一瞥し、鼻を鳴らす。

「気にするな。あいつは端からアテにしてない」

 ……全くどの口でそんなことを言えるのか。
僅か半刻足らずで散逸した古道具の大半を掻き集めることができたのは、疎と密を操る彼女の能力のおかげであるということなど一顧だにしていない。
勿論、自分がしたことを反省することもない。

私はこれから後に控えているだろう面倒事に、既に肩凝りがし始めていた。

「なら魔理沙。君だけで残りを集めるのが筋ってものじゃないかい?」

 私は半ば本気で半ば意地悪で、そんなことを言った。しかし彼女はまた飄々と肩をすくめる。

「何を言う。世の中には使用者責任という言葉があるんだ。店の主として香霖が手伝わない道理はあるまい?」

 そして唇を意地悪げにひん曲げる。全く、この悪童ときたら小憎らしいことこの上ない。あくまで私を巻き込む腹である。
しかし彼女が言うことにも一理あるのは確かなのだ。だからこその憂鬱である。

 私は今日何度目かの溜息をついた。そしてどうしてこんなことになってしまったのかなどという、詮無いこと考えていた。

「香霖、新しい魔法の実験台になってくれ!」

 魔理沙がいつものように胡乱なことを言い押しかけてきたのは、そろそろ昼食でも摂ろうかと考えていた時のことである。

 穏やかな一日であった。外の暖かな陽気が店の隅々にまで染みこんでくるようで、私は店の奥の帳場で本など開いてうつらうつらとしていた。
ページを繰る手は遅々として進まず、閉じた瞼が古紙に記された文字を追うこともなかったが、
その無為なる時間は喩えようもないほど甘美なものであることは、眠りの悦楽を知るものならば容易に納得してくれることだろう。
しかしその穏やかなまどろみも、勢い込んだ魔理沙の声に打ち破られてしまった。

 店の戸を開けた派手な音で私は現に戻ってきていたのであるが、
至福の時間を奪われ、愛想良くできるほど人間はできていないし、その不満を爆発させて暴れまわるほど妖怪を極めているわけでもない。
私にできることといえば、しばらくの間うたた寝を破った迷惑な闖入者に憮然とした表情と寝起きで焦点の定まらない瞳を向けることが関の山であった。

 そして魔理沙の無茶な注文である。彼女の日頃の行いを考えうるに、これ以上の最悪な注文はないだろ
う。彼女を知る者であれば、直ぐに首肯できる。知らぬは本人ばかりである。

 私の眼前で腰に手を当て仁王立ち、歯を剥きだして自分の要請が受け入れられることを信じて疑わないというように自信満々に笑う魔理沙。

「……断る」

 私は短く応えた。長く口を開くのが億劫だったし、口を開けば苦言しか出てこなかったからだ。そうして意識を眠りの縁に沈めてしまおうと、再び私は机に突っ伏した。

「何故っ! 私の成功の礎となる栄誉が与えられたというのに! その権利をそんなにあっさり放棄してもいいのかっ!? こらっ! 人が話している時は、相手の顔を見る!」

 私の視界が机から引き剥がされると、見慣れた少女の瞳が私の瞳を捉えた。黒目勝ちな瞳に、力強い意志が宝石や綺羅星もかくやとキラキラと輝いている。

 私は溜息を吐いた。思えばこれが今日一度目の溜息だった。

 魔理沙がこんなに活き活きした瞳をしている時は要注意なのである。
魔理沙がこんな目をしている時は、周囲の迷惑など顧みず満足するまで暴れ周り全てを蹂躙するからである。当然傍らにある者の胸中など暴走する彼女が気に止めるわけもない。

 私の憂鬱をどう理解したのか、魔理沙は私の肩をバシバシと叩く。少し、痛い。

「なに、そんなに心配するな! 成功すれば香霖だって役得があるんだぜ!」

 どうやら私がただ振り回されることに対してのみ不満を表明していると考えたらしい。
けしてそういうわけではないのだが、そんなことよりも今は魔理沙の言葉の意味の方が気になった。私にも役得があるとは、どういうことなのだろうか?

 眉根を寄せた私の表情で疑問符を読み取った魔理沙は、断りもなく私の隣にドッカリと腰を下ろす。そこに置いていた商品は勝手に奥に押しやられてしまう。

 腰を据えて説明をする体勢を取ると、魔理沙は私の肩に肘を置いてニヤニヤ笑う顔を寄せた。
まるで悪巧みを耳打ちするようである。吐息が頬に当たってくすぐったい事この上ないのだが、この際、何も言わなかった。

 そして開口一番に言った。

「つい最近、家を掃除しようとしたんだ」

「君がかっ!」

 その一言で私の眠気が一気に冷めた。

「……何だ。私が家を掃除してはいけないという決まりでもあるのか?」

 私の反応に急に不機嫌になる魔理沙。どうやら本気だったらしい。
私が最後に魔理沙の家の中を見たのは随分前になるが、その時ですらどこに何が仕舞われているのか見当すらつかなかった。
それからも、彼女の暴れっぷりは霊夢などから聞いて知っている。今ではあそこがどのような魔窟になっているのか、想像するだけで背筋を冷たい汗が流れるというものである。
しかしこれ以上彼女の機嫌を損ねさせるのは不味いので、私は考えていることはおくびにも出さず涼しい顔をした。

「いや、最近はそういう冗談が流行っているのかと思ってね。気にしないで先を続けてくれ」

 魔理沙が小首を傾げ、不審げな顔をする。だが自分のしたいことがある時は邪魔さえされなければどこまでも突っ走るのが彼女である。
それ以上その疑問を問いただすことはなく、直ぐに今日の用向きを話し始めた。

「……何か引っかかるが……ま、それでだな。どうも色々と物が増えちまったんで、どこから手をつけようかと、少々悩んでいたんだ」

 腕など組んで悩んでいる振りをする魔理沙。
言葉は正しく使ってもらいたいものである。「少々」悩んだ程度で、あの家の整理整頓ができるはずもない。
下手に手を出せばあの家は家主すら出入りの叶わない魔界へと変貌するという自覚が、魔理沙には「かなり」欠けている。

 そんな無自覚な収集家は滔々と語る。

「そこでだな、この才気と稚気溢れる霧雨魔理沙は思いついたってわけよ」

 そこまで喋ると、魔理沙は私に意味あり気な流し目を送る。「何に気がついたか、気になるだろう?」という視線。

 その時、私は全く別のことを考えていた。

……確かに稚気は溢れている。それこそ才気が溢れるはずの隘路も伝って溢れているな、などと……

「……一体何を思いついたんだい?」

 語頭の沈黙に「どんな碌でもないような」という言葉を隠して私は尋ねた。

 私の問に魔理沙は誇らしげに胸を張る。自分から質問するように誘っておきながら、それでも誰かが興味を示すと満更でもないらしい。

「その世紀の発見は、正しくコペルニクス的大回転により生まれたのだ」

「はぁ……」

 そう言ってから「ところでコペルニクスって何だ?」などと私に尋ねる魔理沙に、私は覇気のない返事をした。
そんな私に魔理沙が「何だつまらない反応だなぁ」などとぼやくが、空咳一つ吐いて説明を続ける。

「私は気がついたんだ、整理整頓の極意に。それはこういうことだ。
人が物を整理しようとするから困難が生じるんだ。何故なら人は物じゃないからな。どうしても自分の考えで物を配置しようとして、我が生じて失敗する」

 魔理沙は分かるような分からないような説明を続ける。だが何となくではあるが、彼女の言わんとしていることに見当はついたのだが、ここは魔理沙に華を持たせる事にした。
得意気に振るう長広舌を無粋な横槍で鈍らせることもあるまい。別に喋ることが億劫に感じたわけではない。

「つまりだな、自分の収まるべき場所は自分たちで探させようと、そう考えたのだ。何事も甘やかすことは良くない」

 自分の言が正しく金言であるとばかりに、魔理沙はウンウンと何度も頷く。……その言が単なる鉛に金箔を貼っただけに感じるのは、きっと私の浅学故なのだろう。

「成程。理屈は分かった。確かに自分の住処は自分で決めるのが、一番落ち着くだろう。それは良い。
それは良いが、一体どうやって物の望みを聞くんだ? まさか一つ一つの物に希望を聞いて回るわけにもいくまい? そんなことをしているうちに季節は一巡してしまうぞ?」

 否、一巡で済めば御の字だろう。六十年など経とうものなら一巡目の記憶など華と一緒に散ってしまう。そうなればまた一からやり直さねばならない。

 それには抜かりはないと魔理沙は力強く頷く。それはそうだろう、抜かるのはこれからなのだから。

「一時的に器物を妖怪化させる。そして自分たちで自分たちの居場所を決めさせるのだ」

「……そんなこと、できるのかい?」

 成程。収集家ではあるが溜め込むばかりで整理整頓の苦手な魔理沙らしい発想である。面倒事は人任せにしようという発想の窮極の姿であろう。
不精であることは否めないが、その発想はいいだろう。問題は「そんなことができるのか」ということである。
魔法について疎い私には、残念ながらその判断はつかない。しかしそんな私の疑問にも、魔理沙の表情に浮ぶ自信は僅かも曇らない。

「それを今から実験しようとしているのさ。萃香のヤツが妖気を集めているのを参考にして術式を組んだから間違いはないと思うが、何があるか分かんないし。
万が一のことが自分の家で起らないように、此処で一度試してみようと思ったんだ」

 成程。それで成功の礎となるという訳か。確かに始めて用いる魔術がどんなふうに作用するかという危険はある。そして始めに魔理沙が言った役得という意味も理解できた。
確かに成功した暁に得られるものは中々馬鹿にできないことも理解した。

「つまりその実験に裏の蔵を使わせろ、ということかい?」

 我が意を得たりと魔理沙が満面の笑みを浮かべ、頬をすり合わせんばかりに顔を寄せる。

「そう言うこと。これなら私の実験が成功すれば香霖堂の棚卸しにもなるだろう? 一度蔵の中を整理したいって前々から言ってたじゃないか?」

 確かに彼女の言う通りである。自分の蔵の中のことに思いを馳せるのならば、私も彼女の家の収納について悪く言うことばかりはできないのである。
魔理沙の家を魔窟と呼ぶのなら、我が家の蔵は百器の巷に違いない。
一応在庫の確認はしているのだが、それを上回る勢いで物が増えていくので、何がどこにあり何がないのか、既に把握しきれなくなっていた。

 後から冷静に考えるに、この時の私は既にどうかしていたのだろう。この手の魔理沙の要望は、話など聞かずに突っぱねてしまうべきであったのだ。
人間(それは妖怪も半妖怪も、諸々を含めて)下手に話を聞いてしまうと欲が出てくる。そしてその手の欲は身を滅ぼす第一歩なのである。

しかしこの日の私はどうやら普段の私ではなかったらしい。恐らくうたた寝している間に、穏やかな陽気は私の理性も蕩かしてしまっていたようだ。

「……フム。そういうことならば構わないだろう。ただし、これが上手くいけば、今後も蔵の整頓も請け負ってくれるというのなら、だがね」

「話が分かるじゃないか! 任せておけ! 私が香霖堂専属の倉庫管理者になってやるよ!」

 私の許可がおりるや、そう言って魔理沙は力一杯親指を立てて、勝利を確信した笑みを浮かべた。

 人間、楽をしようとする心は往々にして間々避けた以上の苦役を背負うことになる。今回の一連の騒動も、そんな教訓の一事例になるだろう。

 気がついた時、私は既に元気一杯の少女の姿を借りた悪魔と契約を交わした後だった。

続きは本編で

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